田辺ジオパーク研究会 活動履歴Index
2099.01.01
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-----日付---------------活動内容----------------------------------------
2018.08.25- 第22回 岡公園~和歌山城~(旧)和歌浦(玉津島神社・妹背山付近)巡検
2018.07.28- 田ジ研自主研修 潮岬と苗我島訪問
2018.06.04- 田ジ研自主研修 黒瀬川帯 黒島(由良町)カヤックツア-
2018.06.02- 田ジ研自主研修 ~第5回わが町再発見シリーズ~「日置川流域 大地の歴史」
2018.06.02- 田ジ研自主研修 まちづくり研究会(旧田辺市)学習会(一回目)
2018.05.13- 第21回 地質の日(11周年)記念イベント「鳥ノ巣半島散策&探訪」
2018.04.28- 田辺ジオパーク研究会総会
2018.03.18- 田辺ジオパーク研究会三周年記念講演会
2018.02.17- 第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加
2018.02.12- 田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺
2018.01.27- 田ジ研自主研修 三重県熊野市紀和鉱山資料館・その他探訪
2017.12.23- 第20回 印南漁港~畑野崎~美浜町・煙樹ヶ浜~三尾海岸~西山管制塔
2017.11.25- 田辺市生涯学習フェスティバル 展示参加
2017.11.18- 田辺市龍神村主催「翔龍祭」展示参加
2017.11.05- 第19回 落合~伏菟野(ふどの)~上野~射森峠~中辺路町西谷方面へ
2017.09.03- 第18回 城川(白浜・すさみ町)~天鳥(あまどり)海岸(すさみ町)巡検
2017.08.23- 田ジ研自主研修 城ヶ森山・亀谷原生林・龍神街道探訪
2017.06.27- 田ジ研自主研修 三里ヶ峰・蝙蝠岩探索
2017.06.18- 第17回 白崎海岸(由良)~名南風鼻・ばべ鼻(広川町)巡検
2017.05.28- 第16回 地質の日(10周年)記念イベント 「グルッと元島~天神崎」 
2017.05.17- 田辺東ロータリークラブでの講演(卓話)
2017.05.14- 田辺ジオパーク研究会総会
2017.02.26- 田辺ジオパーク研究会二周年記念講演会
2017.02.19- 紀南ユネスコ協会主催 「五感で感じる大地(ジオ)」
2017.02.12- 第4回南紀熊野ジオパークフェスタ@古座川町 に出展参加
2016.12.04- 第15回 平瀬~西大谷~合川~原の郷~木守地区巡検
2016.11.05- 第14回 本宮町備崎・黒尊佛・敷屋・篠尾川周辺巡検 
2016.09.25- 第13回 田辺市龍神村龍神 小又川近辺巡検
2016.08.28- 第12回 中辺路町 果無山脈附近巡検
2016.06.04- 第11回 天神崎・元島巡検
2016.05.15- 田辺ジオパーク研究会総会
2016.03.12- 第10回 南部町小目津公園さざれ岩~千里ヶ浜~岩代梅林~南部梅林巡検
2016.02.21- 田辺ジオパーク研究会一周年記念講演会(含む「田辺おもろいとこ」)
2016.01.23- 第9回 奇絶峡(音無川層群の上部羽六累層上部層)と龍神山
2015.12.19- 第8回 中辺路高原から栗栖川段丘確認~峰から2011年紀伊半島大水害崩落
2015.11.21- 第7回 龍神村小森谷渓谷~姶良火山灰層(谷中・さいの谷)~檜皮の滝
2015.10.17- 第6回 百間山渓谷巡り(犬落ちの滝まで)
2015.10.14- 勉強会 ふるさと自然公園センター 中屋先生
2015.09.19- 第5回 近露野中断層~お滝さん~ちちさま~湯の峰~曲がり川巡検
2015.09.16- 勉強会 ふるさと自然公園センター 中屋先生
2015.08.29- 第4回 流痕露頭~アカホヤ火山灰層~修験の滝~安川渓谷巡検
2015.06.20- 第3回 天神崎~岩陰遺跡~神子浜砥石採石場~三壷崎巡検
2015.05.16- 第2回 音無川層群・牟婁層群不整合~ひき岩群周辺~大坊~秋葉山押分け岩
2015.04.18- 第1回 新庄地区 鳥ノ巣泥岩岩脈と奥山の甌穴巡検
2015.02.15- 田辺ジオパーク研究会発足
第22回 岡公園~和歌山城~(旧)和歌浦(玉津島神社・妹背山付近)
2018.08.25
第22回 岡公園~和歌山城~(旧)和歌浦(玉津島神社・妹背山付近)巡検
2018 0825

<行程>
<10:00> 和歌山城駐車場に集合
<10:10> 岡公園探索 
<11:30> 和歌山城 石垣探索
    ===昼食===
<13:15> 和歌山城 裏坂
<14:00> 和歌山城 天守閣
<15:00> 和歌山城 退城
<15:45> 旧和歌浦(玉津島神社・妹背山付近)
<16:50> 現地解散

     和歌山城と片男波海岸の岩石を観察してきました!!

台風一過、青空の広がった8月25日(土)、中屋志津男先生のご指導のもと、和歌山城の石垣と片男波海岸の岩石を観察してきました。暑さがぶり返し、木陰と涼風が恋しい一日でしたが、参加者一同、紀南では見られない結晶片岩の観察に熱心に取り組みました。
はじめに、お城の南にある岡公園で往時の石切場跡を見学し、三波川帯(*)の結晶片岩が、さまざまに分類されることを教わりました。苦鉄質(塩基性)片岩、珪質片岩、泥質片岩、砂質片岩、などです。まず公園の入口付近にある緩やかに褶曲している岩体は、石英片岩であり珪質片岩の一種です。さらに奥や上の方には、いわゆる「青石」と呼ばれる緑泥片岩が見られましたが、これは苦鉄質片岩(マグネシウムや鉄に富む)に分類されます。ここの苦鉄質片岩には曹長石(*)の斑晶が入っており、「”てんもん”苦鉄質片岩」といわれる特徴的な岩石です。「てんもん」というと「天文」の漢字が頭に浮かびますが、この場合は「点紋」で細かい斑点が一面に見られるからです。この「点紋苦鉄質片岩」が今回で一番のポイントとなる岩石でした。三波川帯は原岩としてはジュラ紀の砂岩・泥岩・チャート、また海底火山の凝灰岩などであり、変成作用が行われたのは白亜紀後期とのことです。
 いよいよ和歌山城に入城です。南側の岡口門から入りました。この門の石垣は砂岩で築かれています。これは「和泉砂岩」と呼ばれ、中央構造線の北側に分布する和泉層群の岩石です。和歌山城というと全国的にも珍しい結晶片岩の石垣が目につきますが、全体的にはこの砂岩による石垣が最も多いのです。これは加太の友ヶ島で採石されたことが分かっており、今でも石切場の跡が残っています。和泉砂岩は田辺層群白浜累層の砂岩に比べると淘汰が悪くて礫が含まれ、陸に近いところで堆積したようです。松の丸の高石垣では砂岩の石垣の両端が熊野酸性岩類である花崗斑岩(流紋岩の一種)により積まれている様子を観察しました。砂岩は表面の風化が進んでいますが、やはり火成岩は硬くてしっかり残っていました。
 お城の北側に進むと、西の丸庭園沿いには結晶片岩の石垣が続いています。中屋先生に岩石名を教えていただくと、苦鉄質片岩である、いわゆる緑泥片岩(青石)以外にも砂質片岩や泥質片岩、珪質片岩の一種の赤鉄鉱片岩などがあり、ごく一部には石灰質片岩も見られるそうです。また、苦鉄質片岩にも点紋のない岩石があって、岡公園や虎伏山(城が築かれている丘陵)から採石された岩石だけではないということです。点紋帯は和歌山市の北側、無点紋帯は秋葉山より南側に分布しており、和歌山城石垣の結晶片岩が雑賀崎をはじめ、さらに南からも運ばれてきたことがそれらの岩石から分かります。
 昼食後は裏坂といわれる北からの登城口を登って天守に向かいました。ここの石垣も苦鉄質片岩で積まれています。足下の石段をよく見ると人々の歩みに磨かれて点紋がはっきり見えるものがあり、岩石形成時からの長い歴史が想われました。南からの表坂と合わせて谷が入り込んでおり、ここに地下から水が上昇してくるとのことで、裏坂途中に古い井戸がありました。この湧水は虎伏山東側の断層によるもので、虎伏山自体が断層に沿って西側からせり上がって形成されており、南方の秋葉山を経て和歌浦方面に向かって弧状に続く丘陵が断層を示しています。
 天守に登り、中屋先生から地形と地質の関係を詳しく教えていただきました。東方には飯盛山が見え、そこから続く飯盛向斜がここに至っていること、北方は和泉山脈がそびえ、中央構造線によるダイナミックな(私たちにとっては災害となる)動き、西方は紀ノ川の河口が奈良時代に開かれたことや砂の丸をはじめとして浜堤堆積物とそこからもたらされた風成堆積物が吹上地区であること、南方は先述のように断層が走り、盛り上がった地形とともに低地には和歌川(かつての紀ノ川下流部)が流れている様子が一望できました。また、和歌山平野の群発地震や中央構造線に予想される大地震のメカニズムも学びました。
 表坂より下って城内の駐車場に到り、次に片男波海岸に向かいました。玉津島神社に参拝後、付近の地質を観察しました。この辺りも結晶片岩が分布していますが、もう点紋が見られない無点紋帯に入っています。ここには主に泥質片岩の一種である石墨片岩が分布し、石墨を主とする黒い層と石英を主とする白い層が縞状を呈しています。その境目が滑りやすいため、細かな微褶曲(ちりめん褶曲といわれる)が発達し、とてもきれいな断面です。石墨は風化して軟らかくなっており、指で触るとボロボロと崩れてきました。結晶片岩といっても、南の方は変成度が低いとのことです。塩竃神社から妹背山への美しい風景が地質構造からもたらされたものであることを実感しながら、観察を終えました。(文責TW氏)

*紀伊山地の三波川変成帯はほぼ四国のものと連続し、三波川結晶片岩および御荷鉾緑色岩からなり、主に紀ノ川南西側に分布する。紀伊山地中央部では秩父帯古生層がその南側の中生層に衝上した衝上断層を形成している。

*曹長石(そうちょうせき、albite、アルバイト)は、鉱物(ケイ酸塩鉱物)の一種。長石グループの鉱物で、ナトリウムに富む斜長石。化学組成は NaAlSi3O8 で、アノーサイト(灰長石)(CaAl2Si2O8)と固溶体をつくる。アノーサイトのモル分率により0-10%を曹長石,10-30%を灰曹長石(oligoclase),30-50%を 中性長石(andesine) ,50-70%を 曹灰長石(labradorite),70-90%を亜灰長石(bytownite),90-100%を灰長石と呼ぶが,区分は厳密なものではない。 火成岩や変成岩に普通に含まれる造岩鉱物。

集合写真@和歌山城天守閣




1.背斜ライン(ピンクの線)

2.集合時間前には早くも全員集合

3.早速、岡公園までウォーク♪
岡公園は和歌山城築城の時の石垣用の石切り場でした。今もこの付近には石を切り出す時にできる歯形のような跡である「矢穴(やあな)」が見られます。石の材質は結晶片岩(緑色片岩)で「紀州の青石」と呼ばれています。ここで切り出された石は、天守閣や本丸周辺の石垣に使用されました。

4.崩れやすくなっている結晶片岩

5.江戸時代の砕石現場

6.極暑も忘れて・・熱心に

7.斜め横から見ると まるで整ったサイズの薪を積んでいるように見える

8.アーチ状に積もった様子が分かります。石英片岩・珪質片岩の一種

9.どこにでもあるような岩の塊なんですが・・・♪

10.岡公園の頂上には諸々の石碑が建立されています

11.圧縮時にたおやかなウエーブが出来ている(ジュラ紀)

12.曹長石の斑晶がはいっている苦鉄質片岩(マグネシウムや鉄を含む)

13.これが点紋苦鉄質(塩基性=曹長石)片 お山のてっぺんにあります

14.これが点紋苦鉄質(塩基性=曹長石)片岩 砕石された様子が伺える

15.岡口門 内側から外側を見ています (三年坂近く)

16.和歌山城は天正13(1585)年に秀吉の命で弟の羽柴秀長が築城し、家老の桑山重晴を城代としておきましたが、この時は南東部の岡口門を正門である大手門としました。広瀬通り丁が大手筋で、熊野街道につながっていたのです。和歌山城の東側の地域は中世は雑賀庄(さいかのしょう)の岡と呼ばれていたのでこの名がつきました。慶長5(1600)年、浅野幸長が城主となります。浅野時代に大手を一の橋の門に変えましたが、引き続き重要な門として機能しました。元和(げんな)5(1619)年に徳川頼宣(よりのぶ)が入国する際、浅野家が提出した引き継ぎ目録に、門の一階部分に「畳三帖有」とあり、今の形と違います。元和(げんな)7年に城を拡張した際、現在の門に整備したと考えられています。
徳川時代、城の内部へ入る門で二階建ての櫓門(やぐらもん)形式の門は、岡口門と吹上大門だけでした。門の二階部分は北側に蔵が、南側には二階建ての櫓が続いていましたが、現在は取り払われ、切妻のような形になっています。岡口門は空襲でも焼けずにのこった旧藩時代の数少ない遺構で、北側の土塀と共に昭和32(1957)年に重要文化財に指定されました。土塀には銃眼を石で囲った珍しい狭間(さま)が開けられています。

17.上下の真ん中あたりで作られた時代が違うらしい

18.綺麗なカーブですが、積んでから角の両周囲を削るらしい 熊野花崗斑岩の算木積み

19.紀州の青石の野づら積み 結晶片岩で主に豊臣・桑山期

20.和歌山城の石垣は、時代によって石材や積み方の技法が違います。和歌山城は天正13(1585)年に羽柴秀吉の命で弟の秀長が築城し、家老の桑山重晴を城代として置きましが、豊臣秀長家が断絶した後、大名化した桑山氏が和歌山城を増築しました。その範囲は虎伏(とらふす)山の山嶺(さんれい)部分と岡口方面くらいであったと思われます。この時代は岡公園や和歌浦等で採れる緑色片岩(紀州青石)を中心とした結晶片岩を利用し、加工せずに自然石のまま積む「野面積み(のづら)」の石垣です。慶長5(1600)年関ヶ原の戦いの後、浅野幸長(あさのゆきなが)が城主となり城の大規模な改修を行いました。砂の丸、南の丸、二の丸西側四分の一ほどを除き、和歌山城内郭は浅野幸長時代に基本的に整備されたと考えて良いでしょう。友ヶ島等に石切場を開発して、石材は結晶片岩から砂岩(和泉砂岩)に移行しました。技法は石を加工して「接ぎ」合わせて積む「打込みハギ」となりました。この時代の、特徴は、刻印のある石材が多く見られることです。元和(げんな)5(1619)年徳川頼宣(よりのぶ)が入国し、和歌山城をさらに増築・拡張しました。徳川期も当初は砂岩を用いた「打込みハギ」の石垣ですが、その後、精密に加工して積んだ「切込みハギ」の石垣となり、熊野の花崗斑岩も用いるようになりました。

21.これは和泉砂岩(中生代白亜紀後期)の石垣 

22.石にIDが刻まれています (昔は石を運ぶのは大変だったでしょうね)

23.青石の石畳 なかなか趣がありますね

24.防空壕があった場所のようです

25.銀明水 
この井戸は「銀明水」といわれ天守台地北方丘腹の「金明水」と共に日常用水ならびに籠城の非常用水であった。城内にはこの他に四十余ヶ所あります。

26.虎伏山の湧水の説明

27.虎伏山から和歌浦にかけての背斜構造の説明

28.さて、いいよ天守閣へ

29.天守閣の全景

30.三年坂と岡公園の方向

31.紀ノ川と右端に元住金製鉄所

32.東側を望む・左真ん中に紀ノ川

33.南側玉津島神社を望む・右が雑賀崎方面

34.左に見えるのが和泉山脈

35.32に同じ

36.和歌山城の模型 手前方向が北

37.天守閣の床で講義 和歌山平野が見渡せる絶好の場所にお城がありますね

38.奈良時代あたりには紀ノ川は南向きに流路があり、離岸流により煙樹ヶ浜のような砂浜が
形成されいた。右端の図は縄文時代 ほとんどが海で、和歌浦付近は島だった

39.和歌の神様を祀る 玉津島神社に来ました 先ずはご参拝

40.根上がり松のサンプル 巨大です。

41. 和歌の浦 万葉歌碑
神亀(じんき)元年(724)甲子(かふし)冬十月五日、紀伊国に幸(いでま)しし時に、山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)の作る歌一首 并(ならび)に短歌

やすみしし わご大王(おはきみ)の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる 雑賀野(さひかの)ゆ
背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白浪騒き
潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より 然(しか)ぞ貴き 玉津島山
   反歌二首
沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻 潮干(しほひ)満ち い隠りゆかば 思ほえむかも
わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る

和歌浦にある船頭山、妙見山、雲蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山は、元小島で、当時それらは皆、玉津島山と呼ばれていました。現在は、そのひとつ、妹背山だけが元通りの小島のまま残っています。

42.鏡山
鏡山は塩竈神社の背後の山で、その岩肌は荒れた木理(もくり)のような薄墨色を呈し、香木「伽羅」に似ていることから「伽羅岩(きゃらいわ)」と呼ばれる。
江戸時代の本草学者貝原益軒は「諸州めぐり」で「和歌の浦の石は皆木理有りて甚(はなは)だ美也。他州にては未だ見ざる所なり」と感嘆している。
塩竃神社に向かつて右側の岩の上には、干潟を望むかのように山部赤人(やまべのあかひと)の歌碑「若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」が建っている。
南側の階段を登ると、鏡山の山頂から和歌の浦が一望できる。

43.青石が褶曲されている様子 伽羅岩(きゃらいわ)ですね

44.伽羅岩(きゃらいわ)に神社名

45.頁岩のような感じがしないでもない伽羅岩(きゃらいわ)です

46.伽羅岩(きゃらいわ)のひとつの様相

47.通常は安産の神様 元は製塩の関係?中辺路町にある塩竈神社は由来が違うようである

48.盬竃神社(しおがまじんじゃ)の洞窟

49.盬竃神社洞窟の伽羅岩(きゃらいわ)の様相

50.盬竃神社(しおがまじんじゃ)
日本遺産 絶景の宝庫 和歌浦
玉津島山の一つ鏡山のふもと、波で削られた洞窟に、潮の満ち干や塩作りから安産・子授けを司る塩槌翁(しおつちのおじ)がまつられている。かつて紀ノ川上流の丹生都比売神社から、浜降り神事で渡った神輿がおかれたため、輿の窟(こしのいわや)とよばれた。
加羅岩(きゃらいわ)とよばれる奇岩の岩山に波が打ち寄せる様は、和歌浦十景のひとつとされた。

51.山部赤人の有名な歌

52.硬い岩とは思えませんが、褶曲した伽羅岩(きゃらいわ)の様相です

53.妹背山全景 一番南にある
妹背山は、周囲250m程の小島で、西側に砂岩製高欄(こうらん)付きの三断橋が架けられている。この橋は、和歌山県内最古の石橋で、紀州藩初代藩主徳川頼宣が妹背山を整備した慶安4年(1651)頃までに建設された。中国の景勝地である 杭州西湖の六橋(りくきょう)の面影があるといわれ、独特の意匠·構造を持つ。欄干、敷石、橋桁、橋脚は何度か補修されているが、橋の原形は壊れることなく今日まで継承されている。
正面右側の「経王堂(きょうおうどう)と呼ばれる小堂の中には、梵字で書かれた題目碑(だいもくひ)がある。南側の磯辺の道をたどると東端の水辺に観海閣が建っており、西の方向へ石段を登ると多宝塔の前に出る。

54.干潟の伽羅岩(きゃらいわ)の様相

55.伽羅岩(きゃらいわ)の様相

56.伽羅岩(きゃらいわ)の様相

57.観海閣
観海閣は、妹背山の東端に位置し、水辺に張り出すように建てられている。
三断橋と同じく慶安(けいあん)4年(1651)頃までに紀州藩初代藩主徳川頼宣により建造された。四季を通じて、遙かな干潟の水面から、対岸の紀三井寺や名草山の山並みへと続く絶妙な山水の景色を楽しむことができる水閣として、参詣人や庶民にも開放されていた。
元は木造瓦葺きで、台風、高波の被害により再建と改修が繰り返され、昭和36年(1961)の第二室戸台風で倒壊したため、現在の建物は、鉄筋コンクリート造で再建されている。

58.これも伽羅岩(きゃらいわ)の様相

59.干潟の伽羅岩(きゃらいわ)の様相

60.海禅院多宝塔(かいぜんいんたほうとう)
玉津島の6つの岩山の先頭の妹背山には、紀州藩初代藩主·徳川頼宣の母養珠院が、德川家康の33回忌の供養のため、慶安2年(1619)に経石を埋納した。明暦(めいれき)元年( 1655)、頼宣は母をしのんでその上に多宝塔を建て、また民衆が自由に干潟の景色を楽しむことができるように、三断橋(さんだんきょう)と観海閣を設けて、妹背山を整備した。

61.海禅院多宝塔(かいぜんいんたほうとう)

62.伽羅岩を切断するように走る脈が・・

63.芦辺屋と朝日屋跡地
紀州藩初代藩主徳川頼宣は、慶安年間(1648 ~ 1651)に、後に生母養珠院(ようじゅいん・お万の方)を祀ることになる妹背山を整備するとともに、鏡山の東麓に「芦辺屋」と「朝日屋」という茶屋を造らせた。
このあたりから紀三井寺への渡舟(わたしぶね)があり、多くの人々が訪れている。
現在、天保4年(1833)に紀州藩10代藩主徳川治宝(はるとみ)の命により建立されたとされる松尾芭蕉の句碑があり、「行春(ゆくはる)を わかの浦にて 追付(おいつき)たり」と読める。明治時代には、「芦辺屋」という料理旅館が営まれ、多くの文人墨客(ぶんじんぼっかく)が宿泊した。南方熊楠は、ロンドンでの出会いを通じて親交のあった孫文と明治34年(1901)にこの地で旧交を温めている。

64.名勝 和歌の浦
和歌の浦は、和歌川河口付近に展開する干潟・砂嘴・島・丘陵地などの自然景観のなかに玉津島神社、塩竃神社、天満宮、東照宮など神社仏閣が点在する海の名所で、万葉集に詠われた良好な風致景観を今日に伝えている。
神亀(じんき)元年(724) 10月、聖武天皇は和歌の浦に行幸いその景観に深く感動し、「弱浜(わかはま)」の名を改めて「明光浦(あかのうら)」とし、春・秋に官人を派遣し、玉津島の神、明光浦の霊を祀った。
その時同行した山部赤人(やまべのあかひと)が詠んだ「若の浦に 潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして鶴鳴き渡る」の名歌に端を発して和歌の浦は、多くの貴族にとって憧れの地となり、和歌の歌枕として広く知られるようになった。
近世においては和歌山城主浅野氏や徳川氏により整備され、名所として保護された。多くの人々が、魅力溢れる美しい風景に惹かれて和歌の浦を訪れ、日本を代表する景勝地として知られるようになった。奠供山(てんぐさん)、鏡山の頂から望むと、紀三井寺を抱く名草山を背景として、石造のアーチ型の不老橋を目の前にし、三断橋の先に多宝塔が建つ妹背山があり、片男波海岸の松原へと続く広大な干潟の風景が展開している。
現在、妹背山(多宝塔を除く)、芦辺屋、朝日屋跡地、鏡山、奠供山(てんぐさん)、片男波は都市公園として和歌山県による整備と活用が図られ、平成22年8月には、玉津島神社、塩竃神社、多宝塔、不老橋、海岸、干潟を含め名勝和歌の浦として国に文化財指定され、保護が図られている。

65.山部赤人碑の横の碑なんですが・・・どなたか分かりませんか?

66.松尾芭蕉 1688年の句 「行春や わかの浦にて 追付きたり」

67.奈良時代の地形図

68.歌川広重が描いた和歌浦 鶴がいます。 上下の真ん中左の山が名草山 紀三井寺が見えます。


2018.08.25 22:18 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 潮岬と苗我島訪問
2018.07.28
苗我島~出雲海岸と朝貴神社~潮岬ナビラカ海岸探訪(自主研修会) 

紀伊半島南部に位置する潮岬や大島は、地質図では潮岬火成複合岩類の分布域となっています。南紀熊野の西エリア側とは異なる種々の火成岩体が、そのまんま足元に現れているので、以前から苗我島(潮岬と紀伊大島の間の小島)と出雲海岸や潮岬ナビラカ海岸については、内々で話題になっていたところです。今回台風12号進路を気にしながらも有志8名と、N氏S氏の協力を頂き、知識倍増の自主研修会を無事実施する事ができました。
 
7月28日台風12号影響なのか、朝9時「すさみ道の駅」集合時には小雨がパラついていましたが、限られた日程、微風と大潮時間帯ということもあり車2台に分乗。予定通り大島のループ状の橋を渡りきったすぐ右手トイレ駐車場で、たまたまこの日「双島ジオクルージング」が中止となっていた地元ジオガイドN氏(多岐にご活躍)と合流し同行頂きました。 以前、苗我島を訪れた時には、切り立った崖を降りる途中に、長さ約1.5m、幅約30cm、厚さ約5~6㎝の一枚板を恐る恐る渡った記憶もありましたが、今回は小雨の為、濡れて滑りやすいという事で回避ルートをN氏に教えて頂きました。 細心の注意を払いながら崖を降りきった場所には、思わず眼を見張るほどの光景が現れました(!海水なのに渓谷を流れる清流のような。そして、ここから竜宮城に向かって行けるような! 大潮の潮時にしか見られない!)。ゴミも汚れもない透明なタイドプールと海(波)の回廊のような場所。
(苗我島についてはS氏のブログ参照(右段‘リンク’URLから参照可能)

<11:45> 昼食(冷房の効いたレストラン「水門まつり」着 連日の極暑なら昼食後は腰が上がらなかったかも。)

<13:00> 出雲海岸(潮岬東側)着
途中の道路わきに、昭和天皇行幸記念碑が建立されています。N氏の説明と裏面の行幸ご日程により、1929年6月2日午後、この潮岬から通夜島に渡御され貝拾いをされたようです。出雲海岸散策 主に玄武岩質溶岩やグラノファイアーが露出している岩場には、大きな亀の頭蓋骨や肉片、その他、漂着ゴミらしき物も結構散乱。ゴミ袋持参しなかった事が反省と課題でした。 

<13:40> 朝貴神社駐車場着
現在、ウニランプ作りや地域のジオ講座の一役を担っておられるS氏とも合流。小さな鎮守の森の下部には、縄文時代に出来たと思われる奥行き約10mの薄暗い海食洞があり、N氏の案内で早速S氏がフジツボ(種類不明)、ヤッコカンザシを発見。腰をかがめながら足元や壁面に目を凝らしながら通り抜けも楽しみました。この神社裏手の岩石海岸は、一部潟湖になっていて、テントを張った家族連れの歓声とともに雨雲も徐々に薄れていきました。

<14:45> 潮岬ナビラカ海岸着
磯に降りるやいなや、斑レイ岩やグラノファイアー、石英脈が伴う花崗斑岩の岩、黒い楕円形の斑点が入った不思議な風よけ岩などが、ところ狭しとひしめき合う特別な場所です。今回のテーマは、「種々の火成岩を訪ねて」でしたが、岩石に詳しいジオパークガイドのS氏は「・・うーん。一日中ここに座ってしまいそう。だからこの場所だけは今までわざと外してきたし・・・」っと、ユニークなつぶやきが聞こえてきました。 そうなのです!一見地味な場所ですが、大昔の自然界で水中マグマ花火や連発打上げマグマ花火が交差した跡が残るとても賑やかな磯場なのです。 
                                  以上
1.苗我島・出雲海岸・潮岬ナビラカ海岸を訪ねて

2.大島方面からの苗我島

3.小雨の中でも軽やかな足取り♪

4.あ!海の回廊が見えた!

5.白く見えるのは・・・決して鳥たちのフンではありません

6.全員無事に降りたったところ

7.ワオ!!「!Wonderful」

8.ここは海!? 南紀熊野の渓谷?

9.大潮ならではの景色!

10.真夜中には乙姫さまが泳いでいるのだろうか 不思議な円形が出来ている

11.自然の造形美 海の回廊

12.流紋岩は見事なウェーブ状に

13.いい笑顔^^ 記念写真を撮り忘れないうちに!

14.この白い脈は・・

15.オーバーハングは雨宿りに丁度いい

16.一直線の橋の右手からウォーク開始

17.やっぱり動かない;  前に進まない;;

18.このロープはいつでもあるのだろうか?

19.秋の景色(N氏提供)

20.和歌山県道41号潮岬周遊線脇に建立

21.2泊3日でおな~り~

22.遠くに見えるのが通夜島

23.貫入岩

24.海のプールも最近は人気沸騰に

25.アカウミガメ? リアルだ

26.潮岬ナビラカ海岸に到着するやいなやかじりつき

27.潮岬ナビラカ海岸には粗粒玄武岩が多いらしい

28. 同じく

29.個性的な岩肌とカラフルな色・色・色

30.斑レイ岩と粗粒玄武岩

31.粗粒玄武岩の中に取り込まれた斑レイ岩の岩体

32.白っぽい岩が粗粒玄武岩

33.駐車場の茂みに夾竹桃の集団が ☆ほっこり気分

34.まさしくグラノファイアー

2018.07.28 22:48 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 黒瀬川帯 黒島(由良町)カヤックツアー
2018.06.04
***参照画像は右段リンクの部分にLink先を入れてありますので、ご参照ください。

2018 0604 田ジ研自主研修の一環として、黒瀬川帯黒島カヤックツアーを催行いたしました。参加者は若干1名になってしまいました。アイランドストリームのH氏のガイドにより、素晴らしい晴天の中、適度に洞窟等があり穏やかな海面の中、黒島一周ができました。途中に上陸可能な小さな砂浜があり、ここで石の収集&昼食をとることができました。閃緑岩という一般的には見ることができない岩体の模様ですが、ハンマーで叩くとそんなに硬いとは感じません。多分、少しずつ島が縮小しているのではないでしょうか。この黒いごまが入ったような岩石は、四国西予ジオパークの黒瀬川帯の模式地である三滝渓谷にある一般に三滝閃緑岩に似ているようです。黒島の周囲を回ってみるとところどころに石灰岩が挟まれているように見受けられます。
西予市立城川地質館の情報として、以下のような記述があります。
「赤道からやってきた黒瀬川古陸
黒瀬川構造帯には、ピンク色をした美しい石灰岩があります。この石灰岩には、サンゴや三葉虫、腕足貝(わんそくるい)の化石をふくんでいます。約4億2700万年前の暖かい海のサンゴ礁に生きていた生物の化石なのです。城川町でも嘉喜尾のエガマ淵、窪野の中野川、寺野などにそのような石灰岩があり、化石がみつかっています。

赤道からやってきた黒瀬川古陸
黒瀬川構造帯には、ピンク色を呈した美しい石灰岩が分布しています。それは、造礁性サンゴ(クサリサンゴやハチノスサンゴ)をはじめ、その間をはいまわっていたであろう三葉虫や腕足貝の化石を産することで有名な、古生代シルル紀(約4億2千7百万年前)の暖かい海で形成されたサンゴ礁の化石なのです。
城川町でも嘉喜尾のエガマ淵、窪野の中野川、寺野などにそのような石灰岩が分布していて、化石がみつかっています。このような石灰岩は、黒瀬川構造帯に何百キロメートルにわたって点々と分布しています。このことは、当時の日本付近の気候が暖かくて、列島に沿ってオーストラリアのグレート・バリアリーフに比較されるような大サンゴ礁が発達していたということなのでしょうか?一方、サンゴや三葉虫の化石には、オーストラリアや南中国のものと共通種が多いことが昔から注目されてきました。このことにはどのような謎がかくされているのでしょうか?
その答えは、この石灰岩を含めて黒瀬川地帯の岩石が帰属していた「黒瀬川古陸」は、実はかつて存在していた「ゴンドワナ大陸」の一部であったらしいということです。」
また、N先生からは、
「黒島は上陸したことがありませんが,黒瀬川帯の三滝火成岩の花崗岩-花崗閃緑岩でできていることは古くから知られています。写真ではこの火成岩のなかに石灰岩が含まれているのは確認できませんが,三滝火成岩にはシルル紀の石灰岩が捕獲岩として含まれていることがあります.徳島県坂州,愛媛県黒瀬川などには大きな石灰岩岩体が分布しますこれらの石灰岩には日本列島における最古の化石,クサリサンゴ,ハチノスサンゴなどシルル紀の化石が含まれているので,石灰岩の形成時代はシルル紀とされています。ほかには飛騨外縁帯にも同様な石灰岩,珊瑚,三葉虫などの化石がみつかっています。」
この黒島の石灰岩にもクサリサンゴのような化石があるかもしれません。
機会があれば、次回は鷹島に行ってみたいと思います。
2018.06.04 00:17 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 ~第5回わが町再発見シリーズ~ 「日置川流域 大地の歴史」
2018.06.02
2018.06.02
田辺ジオパーク研究会 自主研修の一環として以下のジオサイト巡検に参加いたしました。

~第5回わが町再発見シリーズ~
「大地の歴史から日置川流域の歴史をたどってみませんか!」
日時:平成30年6月2日(土)
学習会場所:日置川拠点公民館
現地説明会場所:向平・安居・田野井
講師:前南紀熊野ジオパーク学術専門委員 中屋志津男先生
主催:日置川拠点公民館日置分館・三舞分館
協賛;ひきがわ歴史クラブ
**************************
日置川沿いを訪れ、多面的な観点から 勉強が出来ました。
学習会概要を記します。
紀伊半島の地形とプレート運動というテーマでは、4つのプレートにより紀伊半島は全体としては隆起を続けています。細かくいえば日の岬を境に北部では沈降(->リアス式海岸)南部は隆起した海岸が発達しています。また海水面は何回かの氷河期・間氷期により上下を繰り返し、自然の作用により岩石海岸が発達してきました。河口には流失した土砂が沿岸流の影響で砂浜を形成しています。紀伊山地の河川は七つの代表的な川があり、それぞれの方向に流れる中で峡谷や河岸段丘・穿入蛇行を形成しています。日置川においても、中、上流地域では峡谷・岩盤地形が多く、下流地域では川幅が広く砂礫が堆積している部分が多いのが特徴です。下流部分は地質的には牟婁層群と田辺層群の境界に沿って流路があり、還流丘陵と穿入蛇行を形成しながら流れています。田野井・市鹿野と向平・中嶋付近と安居(あご)付近では穿入蛇行と河岸段丘・還流丘陵が発達しており、集落が形成されている。 田野井地区の西部にある高瀬山近辺には泥火山跡があり牟婁層群から貫入してきた形でかぶさっている地質帯になっています。又、見草川出口付近にも泥ダイアピルの貫入地層があり、袋漁港付近には泥火山から液状化により流れ出た泥角礫岩の層状地層を観察することができます。以下、掲載写真をご覧ください。
参考:ジオサイト・キーワード 泥ダイアピル関係=>白浜泥岩岩脈 鳥ノ巣泥岩岩脈 イセザキ泥岩岩脈 見草ダイアピル 市江崎ダイアピル 田野井ダイアピル

1.

2.牟婁層群と田辺層群の関係地質図 赤ラインが日置川

3.学習会様子

4.基本的プレートテクトニクスの説明中

5.牟婁層群と田辺層群の不整合

6.牟婁層群と田辺層群の不整合

7.紀伊半島の地形の特徴説明中

8.エビネ温泉 

9.安居(あご)暗渠施設を作った庄屋の記念碑

10.安居地区の方向 右が右岸

11.中嶋地区

12.暗渠の写真を見ています

13.穿入蛇行の背斜・向斜の説明中

14.昔の渡しの川幅はもっと広かったかも

15.安居地区の還流丘陵を説明中

16.田野井地区の土井城跡

17.田野井地区の土井城跡より

18.田野井地区の泥ダイアピルはあのあたり

19.泥ダイアピル・泥火山模式図 A&B

20.見草川と袋地区

21.見草川と袋地区

22.

23.見草川出口にあるダイアピルジオサイト A

24.泥質角礫岩体 A

25.泥質角礫岩体 A

26.袋地区のダイアピル 層状地層 B

27.対岸が袋漁港

28.袋漁港にある層状地層 B

2018.06.02 19:54 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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