田辺ジオパーク研究会 活動履歴Index
2099.01.01
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-----日付---------------活動内容----------------------------------------
2018.02.17- 第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加
2018.02.12- 田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺
2018.01.27- 田ジ研自主研修 三重県熊野市紀和鉱山資料館・その他探訪
2017.12.23- 第20回 印南漁港~畑野崎~美浜町・煙樹ヶ浜~三尾海岸~西山管制塔
2017.11.25- 田辺市生涯学習フェスティバル 展示参加
2017.11.18- 田辺市龍神村主催「翔龍祭」展示参加
2017.11.05- 第19回 落合~伏菟野(ふどの)~上野~射森峠~中辺路町西谷方面へ
2017.09.03- 第18回 城川(白浜・すさみ町)~天鳥(あまどり)海岸(すさみ町)巡検
2017.08.23- 田ジ研自主研修 城ヶ森山・亀谷原生林・龍神街道探訪
2017.06.27- 田ジ研自主研修 三里ヶ峰・蝙蝠岩探索
2017.06.18- 第17回 白崎海岸(由良)~名南風鼻・ばべ鼻(広川町)巡検
2017.05.28- 第16回 地質の日(10周年)記念イベント 「グルッと元島~天神崎」 
2017.05.17- 田辺東ロータリークラブでの講演(卓話)
2017.05.14- 田辺ジオパーク研究会総会
2017.02.26- 田辺ジオパーク研究会二周年記念講演会
2017.02.19- 紀南ユネスコ協会主催 「五感で感じる大地(ジオ)」
2017.02.12- 第4回南紀熊野ジオパークフェスタ@古座川町 に出展参加
2016.12.04- 第15回 平瀬~西大谷~合川~原の郷~木守地区巡検
2016.11.05- 第14回 本宮町備崎・黒尊佛・敷屋・篠尾川周辺巡検 
2016.09.25- 第13回 田辺市龍神村龍神 小又川近辺巡検
2016.08.28- 第12回 中辺路町 果無山脈附近巡検
2016.06.04- 第11回 天神崎・元島巡検
2016.05.15- 田辺ジオパーク研究会総会
2016.03.12- 第10回 南部町小目津公園さざれ岩~千里ヶ浜~岩代梅林~南部梅林巡検
2016.02.21- 田辺ジオパーク研究会一周年記念講演会(含む「田辺おもろいとこ」)
2016.01.23- 第9回 奇絶峡(音無川層群の上部羽六累層上部層)と龍神山
2015.12.19- 第8回 中辺路高原から栗栖川段丘確認~峰から2011年紀伊半島大水害崩落
2015.11.21- 第7回 龍神村小森谷渓谷~姶良火山灰層(谷中・さいの谷)~檜皮の滝
2015.10.17- 第6回 百間山渓谷巡り(犬落ちの滝まで)
2015.10.14- 勉強会 ふるさと自然公園センター 中屋先生
2015.09.19- 第5回 近露野中断層~お滝さん~ちちさま~湯の峰~曲がり川巡検
2015.09.16- 勉強会 ふるさと自然公園センター 中屋先生
2015.08.29- 第4回 流痕露頭~アカホヤ火山灰層~修験の滝~安川渓谷巡検
2015.06.20- 第3回 天神崎~岩陰遺跡~神子浜砥石採石場~三壷崎巡検
2015.05.16- 第2回 音無川層群・牟婁層群不整合~ひき岩群周辺~大坊~秋葉山押分け岩
2015.04.18- 第1回 新庄地区 鳥ノ巣泥岩岩脈と奥山の甌穴巡検
2015.02.15- 田辺ジオパーク研究会発足
第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加
2018.02.17
第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加

【日時】平成30年2月17日(土)10時~15時30分
【場所】那智勝浦町体育文化会館
【主催】南紀熊野ジオパーク推進協議会・環境省近畿地方環境事務所
【目的】南紀熊野ジオパークの主要部分を占める吉野熊野国立公園と連携をしながら、地域関係者の理解・協力・参加を促進するとともに、認知度・理解度の向上を図ることにより、ジオパーク活動を推進し、持続可能な地域づくりを目指します。

一階フロアーでは、地元食材を使ったグルメや地場産品の販売、いくつかのジオパークの参加等、ジオパークを身近に感じたイベントでした。
午後はシンポジウムが開催され、尾池和夫氏の基調講演「日本のジオパーク」(講師:尾池和夫氏(日本ジオパーク委員会 委員長・京都造形芸術大学 学長))が開催されました。

S氏提供の賞品・参加賞のみかんは美味しいと言葉を頂きました。K氏、ロープワーク有難うございました。見学されていた方から「やりたかったけど・・・」と。Y氏、M氏、サンプル鉱物・化石等の展示有難うございました。田ジ研のクイズは少々難問だったようですが、田辺域を充分アピールできたと思います。因みに一般参加された地元の方と一緒にクイズの解説をいたしましたが、「田辺って面白いなァ~」の言葉に、地域をアピールできた事がよかったです。(ジオについては、まだまだこれからのお楽しみ分野です)
大変、お疲れ様でした。

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2018.02.17 22:06 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺
2018.02.12
田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺

晴天の中、9:30に大塔行政局に集合、有志計8名にて木守地区の風穴をメーンに巡検に出発しました。今回は鮎川在住のN氏により、木守の風穴その他のサイトを案内していただくことになりました。乗り合わせにて

大塔行政局->合川ダム(一般国道371号)->原の郷・タービダイト->木守(風穴観察)->法師山登山口->板立峠->国蔵峠(湿原池観察)->面川・三豊(さんぽう)神社->深谷(ふかたに)隧道観察->帰途 

の行程でした。
今回の主目的は風穴の観察・巡検でしたが、風穴にもいろいろな種類がある模様で「日本の風穴」という本が古今書院から発行されています。ここの風穴は13度Cの空気が吸い込まれたり吹き出したりするが穴が再発見されたばかりで、もう一方の口がどこかにあるのではというので見つからず探索中ということです。どうも石灰質の岩石が風化によってトンネルがあるのかまだこのあたりは同定されていないのが現状です。風穴観察後は、赤土森山の上部のテーブル上になっている一部(国蔵峠近辺)を観察し、湿地帯あるいは元々泳ぐことができたらしい池跡を観察しました。一見、二重山稜になっているようなところで、降雨量によっては木守地区に向けて深層崩壊が起こる可能性がある地帯と伺いました。その他、諸々の訪問・観察サイトは写真・説明を追ってご覧ください。

1.今回の巡検・探索ルートです。

2.橋の上から砂岩泥岩が整然と積み重なっている前の川タービダイト

3.帰りにゆっくり参拝しようっと。素盞嗚神社(すさのお)らしい。

4.神社庭に孤高のメタセコイアが。

5.狛犬くん、玉遊び中。お腹ではありませんぞ。

6.神社の右側に池があります。水神か。

7.神社前広場にて登り準備しました。

8.「心のふる里」大塔村立木守小学校 の石碑

9.お寺への参道を登って行きます。

10.教会のようです。

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12.人工林内を更に登ります。

13.巨石がごろごろ見えてきます。

14.右にトラバースしてゆきます。

15.人工林と巨石の壁が続きます。

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17.石灰質か サンポールをかけると泡立ちます。

18.小さな礫がたくさん含まれています。

19.壁 壁 壁。。。。。

20.テープがひらひらしています。

21.テープがひらひらしているところが、空気が吸い込まれている穴です。

22.N氏が別の穴の探索中です。

23.N氏が別の穴の探索中です。

24.巨大な絶壁です。

25.穴の観察中です。

26.風穴の入り口です。今(2月)は空気が吸い込まれています。

27.赤色立体図ですが、上部は平らです。

28.法師山登山口近くで漣痕(れんこん)発見。

29.漣痕(れんこん)発見。

30.大崩壊地が見えます。

31.国蔵峠のお地蔵さんです。

32.湿原のようですが、何十年か前はここで泳げたらしい。

33.霜柱オンパレードです。

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35.かなり大きな霜柱です。

36.かなり広い。

37.三豊神社の巨大杉です。

38.深谷(ふかたに)隧道 654Mあります。

39.どうも電灯がないトンネルのようです。

40.お不動さんか。

41.真砂久一氏の頌徳碑です。裏に履歴があります。

42.この隧道は今柵があり、車両通過は不可です。




2018.02.12 20:01 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 三重県熊野市紀和鉱山資料館・その他探訪
2018.01.27
寒波到来の晴天の中、田ジ研の有志4名にて熊野市紀和町「紀和鉱山資料館」とその近辺の巡検をいたしました。資料館では1月限定のイベントが開催されていて、資料館のH学芸員に多くの説明をいただくとともに、たくさんの質問に回答いただきました。
紀州鉱山の歴史がある程度理解できました。一般には紀州鉱山と呼ばれていますが、鉱山自体は名前が其々場所ごとに名前があった模様で、江戸時代には13地区にそれぞれの坑道に○○銅山という名前がついていたようです。紀州鉱山自体の坑道の長さは約330キロメートルもあり、昔からの坑道を含むともっと大きな長さになるのでしょう。選鉱場跡を見学した後、企画展「石の中の銀座」イベントを観察、常設展示では紀和町の鉱山の歴史を興味深く知ることができました。昔の鉱山の坑道では水との闘いが大きかったようで、採掘、運搬、選鉱、坑道普請、換気、排水等グループで専門的にプロセスを担当していました。楊枝川に存在する水車谷遺跡には節の間が長い紀和竹という竹があり、坑道の空気換気に利用されました。ひとしきり展示を楽しみ、入鹿中学校近辺の空き地、兼「慈雲寺」の綺麗な石垣の下にて野外昼食&Iru Cafe(コーヒー)を楽しみました。入鹿中学校近辺に存在するという板屋断層、探しましたが、見つけられませんでした。その後は、資料館の川向こうにあるズリ捨て場に行き、ズリをハンマーで叩きに叩きました。少しはストレス解消になったでしょう。最後は、熊野酸性火成岩体の一族山・山頂近くの布引の滝を訪問して、楊枝川を下り、168号に出て帰途につきました。



1.風は冷たかったが晴天♪

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こちらの岩は「金銀鉱石」、「ぎんぐろ」と呼ばれる黒い部分に、微量の金や銀を含む2トンの原石です。昭和30年代(1955)の紀州鉱山では金の含有量は1トンあたり平均17グラム。
これは世界平均の2~3倍の含有量で、毎月300トンペースで金銀鉱石を産出していました。

3.さすがです。H学芸員さん

4.石原産業株式会社時代の選鉱場跡の絵画

5.山の斜面を利用して下方に選別する仕組み

6.廃墟と化した現在の姿に足が暫く止まる

7. 1~11号隧道まで続く発着トンネル入口

8.数万人の通勤通学に利用されていたトロッコ

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11.紀州鉱山の大蛍石

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鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に数々の名刀を残した「入鹿鍛冶」がいつ頃から紀和町の入鹿地区に移住してきたか明らかではありませんが、鎌倉時代の末期であろうと考えられています。その後、安土桃山時代に秀吉の「紀州征伐」により入鹿一族が滅ぶとともに入鹿鍛冶は和歌山県粉河に移住しました。
*真剣の展示があったはずだが、見落としたかも知れません。

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16.1 金が通る=>鉱脈

16.2 下のほうに一族山が描かれていますので、もっと北のエリアに鉱山があった模様
=>23.参照

16.3↓
703 紀州「楊枝鉱山」自然銀を献上
743 「熊野銅山」より東大寺大仏鋳造に利用
1337 紀州楊枝川「大谷銅山」の採鉱開始

17.↓
1673 紀州 湯の口村「室谷鉱山」が開削される
1802 紀州楊枝川・水車谷付近で鉱山隆盛 労働者の流入
1854 紀州「楊枝銅山」「那智銅山」が若山藩より新宮藩に委譲

18.↓
1871 新宮藩が「楊枝銅山」銅鉱の廃止届け
1873 紀州「薬師炭鉱」の採掘が始まる
1934 石原産業が諸鉱区を買収・「紀州鉱山」を開設
1944 「紀州鉱山」が軍需会社に指定・英国兵捕虜300名が就労
1978 「紀州鉱山」閉山

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1934 石原産業-紀州鉱山を開設
 ↓
1941 板屋~阿田和駅間に前兆4.7キロの架空索道を開設
 ↓
1944 軍需会社に指定 英国兵300名の就労
 ↓
1965 全盛期-3000トンの産銅量
1978 紀州鉱山の閉山

22.
紀和町の地質
紀和町には、大規模な火山活動が起こったことを示す、火成岩体(熊野酸性火成岩類)、これより古い時代に浅海底であったことを示す地層群(熊野層群)、さらに古い陸棚(りくほう)
斜面より深い海底であったことを示す地層群(日高川層群)が分布しています。そして紀和町を大きく特徴づけるものは、銅を主とする金属鉱床があって、古くから鉱山が開かれていたことです。

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紀和竹という不思議な竹があります。水車谷は楊枝川の途中にあります。

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36.綺麗な石垣です。

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38.iru cafe=入鹿fe

39.ツエノ峰を見ています。建物は入鹿中学校

40. Yさん、叩いて割って....

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43.鉱石の捨て場は太陽光発電場所に変身。

44.布引の滝へ行く途中に巨石(流紋岩か)がごろん。

45.柱状節理

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47.花崗斑岩地帯です。

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2018.01.27 00:20 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第20回 印南漁港~畑野崎一周~美浜町・煙樹ヶ浜~三尾海岸~西山管制塔
2017.12.23
第20回 印南漁港~畑野崎一周~美浜町・煙樹ヶ浜~三尾海岸~西山航空管
制塔

12.23 快晴 20名の参加
<行程予定>
印南漁港→畑野崎一周(音無川付加体地質構造・音無川の鍵層=タービダイトの堆積構造・付加体の褶曲構造など)→昼食→美浜町・煙樹ヶ浜→三尾海岸(日高川付加体・構造ユニット=スラスト・枕状溶岩など)→西山航空管制塔(珪長質凝灰岩、煙樹ヶ浜海岸の地形を遠望(ビーチカスプ等)

何かと気ぜわしい師走ですが、この日の天気は数日前からの風も無く暖かく絶好の巡検日和でした。紀伊半島の土台を成す四万十帯のうち、音無川付加体と日高川付加体について久々に南紀熊野ジオパーク学術専門委員中屋志津男氏にご指導頂きました。

<09:30>
印南漁港集合
<09:40>
四万十帯の音無川付加体・日高川付加体について中屋氏から簡潔な概要説明を受けました。
<10:00>
堤防から海側に降りると洗濯岩のような磯と、斜面に描かれた緩やかな屈曲構造の地層が目に飛び込んで来ます。ここは海底扇状地で堆積された泥岩勝ちの砂岩・泥岩互層(タービダイト)堆積の様子がとても分かり易く現れています。配布頂いた資料と照らし合わせながら外海方面に歩いて行くと、付加体の特徴である褶曲が、背斜と向斜、更に上下逆転されている軸ポイントがあり、砂岩の級化、ラミナ、生痕化石を参考に地層の上下当てクイズで盛り上がりました。次にこの海岸の特徴について、堤防から約200m離れた足元の音無川層群最下部の瓜谷層には、一般的な砂岩ではなさそうな赤と緑の岩が波打ち際に平行に並んでいる事でした。それは、海洋性岩石といわれる赤色泥岩と緑色泥岩で、地学的には鍵層と呼ばれるようです。そして、この近くの泥岩の中には拳大くらいの石灰質ノジュールも所々に混在しています。これは一般的に「古谷石(ふるやいし)」と呼ばれて、愛石家の間では有名です。この石のでき方について説明をいただきました。 
又、外海に面した所には、固結前に形成されたといわれる鋭角なシェブロン(shevron)褶曲,
箱型の共役褶曲と断層が芸術的に現れています。一体どのような屈曲の仕方なのでしょうか?見れば見るほど悩めば悩むほど頭の中は整理が出来なくトランス状態のまま、次の目的地へ向かうことにしました(既にタイムオーバ)。結局、印南町畑野崎海岸では、音無川羽六層下部と瓜谷層の見分け、地層の変形の仕方や、タービダイトについて参加者が理解を深めることが出来た一日でした。
   (※注釈 印南町畑野崎漁港から御坊市の塩屋までが海岸段丘です。)
<12:30>
各自、乗り合いにて昼食を自由行動(ドライブイン、屋外、スーパー等)で楽しみました。
<14:00>
再度、集合。
煙樹ヶ浜海岸を波打ち際まで散策し、煙樹ヶ浜のできた歴史を説明していただきました。紀伊半島では河口から海を見て、右側に砂州ができるようです。カスプ(波が打ち寄せる模様)Cuspの説明を受けたが、今回は西山からの俯瞰は時間的にできませんでした。
<15:00>
三尾海岸(アメリカ村)逢母海岸
ここの枕状溶岩には一部、石灰岩が取り込まれています。これは、海底火山の溶岩噴出時に、近辺にあった珊瑚由来の石灰岩を取り込んだ模様です。又、枕状の塊の間には泥岩が挟まり南紀熊野ジオパークサイトの枕状溶岩と比べると球状がよりはっきりしている模様でした。又、枕状溶岩の上下の見方の説明があり、実物を見て納得ができました。
断層破砕帯が海岸に東西方向に走っています。帯状の中の岩塊は断層岩と呼ばれていますが、これは付加体の横から見た模式図では一般に付加体スラストと呼ばれているものです。今回、巡検したスラストは幅30~50メートルくらいありましたが、地質図には掲載されていない、小さいスラストということでした。礫岩とかが様々に入り混じった地質で一般的にメランジュ(メレンゲと同意語)とも呼ばれています。

<16:30>
西山までは訪問できませんでしたが、各自、満足した様子で三尾・逢母海岸で解散・帰途につきました。

***古谷石(ふるやいし)とは:
日本に産する代表的観賞石の一つ。京都の加茂川石と併称されるが、歴史はむしろ古く、江戸中期、正徳(しょうとく)・享保(きょうほう)(1711~36)のころからといわれ、とくに文人墨客に深く愛好された。主産地は和歌山県西牟婁(にしむろ)郡秋津川地区から日高郡西本庄にかけての山中。いわゆる土中石で、掘り出して灰土を落とし、丹念に仕上げる。山水景石、姿石などに名品が多い。主として台座で観賞される。江戸期には紀州田辺藩の「お留め石」[村田圭司]ニッポニカより
1:今回の巡検訪問場所です

2:印南漁港に集合しました

3:晴天!とても暖かい

4:イソギク です

5:歩き出すと地層を見つけて興味深々です

6:切目崎の方を見ています

7:ハマナデシコ です

8:細いストライプ仕立ての 四万十付加体(音無川層群羽六層下部)

9:タ-ビダイトの説明(級化、ラミナー、葉理等)をしています

10:海成段丘の斜面

11:頭上はかなり崩れやすくなっています

12:座り込むと暫く動かない

13:ソールマークに生痕化石を発見!

14:ここにもあります

15:古谷石の赤ちゃんでしょうか

16:浸食されて洗濯板のような整然層

17:砂岩層が少し厚くなっています

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21:古谷石のでき方を説明しています
海溝の泥層上に水流の具合により穴ぼこができ、そこに石灰質の成分がたまって ノジュール状態になっていきます。深度3000Mあたりの炭酸塩補償深度(CCD)が関係するそうです。
(以下、Wikipediaより)Carbonate Compensation Depth, CCD
海水中においては、炭酸カルシウムは以下の式のように溶存・固化状態が変化する。

C a C O 3 + C O 2 + H 2 O ⇌ C a 2 + ( a q ) + 2 H C O 3 − ( a q )

浅深度の海中に生息する石灰質プランクトンは炭酸カルシウムの殻を形成する。プランクトンの遺骸は、深海へと沈降していく。海底の深度がCCD以浅の場合、炭酸カルシウムはあまり溶解せず、炭酸塩海底堆積物が形成される[1]。CCD以深の海中においては、上記式の右側への反応が進み、炭酸カルシウムが海中へ溶解し、炭酸塩海底堆積物が形成されなくなる。この溶解反応は低温・高圧ほど進みやすい。
CCDは、温度、圧力、イオン濃度にも影響されるが、太平洋では4,000-5,000 mであり、大西洋(5,000-5,500 m)よりも浅い。また高緯度ほどCCDは浅くなる。

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25:泥岩層が厚くなっています

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27:古谷石の小片です

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31:瓜谷層を見ています

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33:赤色・緑色部分が瓜谷層の鍵層になります

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38:不思議な褶曲です

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41:西日本の地質の押され具合を西部構造線を中心に説明中です

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48:この付近の褶曲は面白いです

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56:山形褶曲(shevron fold)の説明をしています

57:不思議ですね

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59:集合写真1

60:集合写真2

61:共役褶曲(Conjugate fold)です

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63:ステゴザウルスの背中のようです

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83:畑野崎の海岸段丘上から見た眺め、まさに洗濯板のようです

84:美浜町・煙樹ヶ浜に来ました

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87:煙樹ヶ浜が縄文時代からできた歴史を説明しています

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89:カスプの例・カラパイアより

90:石ころを見ながら、煙樹ヶ浜を退散です

91:三尾海岸に来ました

92:枕状溶岩です

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94:方解石がはさまっています

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96:珊瑚由来の石灰岩があります

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99:方解石にサンポールをかけてみました->泡立ちます

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101:横倒しになっている枕状溶岩です

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104:断層破砕帯をみています

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108:断層岩・礫がはさまっています

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110:東に向かって断層破砕帯(=付加体スラスト)の断層岩が続いています

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2017.12.23 00:08 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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