田ジ研自主研修 大規模土砂災害と防災施設の現地見学会
2018.11.30
「大規模土砂災害と防災施設の現地見学会」に参加を大変ありがとうございました。おかげさまでパフォーマンス良く見学会を事故も無く終了することができました。田辺市・上秋津奇絶峡付近では崩壊でできた上秋津風穴・長野風穴とデレーケ(?)堰堤を見学、日高川町・弥谷(いや)では地元の方たちの献身的ご協力により災害時のある程度の詳細状況(地質を含め)を知ることができました。今回の参加された方々の出会いにより防災含めたいろいろなアクションが広がっていくことを期待いたします。お疲れ様&ご協力をありがとうございました。

1.A氏がチラシをまとめてくれました。Tnx

1' 概念図 右会津川附近(秋山氏作成)

1" 概念図 左会津川附近(秋山氏作成)

2. 人ひとりやっと通れるくらいの入口

3. ロープは必須ですよ 縄ばしごがあればベストです

4. この先は結構広く奥は10人以上は入れそう

5. 大きな岩が崩壊し うまく空洞が出来ている 中は生暖かい

6. 井上氏より高尾山の大規模崩壊地と灌水範囲について伺う

7. 今回の見学会には風穴プロジェクトチームも参加

8. 雨予報に反し 眩しいくらいの晴天となって良かった!(安堵)

9. 左向谷の石積み砂防堰堤

10. 11月は晴天続きで超珍しく水は流れていなかった

11. めったに体験できない堰堤登り

12. 1981年建立された護郷の碑

13. 道路の山側に長野風穴を確認 地元N氏から風穴について聞き取りさせて頂きました

14.刀落(洞窟)大字上長瀬小字大倉山林中にあり洞穴の口径約六尺、深さ四十尺(12M)
 に及べりと。昔(年代不詳)一人の落武者来り手て、之の洞穴に刀を落としたれば之
 の名を得たりと。深さは俗に上秋津村を流るる会津川に貫通せりと云ふ。付近に小柴
 叢生して口穴より冷風逆上し来ると。約五間位斜めに通じたれば入るを得れども、夫
 れより急に直下したれば降ること能はず。因に近来風穴として蚕種貯蔵所たらしめん
 とせしが計画、次に効をなさずと。
 *この長野風穴は左会津川の左岸に位置し、この電柱の後ろに風穴があります。穴は
 20メートルくらい下の左会津川まで続いている模様。

15.日高川町弥谷(いや)地区 今回の移動行程(Garmin)12/01 前日は愛徳荘に泊まり勉強会でした

16.下(しも)集落 手前の石碑が慰霊碑

17.参加者・T氏が災害時の様子をイラストで説明されています

18.たまたま、弥谷(いや)出身の方がイラストマップを残していました
 左下が今も残っている下(しも)集落、右上道路より上が上(うえ)集落、右上道路
 より下が中(なか)集落と呼ばれていたようです

19.下集落です

19'.パネル裏の覚書
皆さん、これが水害前までの弥谷部落の姿です。当時のふる里を残しておきたい一念から記憶を辿りながら今、パネルの上に再現する事が出末ました。弥谷の起源については何時頃からか詳しい事は解らないが、遙か遠く大昔前からこの地に私達先祖は暮らしていた事と思う。平地の少ない狹隘な部落は川口附近から高地まで、下組(スミガワ)・中組(ウラデ)・上組 (タイラ)の三つの集落に分かれ、大字弥谷を形成していた。広範囲に点在する部落ではあったが、とにかく平和な日々が続いていた。
併(しか)し、梅雨末期の集中豪雨により(平(タイラ))山頂附近から凄じい山津波が起り、別場所に避難した少数の人々を除き、下組から尾根道(タイラ横出)を通っての偵察、救援に向った4名も含めた、計62名の方々が土石流の渦中に尊い生命を落とした。
第二次大戦の敗戦間もない復興途上の日本には、まだハイテク機器もない上、流域の交通も分断され,現在の様な救出活動はされず,大多数の人々が遺体も発見されず行方不明のままになっている。その後、事故現場附近は下流への砂防ダムエ事施エにより崩落土砂の自然流出がなく殆んど埋没、当時の状態に近いままの固定地形となっている。水害後助った残りの5家族は其の後下組に合流し、現在の僅か10戸足らずの部落となった。生き残った私達はこの惨禍,今後永久に後世に伝え残そう。K.Y.

20.当時、身重の婦人が逃げてきたという宅地跡にきています

21.正面に見える小さな平地が小平(こだいら)と呼ばれ水田があったそうです

22.養鶏場より尾根をみています

23.やせ尾根で岩盤が垂直に立っています

24.記念集合写真

25.赤色チャートを含んだ礫岩がごろごろ 付加体の様相(スラスト?)です

26.養鶏場から白馬(しらま)山脈を見ています 平和な時は桃源郷だったかも

27.弥谷(いや)谷近くの釈迦堂跡・神社跡にきています

28.正面が神社跡?

29.慰霊碑の墨入れのテーマを討議中


2018.11.30 00:04 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田辺市生涯学習フェスティバル 展示参加
2018.11.17
2018年11月17-18日 田辺市生涯学習フェスティバル出展

2018年度田辺市教育委員会生涯学習課 生涯学習フェスティバル実行委員会主催
【田辺市生涯学習フェスティバル】が11月17・18日で開催されました。
市民総合センターでは様々な催事が行われるので、毎年、近隣からも大勢の来場者です。

私たち田辺ジオパーク研究会も、環境省近畿地方田辺自然保護官事務所「よしくま」ブースで、吉野熊野国立公園、天神崎の自然を守る会、京都大学白浜水族館、田辺高校生物部と協力しながら、市内の大地の見所“ジオッち”パネル、生痕化石、鉱物、市内で集めた火山灰などを展示しました。 

この「チームよしくま」の中でダントツ大好評だったのは、簡易用タッチプールにぎょうさん集めたザリガニ釣り体験です。子ども達が無我夢中で細い竹竿を垂らし、又、何度も部屋を出たり入ったりしながら誰かを連れてきたりと、いつも群れ状態となっていました。 このような好奇心の眼差しを横から眺められるのは、実に裏方冥利につきるものだとつくづく思いましたね(笑)。 

次は手前味噌になりますが、当会の「おもしろ田辺ジオクイズ」です。
みかん農家会員から差し入れられた旬の温州みかんなどを景品に、大人も子ども楽しみながら新しいジオ友繋がりのきっかけとなり、とても有意義な2日間となりました。(因みに全問正解は2/123) 
クイズ2に関連して、①や②を選択された方々は「TVや新聞のニュースで『南紀熊野ジオパーク』という名前は聞いたことがあるけど、入ってないのはよその町やと思った」と話されていました。折角の機会なので、田辺市が南紀熊野ジオパーク推進協議会未加盟の説明もさせて頂きました。 
チャレンジされた多くの方々が、一瞬「「ええ!?」」と驚いた表情とフツーに「何故?」の問いかけが印象的でした。 (そういえば・・・14年前「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、ユネスコの世界遺産に登録された「熊野古道」も、一般的には登録後の数年間は観光客も少なく地元の人々もあまり興味がなさそうな時期もありました。 ☆彡そしてこれからは、“ジオっち”の番です。2019年7月には串本にジオパークセンター完成予定です。田辺市内からでも1時間余りで紀伊半島の美味しい食べ物、美味しい景色、地域の人々の暮らしと文化歴史に触れ、自然災害や地域防災も知りながら、足元から楽しめる見慣れた海・山・川・里が“ジオッち“の良いところなのです。

市町村合併から早や11年目、この日は龍神村地域で「翔龍祭」も開催されましたが、生憎、昨年同様の出展が叶いませんでした。 気候が安定している11月には、田辺市内だけでも沢山の行事が重なってしまいます。 そんなこんなでもうすぐ12月とは早過ぎ感ありですね。みなさまお疲れ様でした。


1. 約26年前から継続されています

2. 田辺市民総合センターの館内には近隣の方々も

3. すさみフェニックス褶曲ポスターには「ここどこ??」の質問が多々ありました。

4. 高校生たちもジオッちに興味津々

5. 環境省レンジャー、田ジ研会長も子ども見守り役に

6. 辛抱強く座り込みが始まる

7. 高学年たちも「おもしろ田辺ジオクイズ」にチャレンジ

8. 左から サンゴ、サメの卵が入っていた殻、シラヒゲウニ殻

9. 結構大きなタコノマクラ

10. 海の生きもの化石たち

11. 凄い!顕微鏡の扱いが慣れているねー

12. 姶良火山灰

13. 触っていいよ~(笑)

14. 景品はお菓子、会員(みかん農園経営)からの差し入れの美味しいみかん🍊

15. 低学年も最後まで問題とにらめっこ

16. 2番目の問題、殆どのチャレンジャーが①又は②の答えを;;

17. ソロソロラミネートパウチにしなくては・・・

18. 田辺の身近な”ジオッち”写真

19. いつもニコニコお助けマン

20. 「アカン!肺活量足らん!」っと言いながら速攻空気入れ購入に w

21. 4階奥のホールでは紀南ユネスコ協会「わたしの町の宝もの」絵画展も同時開催
   http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=361533



2018.11.17 11:03 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第24回 龍神村丹生ノ川還流丘陵(旧河谷)巡検
2018.11.03
第24回 田辺市龍神村の環流丘陵(小森地形)見学会 

行程:龍神行政局→丹生ヤマセミの郷近くの小森川小森地形→安倍晴明神社→谷口姶良火山灰層→昼食@371号沿線→龍神村殿原の小森地形→龍神村東の小森地形→龍神行政局

例年11月3日には五穀豊穣を祈願した秋祭りがあちこちで執り行われています。
当初の年間計画に於いても晴天の確率が高いこの時期には、紅葉も期待して山側の見学希望が圧倒的に多く、南紀熊野ジオパーク学術専門員の吉松敏隆氏(=紀南・地名と風土研究会会員)からのご提案も頂き「小森地形」の実地検分となりました。 今回は、和歌山県田辺市龍神村を流れる日高川の支流、小森川と丹生ノ川に形成された3カ所の環流丘陵と、2015年に訪れた姶良火山灰堆積地です。(この露頭真上の橋は中辺路町に通じる国道371号線。今年3月から開通され大変便利になっています)

穿入蛇行が発達する中紀以南の地域の大半が四万十付加体と呼ばれます。白亜紀から第三紀中新世にかけて堆積した地層からなり、この四万十付加体の帯状構造が大きく乱れている為に、川の流れがくねくねと蛇行しているのです。

見学地の地層、音無川付加体の屈曲構造の形成時期については、2012年中屋志津男氏が論文を発表されています「・・・第三紀前期中新世の前期であるが、熊野層群と中期中新世の熊野酸性火成岩類が、四万十付加体とともに調和的に屈曲していることや、紀伊半島の穿入蛇行や山列などの地形発達とも密接に関連していることから、前期中新世以降現世まで続いていると考えられている。また、紀伊半島の四万十付加体は運動量の大きいフィリピン海プレートと太平洋プレートの応力場にあるが、付加が進行して沈み込み部から遠ざかるにつれ、前者よりも後者による帯状構造に平行な圧縮応力が強くなったと考えられている」。 このようにして紀伊半島では、地表面にまで及ぶ共役の背斜・向斜構造が穿入蛇行の著しい発達をうながしているようです。

山間をドライブしていると、川の側や平地の中にボツリと取り残された小さな山を見かけます。又、そのこんもり山の周囲には民家(集落跡)や田畑など、山間域の日常生活(跡)に出会えます。我々が実際に過ごしている時間より、地球上の営み過程を目の当たりにできる環流丘陵の深い物語と、先人たちからの生きる知恵と工夫によって更に風景もどんどん変化しつつの山並みも楽しみ、穏やかな青空の下、いつものように滑る冗談も交えながら意義ある見学・研修会となりました。

追記 
庚申さんや仏像等の研究者として有名な堀敏実氏が12月3日16時20分 56歳の若さでご逝去されました。実は、今回の原稿をお願いしていましたが、11月27日午前11時42分「現在入院していまして、いつ退院出来るかわかりません。原稿は無理です。すみません。」と、メッセージを頂戴していました。堀さん、長期間の闘病生活お疲れ様でした。やすらかにお休みくださいませ。合掌
今回、最初に訪れた東平近くの小森で、南方熊楠翁ゆかりの民家の横から小森山に登られ「ここには珍しく庚申さんが見当たらない」と話されていました。                 2018.12.5 文責CH


1.今回もほぼ車移動 楽といえば楽でしたが・・・w

2.南紀熊野ジオパーク学術専門員吉松先生からルート説明と環流丘陵出来方をレクチャー中

3.丹生ヤマセミ温泉から約5分移動 一番目の環流丘陵見学 

4.かなり隆起の激しい場所 眼下には南方熊楠も訪れたといわれる民家もあった

5.穿入蛇行と屈曲構造が一目瞭然の場所

6.自然湧出温泉お一人様700円

7.安倍晴明ゆかりの晴明神社 五芒星(ごぼうせい)を晴明桔梗(せいめいききょう)として利用

8.果無山脈は褶曲のオンパレード地帯

9.姶良火山灰 2015年に訪れた時には まだ橋桁工事中だったが

10.山側の中ほど白い筋が姶良火山灰層(AT火山灰層)

11.姶良火山灰が積もっているところは大昔は川が流れている場所だったようです(約30Mの隆起)

12.スラストについての説明 この辺りは田辺域では一番古い先輩地層です。

13.2018年3月19日完成 龍神~中辺路間の国道371号バンジージャンプが出来そうな高さ!

14.秋晴れランチタイムは大人でも楽しぃ!!

15.地元メンバーから太っ腹たい焼きの差し入れに感謝感激♡ごちそうさまでした!

16.殿原の環流丘陵現場

17.ガードレール側の約20m下には現在の川が

18.大地の隆起と川の流れが徐々に変わって小山が出来ている

19.稲刈りが終わった田んぼが広がるのどかな山里 

20.3番目の小森を訪ねて

21.①②③ 流路変化図

22.コンセプトは学びと笑いとハイキング♪ お疲れさまでした~♪

23. ジオポーズは・・・あららら~;; 

24.有意義な一日! ヨッシーさん ご多忙の中大変お世話になりました。 

25.音無川付加体の屈曲構造の簡単な説明

26.日高川近辺の小森地形

2018.11.03 00:15 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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