田辺ジオ塾 第6回 日高川水系徒然
2021.12.18
本日(2021 12/18)は第6回ジオ塾です。
担当講師はU氏 

お題は「日高川水系徒然」
・日高川の水力発電所はどのような発展、経過をたどったのか。
・インクラインという現象が出てきた。
・筏流しの歴史。
・城が森山付近の国定公園・県立公園
・亀谷原生林が1953の大水害のおかげで残った
・龍神層の褶曲(音無川層群・龍神付加体・美山付加体等)
・源頼氏と平維盛、小説「大菩薩峠」のふるさと、等

盛り沢山の内容となりました
19名のメンバーが聴講
準備から諸々お疲れさまでした
次回(第7回)は
1月15日S氏の「鉱山と岩脈」です
(ジオ塾は会員相互で月イチペースの勉強会を行っています)


2021.12.18 10:57 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第36回 大塔村安川渓谷周辺散策
2021.12.12
行程:アーカイブ 2015年08月に同じサイトを訪問して詳細を記入済みです。
   ご参考にしてください。
9:30赤ホヤ火山灰層(小川)→
9:40漣痕(赤滑)→
10:00乙女の湯(公衆トイレ)→
10:10タブの巨木(大塔村天然記念物)→
10:40安川渓谷駐車場→安川渓谷ハイキング→
12:00安川渓谷駐車場(昼食)→
13:00修験の滝→
13:30~14:30平瀬(大塔歴史民俗資料館・乙女の寝顔・河岸段丘・熊野酸性岩脈)→
15:30乙女のしずく→熊野(いや) 

阪本氏からの手記・写真をいただきました。(以下)
昨日(12月12日)、田辺ジオ研主催の、田辺市(旧大塔村)下川下にある「安川渓谷」周辺散策に出かけました。まずは大塔行政局に集合。ここはかつて『大塔村史』編纂の際によく編纂会議が開かれた場所。私は古代・中世担当の執筆委員として加えていただいていました。
 当日、30名が集まり、9台の車に分乗して出発。私はH氏やT氏らとともに気心の知れたU氏の車に乗せてもらいました。
 まずは牟婁層群打越累層の砂岩泥岩互層から湧き出したアルカリ性単純泉の「乙女の湯」所在地でトイレ休憩。
 当研究会の藤五和久会長に案内されアカホヤなどの火山灰が降り注いだ地層が残る地点(残念ながらシダで覆われていたため全く見えず)、さざ波の化石ともいわれる「流痕(リップルマーク)」が残る崖、巨大なタブノキ、その近くの日置川支流に架かる橋の下の牟婁層群打越累層の砂岩泥岩互層などをゆっくりと見学した後、今回のメイン地点である「安川渓谷」に向かう。
 ようやく「安川渓谷」の駐車場に到着し、1枚目の写真にあるように日置川支流に架かる橋の上から「安川渓谷」の一部を眺めました。何やら心の高まりが聞こえてくるようです。
 2枚目の写真。ようやくその渓谷美を誇る「安川渓谷」に足を踏み入れました。牟婁層群の安川累層の泥岩がちの砂岩泥岩互層の様相が何となく見てとれます。3枚目・4枚目の写真もよくご覧ください。
 5枚目の写真は、鎖場(くさりば)の続く怖い怖い場所を撮ったものです。ここでその時作った即席の川柳を一首。「鎖道、滑ってころんで、あの世ゆき」。 
 6枚目の写真は、これ以後、滑り易い下り坂が続くため、今回の目的地である「雨乞いの滝」まで後少しといったところで、様子を見てくると云って先行した主催者から待機を要請された場所の写真です。遅れてやってきた私も腰が痛くて青息吐息。
 7枚目の写真は、安全を期して今回は全員で行くことを断念し、私も行っていない「雨乞いの滝」の写真ですが、今回の案内役・藤五和久氏からご提供いただきました。改めて感謝申し上げます。この近くの地層の割れ目に火成岩脈の熱水の影響を受けたと見られる水晶の結晶があること、さらには白色の方解石(炭酸カルシウム)の堆積層が見られることも明らかにされています。では、これは何を示しているか、研究者による科学的な解明が期待されています。
 この後、別の場所にある「修験の滝」を見に行きましたが、この滝については次回に写真とともに紹介させてもらいます。
 そして、何十年間かぶりに、平瀬という地名通りの典型的な河岸段丘上にある「大塔歴史民俗資料館」に立ち寄って、山仕事の道具類や農作業の道具類、日本オオカミのキバ(レプリカ)などを見学。昔来た時には日本オオカミの全体の剥製を見たように記憶しているのですが、あれはどうなったのかなあ。
 地元では有名な「乙女の寝顔」を眺めつつ、最後に、そのモデルとなった半作嶺の、登山口に至る林道の途中にある「乙女のしずく」と呼ばれる湧水地点に到着。
 そして、このまま熊野(いや)地区や合川ダム方面に向かったようですが、私は疲れゆえに途中かなり長い時間にわたって眠り扱けていたため、帰り着くちょっと前に目が覚めるまで記憶は全くありませんでした(笑)。



文章工事中
安川渓谷での集合写真です


これは「乙女の寝顔」だろうか?

1.
以下、Wikiより
鬼界アカホヤ火山灰(きかいアカホヤかざんばい)は、約7,300年前の鬼界カルデラの大噴火に伴って噴出した火山灰。幸屋火砕流と同時に噴出した火山灰のうち、上空に噴き上げられてから地上に降下したものをいう。テフラとしての記号はK-Ah。AKの略称でも呼ばれる。
白色または淡褐色(オレンジ色)を呈し、農業には適さない。
火山灰に覆われた面積は約200万km2、体積は約100km3にもなる。偏西風にのって東北地方まで到達した。九州南部において地下の比較的浅い場所に厚さ約1mの層をなしており、四国、中国地方西南部および紀伊半島においても層として確認することができる。種子島では、20~40cm、琵琶湖では3~5cmの厚さである。また、層が不明瞭な地域においては土壌分析によって検出可能であり、おおむね日本全域で確認されている。
宮崎県の農家の間でアカホヤと呼ばれていた地層について調査した結果、人吉市付近のイモゴ、種子島のアカボッコ、四国南部のオンジなど、似たような地層が日本各地に分布していることがわかり、1976年(昭和51年)に鬼界カルデラを起源とする火山灰であることが確認された[1]。
地層の年代決定において縄文時代の草創期と早期とを分ける重要な鍵層の一つになっている。特に、種子島、屋久島、薩摩半島南部および大隅半島南部は幸屋火砕流が直撃し、当時居住していた縄文人の生活に大打撃を与えたと考えられている。
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餅搗かぬ里
六世紀の風習を破り お詫びの餅献上
紀州鮎川村民の恐懼(きょうく)
大塔宮様 六百年祭の一挿話
逆臣の兇刃に御最期を遂げ給ひし大塔宮護良親王の六百年祭は来る十八日より三日間、御最期の地鎌倉の官弊中社鎌宮で盛大に拳行され、殊に大祭当日の十九日は祭典の御模樣を全国に中継放送することになっているが、この輝く 六百年祭を前に紀州鮎川の一寒村が六百年の風習を破ってはじめて餅を搗き同宮大祭に献ずることとなった。
しかもこれは実に六百年前、戦塵妖雲の巷に落も延び給う大塔宮様に対し租先が冒せし過ちに対し全村民が今にして捧ぐる悔悟の結晶なのである。
元私元年十月二十九日の夜大塔宮護良親王には逆賊討伐の戦いに利あらず、追ってを避けさせられつつ供奉の人々と共に紀州點川に落ち給うたが深夜険路の御長途に携へ給う食もなく空腹の限りに在らせられた、その時村は亥の子祭で農家は戸毎に粟餅を作り軒先に吊るしていた。
宮にはせめてこれでもと思召し餅を所望されたところ、農家ではすでに「落ち人には食を与えてはならなぬ」との禁令がまわっていたので後難を恐れて之を拒み奉った。落ち人の身の如何ともし難く宮の御一行は空腹の儘落ち延び給うた。村人はその後これが 大塔宮の御一行と知り大に恐懼、以来六百年全村民正月と雖も餅も搗かず、ひたすらに宮に対する謹慎をしていたが、今年輝く六百年祭の御盛儀を聞き伝え、永き風習を破ってはじめて餅を搗き村民の代表が東上、十九日神前に棒け六自年の過去のお許しを乞うことになりこれを機会に正月の餅搗きの行事を復活すると言う。


2.赤滑の漣痕(れんこん リップルマーク 波の化石):崩れてきましたね

3.

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8.

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2021.12.12 10:15 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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