田辺ジオ塾 第3回 田辺市・新庄の歴史
2021.09.11
2021 0911 田辺ジオパーク研究会・ジオ塾3回目が開催されました。講師は田ジ研のホープ 浜田千佐子さんでした。田辺市・新庄町の歴史を、ジオを含めて紹介されました。いろいろな産業(塩田・砥石・海運等)や困難を経て発展してきた歴史が理解できました。歴史(町史・村史)を自分で調べてみるのもいろいろ発見があっていいですね。お疲れ様でした。



2021.09.11 22:06 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 小森谷赤壺探索
2021.08.29
2021 08/29 06/06から延び延びになっていました自主研修・赤壷訪問が晴天の中、実行されました。今回もジオ女のホープKKさんよりご投稿いただきました。

21年8月29日龍神小森谷渓谷 赤壺行。
中屋先生のご説明で何だか判ったような気がする 付加体コンプレックス ( 繰返し瓦のように重なる地層 )のシークエンス(連なり ) 見事!!
あのね、昔にね 深い海の中でね 陸のプレートと海のプレートとが ぶつかる所でね、お互いのプレートが地球の中へ沈みこんでたのね ( 今でもだってぇ )。 海の中にも火山があって そこから噴き上がる海洋性溶岩には、鉄やマンガンが豊かで、沈みこむ所にたまってったのね。火山は栄養あるから微生物がいっぱい生まれてその甲殻類もたまって‥‥ その内 陸の方から川が運んだ土砂も流されて来てね (ナント天竜川や大井川からだって )陸源性の砂や泥も 海の中の沈みこみの坂道を転げ落ちて 順にたまっていったんだって! で ある時 どの時かは? ( 白亜紀から古第3世紀 )だけど そのたまった層が、盛り盛りとせりあがってきてね、 積もったまんまの状態で硬い岩になったんだって!? 断層になって それを今に伝えるのが「赤壺 」の岩なんだって!赤い海洋性溶岩(チャート 鉄の量で赤い )その上に陸源性砂岩 泥岩 (炭素で黒いの )間には海の生物の殻が白い筋になってて断層は45度以下の傾きだとスラストと呼ばれるらしく、まさにココこそ付加体コンプレックスの現場だったのだ❗とってもきれぇナンダ 2種類の赤と 黒と 白筋が順に並んで岩になってる その上を緑青色の透明な川水が流れ 滝壺から魚さんが飛びはねるの(ヤマメ?イワナ?)自然林のもみじやブナやトチの葉陰の上は真っ青な空と白い雲‥‥!
自然に浄化されて 地球の気高い声を聞いて 皆さまの笑顔が有難い❗1日でした😄美しい「赤と黒」「水の色」は言い表せません。
以上です。
蝮に噛まれてふくれた手首をものともせず 岩への愛を丁寧にレクチャーして下さった 中屋先生 有難うございました❗
前日からロープ縛りの準備して下さった殿垣内( これまた素晴らしい山里、見た瞬間 涙が出ました ) の うーさん
「オーバーハングじゃないから大丈夫」と優しい笑顔で絶えずロープ降下を励ましてくれた 薬のゆーさん
もはや写真家と呼ばれていいケリー先輩、以下ジオ研の皆さま
私たちは 一緒に行くべきです。屈してはいけません❗次 どこ 行く?(ナンテ お世話になりっぱなしの私ですが😅) 田ジ研いやさか今回もごっつあんでした! 多謝

赤と黒 付加体シーク 山肌に 奇跡の連続 心して行け
キリストを 囲むがごとく ジオ男女 中屋氏が説く 大地の成り立ち

赤壺の 赤のグラデは 付加体の 大地の便り 心して聞け
オーバーハング でないのだから 大丈夫 マイフレンドと 励ますゆーさん
ゆーさんに笑顔の勇気頂いて 初めての色 赤壺の 付加体コンプ(レックス) 見てみれば 自分のコンプ(レックス) 吹き飛ぶすごさ うーさんの ロープしばりが なかりせば 降りられなかった 赤壺聖地

K先生の本に 道中の整備は最小限に❗ 苦労してたどり着いてこそ 自然の中に居るという喜びがあるのです❗とありました。観光と自然保護との共存は余程の事がないと難しいんだなぁ😄と読みました。 森林の保護の為の 維持作業が喫緊の課題( 例えば杉 檜の間伐 )ではないだろうか。



1.ヘルメット・軍手は必須 入り口で早速中屋先生の講義!

2.がれ場をもくもくと歩く さて、降りる前に腹ごしらえ

3.赤色チャートを望む うむ、なかなか映える晴天 チャートもしましま

4.全景を集めてみた

5.チャートと断層岩 メランジュ状態

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7.

8.

9.さて、退散!  うまい!


2021.08.29 11:04 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田辺ジオ塾 第2回 1889年明治大水害
2021.08.04
第2回は芝さんの担当で[1889年明治の大水害」のテーマでした。
2021.08.04 22:29 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第34回 乳様・黒尊佛巡検
2021.07.22
2021 07/22 は3月以来のタジケン公式巡検でした。
9:00 滝尻に集合。保険の支払い等。
10:00 ちちさま近くの駐車場に駐車。ちちさまを往復。
11:30 行政局駐車場に集合。大斎原(おおゆのはら)・経塚は今回パスとなった。
12:00 大津荷(おおつが)川・川口にて昼食。
12:45 黒尊佛へ出発。林道終点より、目的地まで歩行。
14:00 黒尊佛着。
15:00 林道終点。解散。
15:30 蛍石の探索。



今回は再訪になりますが、新会員の人たちのために乳様(ちちさま)と黒尊佛でした。今回は30名近くの参加、道中 道を間違えたりといろいろありましたが、無事に楽しまれた模様。最後は先生に蛍石の見つけ方を教わりました。



ちちさまは「戴いた資料抜粋」より、以下の記述があります。
張りのある豊かな乳房を思わせます。
◎江戸時代の紀伊国の地誌「紀伊続風土記」には「ちごら石」と記され、音無川の上山中にあり。堅四間横六間の石なり。
真中に乳の形ニあり。乳少き婦人立願すれば自然に乳出づといひ伝ふとあります。
「母乳に見立てた長さ1尺の12本の白い糸に、餅や菓子を添えてお供えしてお願いしたという」謂れが残っています。
子育ての神様として信仰されました。

黒尊佛の岩体は最下部には黒い熊野層群が存在し、その上部に流紋岩(石英斑岩)がが堆積されているような感です。橋杭岩と同じ貫入岩と云われています。
み熊野ネットには:
『紀伊続風土記』には「疱瘡神と崇める」「奉祭する者から村民に疱瘡護符を出す」とあります。疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)は、疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神。疱瘡(天然痘)は、非常に強い感染力と高い致死率のために恐れられた感染症です。天然痘に対する免疫を持っていない人への感染率は100%に近く、感染した場合の致死率は20〜50%。
 今では天然痘はワクチンのおかげで根絶しましたが、昔は神仏に祈る他なかったのでしょう。天然痘にかからないように、かかったとしても症状が軽く済むように、との願いをもっぱらに聞き入れてくれるのが疱瘡神でした。疱瘡神に祈ると疱瘡をまぬがれる、あるいは軽く済むと信じられました。


1.

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3.
2021.07.22 20:41 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 日高郷土学参加 
2021.07.16
順延になっていました日高郷土学・鹿ヶ瀬(ししがせ)峠探訪に自主研修として参加させていただきました。ジオ女子が多く参加され、たまに小雨でしたが、とても賑やかな参加となりました。
ここは熊野古道の一部であり、まだ世界遺産の登録はされていないようですが、コースとしては最短に行程をうまく利用しており、石畳も巾が広く、風情があるコースです。
ここの地盤は前弧海盆堆積体に類似の地盤で寺杣(てらそま)層と呼ばれています。白亜紀(9000万年~6600万年)のあたりのアンモナイトが隆盛だった時代の大陸棚の地層と云われています。今回は、地層の巡検機会はありませんでしたが、アンモナイトのある露頭を見る機会があれば再訪したいと思います。(至準化石は イノセラムス・アンモナイト)

2021.7.16紀伊路 金魚茶屋からレポート by KK
お早うございます。
7/16 日高郷士学 、金魚茶屋跡を訪ねる の感想文です。
ハマボウの黄花群生を境に 雨を貯めた川の水は まったりと 翡翠色に膨らんでいた。
日高川を離れ支流を山へと車は 向かう。御坊町中 ( 初めて訪れて 田辺市内とは違うインフラ整備の良さに驚きながら鹿ヶ瀬峠の山道へと続く熊野古道を走る。 川沿いの人家に趣きあり、田の稲は30~40㎝背丈の緑をツンツン匂わせて 刈入れの頃を思わせる。
明るい森に降る涼雨を きのこはその体をそらせて 受けとめている と穴にもぞもぞする 玉虫色のフンコロガシの青が光る 田辺の方角の山際が明るくなったのだ そして瞬時に暗く また明るく繰り返す雨の中を歩く。立ち並ぶ杉は20m 幹幅50㎝ 「切り時来とるけど 伐採しても下まで運べんやろから このまま参道を守る木々として 残っていくんやろうなぁ 」と木材に詳しそうな男性が教えてくれる。
山道の幅は広く 敷石は 昔の人々が凹凸のついた自然石で敷いてくれている為 歩き易い それでも苔に時折 足をとられるので要注意。
随所に見られる石垣が良い。三段丘になった寺院跡地前広場は しだれ桜の枝振りよろしく 黒澤明監督の「夢 」に出てくる 雛壇の五人囃子が聞こえてきそうな明るさがある。霊験が現れたところに 王子社が つくられたらしい‥‥とすれば‥‥
林中に鹿こたえ ( 定家も歩いた )峡谷に猿叫ぶ ( 比叡山の僧も、若い娘も、何かをなくした者たちも )山中の宿場には どんな霊験な物語があったのか?
たぶ(椨)の大木の根元にたつ馬頭観音→木の種類間違ってたらご免なさい← 3つのお顔と8つのお手が 有りてっぺんのお馬さんの横顔は 熊野の方を向いている。
痔の神地蔵にまつわる話、鹿ヶ瀬峠のてっぺんに立つ 法華の壇の話、ドクロの赤い舌から響く貴いお経の声を つなぐ祭が 今も里人の手で行われているとか (コロナはこれにも邪魔をする )。熊野詣でする人びとを幾度 見送ったのか 金魚茶屋跡地には 2018年の台風で倒れた桜の大木。苔むした太幹の先には たっぷりした枝々が 青々と葉を繁らせているので その梢だけを見れば 来春の花の華やぎが聞こえてきそうな矛盾。 その表裏一体。明るいのだ ここは‥‥
この道を通った人生の矛盾を 明るく迎えてくれた森なのだ。
本日の天気雨の中 幻のおひな様が笑う錯覚に元気を頂きましたわ、と言うと「今は 猪 鹿 蝶ですわ‥‥とウグイスが鳴いてくれてます 」冗談の中に本当を 混ぜて笑わせてくれた会長の平井さん、老松という幻の名酒を思いつつ、古道ガイドの美女の熱意に感謝して本日もごっつあんです の旅有難うございました!
-久々でしたので 笑い過ぎて腹筋痛し梅雨の汗-
でした。私は「金魚茶屋」の建物が残っているのか と思って楽しみにしてたのですが その跡形無しで、妄想が膨らまず です。折角カロリー消費したのに 帰り道で 宇治金ソフトクリーム添えかき氷なんて食べてたのは誰❔ ビールはないんかい?などとすごんでたのは誰❔ どうもすいません。

1.日高町文化財史跡 題目板碑(いたび)
前の梅畑は、法華堂跡(八代将軍德川吉宗やその生母浄円院が帰依した広川町養源寺の源流とも云われている)で、この跡地にあった板碑(いたび)をここに移したものである。右より一号碑に永享□口、ニ号碑に嘉吉二年(1442年)、三号碑に永享八年(1436年)、四号碑に寛正二年(1461年)の年号が入っている。いずれも室町時代のもので、郡内
でも最も古い板碑の一つとされている。  日高町教育委員会

2.つづら折れの石畳が現れました。ここが従来の石畳だそうで、石が平らに割って敷設してあるので歩きやすい感じです。坂の途中にはタブの木の巨木が数本あり、必見です。

3.小峠から小城山(おしろやま)をトラヴァースして、大峠に到着です。この大峠付近が
鹿ヶ瀬峠と云われているようです。昔は、茶屋が3軒くらいあったようです(看板より)

4.大峠にて昼食。法華の檀の妖怪の話を伺いました。 集合写真をパチリ。

2021.07.16 14:49 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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