第34回 乳様・黒尊佛巡検
2021.07.22
2021 07/22 は3月以来のタジケン公式巡検でした。
9:00 滝尻に集合。保険の支払い等。
10:00 ちちさま近くの駐車場に駐車。ちちさまを往復。
11:30 行政局駐車場に集合。大斎原(おおゆのはら)・経塚は今回パスとなった。
12:00 大津荷(おおつが)川・川口にて昼食。
12:45 黒尊佛へ出発。林道終点より、目的地まで歩行。
14:00 黒尊佛着。
15:00 林道終点。解散。
15:30 蛍石の探索。



今回は再訪になりますが、新会員の人たちのために乳様(ちちさま)と黒尊佛でした。今回は30名近くの参加、道中 道を間違えたりといろいろありましたが、無事に楽しまれた模様。最後は先生に蛍石の見つけ方を教わりました。



ちちさまは「戴いた資料抜粋」より、以下の記述があります。
張りのある豊かな乳房を思わせます。
◎江戸時代の紀伊国の地誌「紀伊続風土記」には「ちごら石」と記され、音無川の上山中にあり。堅四間横六間の石なり。
真中に乳の形ニあり。乳少き婦人立願すれば自然に乳出づといひ伝ふとあります。
「母乳に見立てた長さ1尺の12本の白い糸に、餅や菓子を添えてお供えしてお願いしたという」謂れが残っています。
子育ての神様として信仰されました。

黒尊佛の岩体は最下部には黒い熊野層群が存在し、その上部に流紋岩(石英斑岩)がが堆積されているような感です。橋杭岩と同じ貫入岩と云われています。
み熊野ネットには:
『紀伊続風土記』には「疱瘡神と崇める」「奉祭する者から村民に疱瘡護符を出す」とあります。疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)は、疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神。疱瘡(天然痘)は、非常に強い感染力と高い致死率のために恐れられた感染症です。天然痘に対する免疫を持っていない人への感染率は100%に近く、感染した場合の致死率は20〜50%。
 今では天然痘はワクチンのおかげで根絶しましたが、昔は神仏に祈る他なかったのでしょう。天然痘にかからないように、かかったとしても症状が軽く済むように、との願いをもっぱらに聞き入れてくれるのが疱瘡神でした。疱瘡神に祈ると疱瘡をまぬがれる、あるいは軽く済むと信じられました。


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2021.07.22 20:41 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 日高郷土学参加 
2021.07.16
順延になっていました日高郷土学・鹿ヶ瀬(ししがせ)峠探訪に自主研修として参加させていただきました。ジオ女子が多く参加され、たまに小雨でしたが、とても賑やかな参加となりました。
ここは熊野古道の一部であり、まだ世界遺産の登録はされていないようですが、コースとしては最短に行程をうまく利用しており、石畳も巾が広く、風情があるコースです。
ここの地盤は前弧海盆堆積体に類似の地盤で寺杣(てらそま)層と呼ばれています。白亜紀(9000万年~6600万年)のあたりのアンモナイトが隆盛だった時代の大陸棚の地層と云われています。今回は、地層の巡検機会はありませんでしたが、アンモナイトのある露頭を見る機会があれば再訪したいと思います。(至準化石は イノセラムス・アンモナイト)

2021.7.16紀伊路 金魚茶屋からレポート by KK
お早うございます。
7/16 日高郷士学 、金魚茶屋跡を訪ねる の感想文です。
ハマボウの黄花群生を境に 雨を貯めた川の水は まったりと 翡翠色に膨らんでいた。
日高川を離れ支流を山へと車は 向かう。御坊町中 ( 初めて訪れて 田辺市内とは違うインフラ整備の良さに驚きながら鹿ヶ瀬峠の山道へと続く熊野古道を走る。 川沿いの人家に趣きあり、田の稲は30~40㎝背丈の緑をツンツン匂わせて 刈入れの頃を思わせる。
明るい森に降る涼雨を きのこはその体をそらせて 受けとめている と穴にもぞもぞする 玉虫色のフンコロガシの青が光る 田辺の方角の山際が明るくなったのだ そして瞬時に暗く また明るく繰り返す雨の中を歩く。立ち並ぶ杉は20m 幹幅50㎝ 「切り時来とるけど 伐採しても下まで運べんやろから このまま参道を守る木々として 残っていくんやろうなぁ 」と木材に詳しそうな男性が教えてくれる。
山道の幅は広く 敷石は 昔の人々が凹凸のついた自然石で敷いてくれている為 歩き易い それでも苔に時折 足をとられるので要注意。
随所に見られる石垣が良い。三段丘になった寺院跡地前広場は しだれ桜の枝振りよろしく 黒澤明監督の「夢 」に出てくる 雛壇の五人囃子が聞こえてきそうな明るさがある。霊験が現れたところに 王子社が つくられたらしい‥‥とすれば‥‥
林中に鹿こたえ ( 定家も歩いた )峡谷に猿叫ぶ ( 比叡山の僧も、若い娘も、何かをなくした者たちも )山中の宿場には どんな霊験な物語があったのか?
たぶ(椨)の大木の根元にたつ馬頭観音→木の種類間違ってたらご免なさい← 3つのお顔と8つのお手が 有りてっぺんのお馬さんの横顔は 熊野の方を向いている。
痔の神地蔵にまつわる話、鹿ヶ瀬峠のてっぺんに立つ 法華の壇の話、ドクロの赤い舌から響く貴いお経の声を つなぐ祭が 今も里人の手で行われているとか (コロナはこれにも邪魔をする )。熊野詣でする人びとを幾度 見送ったのか 金魚茶屋跡地には 2018年の台風で倒れた桜の大木。苔むした太幹の先には たっぷりした枝々が 青々と葉を繁らせているので その梢だけを見れば 来春の花の華やぎが聞こえてきそうな矛盾。 その表裏一体。明るいのだ ここは‥‥
この道を通った人生の矛盾を 明るく迎えてくれた森なのだ。
本日の天気雨の中 幻のおひな様が笑う錯覚に元気を頂きましたわ、と言うと「今は 猪 鹿 蝶ですわ‥‥とウグイスが鳴いてくれてます 」冗談の中に本当を 混ぜて笑わせてくれた会長の平井さん、老松という幻の名酒を思いつつ、古道ガイドの美女の熱意に感謝して本日もごっつあんです の旅有難うございました!
-久々でしたので 笑い過ぎて腹筋痛し梅雨の汗-
でした。私は「金魚茶屋」の建物が残っているのか と思って楽しみにしてたのですが その跡形無しで、妄想が膨らまず です。折角カロリー消費したのに 帰り道で 宇治金ソフトクリーム添えかき氷なんて食べてたのは誰❔ ビールはないんかい?などとすごんでたのは誰❔ どうもすいません。

1.日高町文化財史跡 題目板碑(いたび)
前の梅畑は、法華堂跡(八代将軍德川吉宗やその生母浄円院が帰依した広川町養源寺の源流とも云われている)で、この跡地にあった板碑(いたび)をここに移したものである。右より一号碑に永享□口、ニ号碑に嘉吉二年(1442年)、三号碑に永享八年(1436年)、四号碑に寛正二年(1461年)の年号が入っている。いずれも室町時代のもので、郡内
でも最も古い板碑の一つとされている。  日高町教育委員会

2.つづら折れの石畳が現れました。ここが従来の石畳だそうで、石が平らに割って敷設してあるので歩きやすい感じです。坂の途中にはタブの木の巨木が数本あり、必見です。

3.小峠から小城山(おしろやま)をトラヴァースして、大峠に到着です。この大峠付近が
鹿ヶ瀬峠と云われているようです。昔は、茶屋が3軒くらいあったようです(看板より)

4.大峠にて昼食。法華の檀の妖怪の話を伺いました。 集合写真をパチリ。

2021.07.16 14:49 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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