第13回 田辺市龍神村龍神 小又川近辺巡検
2016.09.25
第13回 田辺市龍神村龍神 小又川・竜神温泉元湯近辺巡検
曇り後晴れ 参加人数22名
<<行程>>
<9:55> ・出発 龍神行政局 R371北上 小又川トンネル通過R425へ
<10:20>・到着 天誅(てんちゅう)倉
・1863年幕府に追討された尊王攘夷派「天誅組」と、地元の人々との
触れ合いを伝える文化財=案内人は、当会会員地元のM氏
<10:48>・出発
<10:55>・到着 小又川バンガロー下 河原にて 吉松先生レクチャー
・日高川層群龍神層、寒川・小又川ユニットについて
・凝灰岩・緑色岩・赤色岩・枕状溶岩などの説明
・龍神鉱山のマンガン鉱床と採掘跡見学
・その他、雨が約1週間前から断続的に降り続いていた為、
対岸に渡ることが出来ず実際の採掘跡が見学できなかった
<11:55>・出発
<12:00>・到着 深山荘(元小又川小学校 現在宿泊所)
・昼食
・敷地内のお堂の横に「キササゲ」の大きな実が涼しげにぶら下がる
・集合写真
<13:00>・出発 R371に戻り北上
<13:15>・到着 龍神温泉元湯の河原(日高川)数日間の雨量で増水)
・ソールマークの説明
・ソールマークの図り方
・日本三大美人湯と云われる龍神温泉について
・集合写真
<14:30>・解散 終了後、付近の褶曲見学・温泉利用・take out
カフェ利用や帰宅組に分散
<<巡検内容・説明コメント>>
「紀伊半島四万十帯の地質図」を見ると、白亜紀に形成された日高川層群の最上部に、今回見学を行った龍神層が表記されている。今回の巡検場所は龍神温泉元湯近辺、小又川地区には戦前マンガン鉱山があった。どうもマンガンの使途は質の良くない鉄を良質にするために戦前・戦中使用されたようである。今ある小又川バンガローの少し上部に鉱床が横たわっているようである。坑道は既に塞がれており、場所によっては縦に50メートルの坑道があったようである。深山荘は元々、小又川小学校の跡地にあり、その昔は人口が多かったときの名残であろう。グルーブキャストは前の国民宿舎(今は素泊まりのみの宿泊所)の丁度真下にあり、数分で到達が可能である。吉松敏隆氏記載のネイチャーランド田辺(田辺市文化財第51号2015年3月)には以下のように記されている。
⑤龍神温泉のソールマーク
龍神温泉元湯の対岸の路頭には、砂岩泥岩互層の砂質部の下底に丸太が半分埋まったような模様が見られる。これは、この砂や泥が混濁流となって海底扇状地に流れ込んで堆積した時の跡で、流れの方向性を示すソールマーク(底痕)の「グルーブキャスト」である。このソールマークは、南北性の流れの方向を示している。この付近には、日高川帯の龍神層のうち、砂岩層および砂岩優勢砂岩頁岩層からなる小又川ユニットが分布する。
今回の巡検場所 矢印の所 縦の赤い曲線は国道371号を示す
詳細地図 大きな赤丸部分が、マンガン鉱床跡・枕上溶岩路頭
小さな赤丸部分が、グルーブキャスト露頭・天誅倉
天誅倉を訪問 田ジ研Mさんの解説 最近、萱屋根を新調
小又川バンガローを通り河原へ ああでもないこうでもない。。。。
小又川に鎮座する枕状溶岩 どのあたりの海底火山でできたのだろう?
吉松先生の熱の入ったご説明
吉松先生の熱の入ったご説明 右下はマンガン鉱?
左下はマンガン坑道跡 危険なのでふさがれている
キササゲの実 深山荘記念碑 お堂の前にて集合写真 カノンの看板
旧国民宿舎下のグルーブキャスト露頭へ
吉松先生からソールマークの測り方を教授 左下は温泉元湯を望む
吉松先生からグルーブキャストが出来上がった方法の可能性を説明
旧国民宿舎前にて最後の集合写真
参考:天誅倉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
参考:龍神温泉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
この日にメンバーY氏より近辺の褶曲サイトの紹介(2地点)
1:甲斐ノ川 本村 2: 宮代(371を南に走り宮代トンネルを出たところの橋の下)
<<<今回、吉松先生が利用されたスライド類>>>
曇り後晴れ 参加人数22名
<<行程>>
<9:55> ・出発 龍神行政局 R371北上 小又川トンネル通過R425へ
<10:20>・到着 天誅(てんちゅう)倉
・1863年幕府に追討された尊王攘夷派「天誅組」と、地元の人々との
触れ合いを伝える文化財=案内人は、当会会員地元のM氏
<10:48>・出発
<10:55>・到着 小又川バンガロー下 河原にて 吉松先生レクチャー
・日高川層群龍神層、寒川・小又川ユニットについて
・凝灰岩・緑色岩・赤色岩・枕状溶岩などの説明
・龍神鉱山のマンガン鉱床と採掘跡見学
・その他、雨が約1週間前から断続的に降り続いていた為、
対岸に渡ることが出来ず実際の採掘跡が見学できなかった
<11:55>・出発
<12:00>・到着 深山荘(元小又川小学校 現在宿泊所)
・昼食
・敷地内のお堂の横に「キササゲ」の大きな実が涼しげにぶら下がる
・集合写真
<13:00>・出発 R371に戻り北上
<13:15>・到着 龍神温泉元湯の河原(日高川)数日間の雨量で増水)
・ソールマークの説明
・ソールマークの図り方
・日本三大美人湯と云われる龍神温泉について
・集合写真
<14:30>・解散 終了後、付近の褶曲見学・温泉利用・take out
カフェ利用や帰宅組に分散
<<巡検内容・説明コメント>>
「紀伊半島四万十帯の地質図」を見ると、白亜紀に形成された日高川層群の最上部に、今回見学を行った龍神層が表記されている。今回の巡検場所は龍神温泉元湯近辺、小又川地区には戦前マンガン鉱山があった。どうもマンガンの使途は質の良くない鉄を良質にするために戦前・戦中使用されたようである。今ある小又川バンガローの少し上部に鉱床が横たわっているようである。坑道は既に塞がれており、場所によっては縦に50メートルの坑道があったようである。深山荘は元々、小又川小学校の跡地にあり、その昔は人口が多かったときの名残であろう。グルーブキャストは前の国民宿舎(今は素泊まりのみの宿泊所)の丁度真下にあり、数分で到達が可能である。吉松敏隆氏記載のネイチャーランド田辺(田辺市文化財第51号2015年3月)には以下のように記されている。
⑤龍神温泉のソールマーク
龍神温泉元湯の対岸の路頭には、砂岩泥岩互層の砂質部の下底に丸太が半分埋まったような模様が見られる。これは、この砂や泥が混濁流となって海底扇状地に流れ込んで堆積した時の跡で、流れの方向性を示すソールマーク(底痕)の「グルーブキャスト」である。このソールマークは、南北性の流れの方向を示している。この付近には、日高川帯の龍神層のうち、砂岩層および砂岩優勢砂岩頁岩層からなる小又川ユニットが分布する。
今回の巡検場所 矢印の所 縦の赤い曲線は国道371号を示す
詳細地図 大きな赤丸部分が、マンガン鉱床跡・枕上溶岩路頭
小さな赤丸部分が、グルーブキャスト露頭・天誅倉
天誅倉を訪問 田ジ研Mさんの解説 最近、萱屋根を新調
小又川バンガローを通り河原へ ああでもないこうでもない。。。。
小又川に鎮座する枕状溶岩 どのあたりの海底火山でできたのだろう?
吉松先生の熱の入ったご説明
吉松先生の熱の入ったご説明 右下はマンガン鉱?
左下はマンガン坑道跡 危険なのでふさがれている
キササゲの実 深山荘記念碑 お堂の前にて集合写真 カノンの看板
旧国民宿舎下のグルーブキャスト露頭へ
吉松先生からソールマークの測り方を教授 左下は温泉元湯を望む
吉松先生からグルーブキャストが出来上がった方法の可能性を説明
旧国民宿舎前にて最後の集合写真
参考:天誅倉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
参考:龍神温泉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
この日にメンバーY氏より近辺の褶曲サイトの紹介(2地点)
1:甲斐ノ川 本村 2: 宮代(371を南に走り宮代トンネルを出たところの橋の下)
<<<今回、吉松先生が利用されたスライド類>>>