田ジ研自主研修 越戒の滝etc訪問
2022.08.03
2022 0803 10:00 4名が 道の駅 ごまさんスカイタワーに集合。2台(1台は4WDの軽トラック)で途中まで、その後は軽トラで現地まで300メートルほど降下。
越戒の滝は時間をかけてロープを利用して滝つぼまで降りて、十分涼味を堪能、その後上流の
ふたつの川の出会い地点でランチ。その後、三段の滝、衛門嘉門の滝まで歩行。衛門嘉門の滝は見た目より大きいことがわかった。ここでも涼味を堪能して、帰途についた。15:00前に道の駅着。
くろごまソフトクリームの甘味を楽しんだ後、お開きとした。
地層の観察は時間がなくて十分できず、次回に持ち越し。ここは美山付加コンプレックス・護摩壇山ユニットM2b
砂岩頁岩互層 だがチャートとかもありそう。




2022.08.03 00:52 | 固定リンク | 研究会活動履歴
ロケットガイド講座・講演会
2022.07.16
2022 0716 ロケットガイド講座
今回はジオ塾でしたが、首記の講座を串本観光協会経由にて、開催いたしました。
南紀熊野ジオパークガイドの仲江氏により、わかりやすく講演されあした。
先月、今月と宇宙に関係するテーマになりました。14名と少し少なめの聴講でしたが、
応援サイトが開かれており、早速登録をしている模様です。パンフはまるわかりブックになっており、ロケットの原理、ロケットのパワー、その他をわかりやすく説明されています。
2022.07.16 23:23 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第39回 白浜町志原海岸散策
2022.07.02
第39回 白浜町志原海岸散策

2022 0702 今日は田辺ジオパーク研究会 第39回公式巡検 近場の白浜町志原海岸 田辺層群の綺麗な地層のたおやかな傾斜を楽しみつつ広大な海蝕棚の歩行、熱暑の中清掃も含めて大変お疲れ様でした。曇りで日差しが余りなかったのが幸いでした。生痕化石の多さと共に、広さに改めて感動です。27名の参加でした。



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2022.07.02 22:17 | 固定リンク | 研究会活動履歴
2022.0618 田辺ジオ塾 第11回 遠い宇宙に手を伸ばす
2022.06.18
2022 0618(Sat) 第11回ジオ塾開催

昨年から始まったジオ塾(会員同士の勉強会)も、昨日で第11回目となりました
講師はR・Kちゃん
(ファミリーでサポート)
「遠い宇宙に手をのばす」
(胸に響くタイトル)
キラキラ好きから
地球の鉱物、更に宇宙
ビッグバン、元素記号、実験etc・・・!👀✨
小1からのシリーズとか
小学4年とは思えない
しっかりした口調で
スラスラと発表👀♪
今回の会議出席者は
過去最高だー(笑)
じい様ばあ様たちの
惜しみ無い拍手喝采
👏👏👏
タジケンのジオ塾は
イッキに
ハードルが高く
たかーく羽上がった
感ありあり(笑)
今後の展開がとても
楽しみだなぁ✨🤩
Rちゃんに質問
今年の夏休みも
続けるの? 
「うん!楽しいから🎶」
第12回目は8月20日
さてさて次の講師は
・・・(笑)プレッシャーですね

今回、アエンデ(Allende)隕石のことを初めて知った人が多いのではないかと思います。
    ↓
1969年2月8日、 現地時間の午前1時に、 メキシコのAllende近郊に落下した隕石です。 落下の際には周囲が明るくなるほどの大火球が目撃され、爆発音で村人が目を覚ましたといいます。 全部で2トン以上の隕石がバラバラになって落下し、その範囲は150平方キロメートル以上に及びました。 白い部分は、 CAI(Ca-Al rich Inclusion) と呼ばれる、カルシウムとアルミニウムの多い物質。 太陽系が超新星爆発のガスなどが集まってできはじめた、 最初の高温の段階でガスから凝縮した塵。 これが、 45.66億年前に固まった太陽系で最も古い物質であることがわかった。 地の黒い部分には、水や、 アミノ酸などの有機物が含まれている。
コンドリュールと呼ばれる、 丸っこい鉱物の粒もある。 これは真空中に飛び散ったマグマの水滴のようなものと考えられている。 アエンデ隕石は、 CAIの他、 太陽系外物質の発見や、アミノ酸の検出により、 生命の起源の問題にまで謎を投げかけた、 1969年落下の有名な隕石。 小惑星同士の衝突によってそこから飛びだした破片が、 アエンデ隕石となって地球に落ちてきたものと考えられます。

2022.06.18 23:02 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田辺ジオ塾 第10回 白浜・南方熊楠記念館が出来るまで
2022.05.21
2022 0521
第10回 田辺ジオパーク研究会 ジオ塾は、
山本氏による 南方熊楠シリーズ第2弾 白浜 「南方熊楠記念館が出来るまで」山本 享一

1941年 (昭和16)12月29日 南方熊楠死去 (75歳)。
1946年 (昭和21)1月30日 岡本清造 (42歳) 南方文枝 (34歳)と結婚。
1946年3月 清造水産講習所(農林省42年1月から) 教授を退官し、4月22日日本大学経済学部講師に。
二人は東京の2K公団アパートに住み、 春夏冬休みに田辺に帰郷。
1946年9月14日 日本大学経済学部助教授、清造42歳。
1947年 (昭和22)2月 財団法人水産研究会創設。 清造評議員就任。 (村山敏三会長、 渋沢敬三顧問)
1947年9月29日
日本大学経済学部教授、清造 43歳。
1947年10月28日
ミナカタソサエティ設立準備会開催。
1948年2月17日 渋沢敬三、 南方邸を訪れる。
午後4時30分より中屋敷町興起無尽会社二階で、 雑賀貞次郎開催の辞 渋沢敬三 「南方先生の学会に尽くされた業績について」 講演、 那須孫次郎 「ミナカタ・ソサエティ支部設立」 につき提案。
1948 (昭和23)6月1日 ミナカタソサエティ設立。
代表 渋沢敬三(元大蔵大臣、日銀総裁)。
 野村吉三郎 (元駐米大使、元海軍大将、学習院院長) 清造の母の弟。
 片山哲(元内閣総理大臣)佐藤春夫 (作家)佐竹安太郎 (元東北大学長)
1949年10月1日 岡本清造著で 「岳父・南方熊楠」を平凡社から出版。
1949年10月4日 日本大学60周年記念祝典にて、 南方熊楠遺稿。
「日本産高等菌類図譜」 ほか七点を展示、 展示品と献上品、 田辺まで取りに帰る。
清造 天覧の説明と南方熊楠翁の遺業につき、 御下問に答え奉り候。
1951年 (昭和26)5月 南方熊楠全集出版 (乾元社)。
1951年5月24日~30日 南方熊楠展 東京三越で開催。
7月2日~14日 南方熊楠展 (大阪三越)
8月25日~9月2日 南方熊楠展 (神戸三越)
12月6日~10日 南方熊楠展 (和歌山県立図書館)
1952年 (昭和27)1月11日~15日 南方熊楠展 (田辺市公会堂)、5日間で26,000人入場。
1952年5月10日~15日 南方熊楠展 (名古屋市丸栄百貨店)。
各展示会はミナカタソサエティ主催で行われた。
1953年 (昭和28)6月26日 田辺市観光協会総会で、 南方会館の建設促進決定。
1954年 (昭和29)2月26日 南方会館建設委員会発足。
1956年 (昭和31)1月10日 南方記念館建設委員会結成。 会長に那須市長
事務局長に庄田市教育長 総額1千万円
1961年(昭和36) 事務局長に松山教育長。 図書館との併設案。 観光協会建設促進から8年経過、記念館建設委
員会会長那須市長から5年経過したが、 起工できず。
1962年(昭和37)12月3日 白浜番所山植物園に南方熊楠記念館建設計画案。
1963年 (昭和38)3月18日 南方熊楠記念館設立趣意書。
記念館設立発起人会
顧問
野村吉三郎、 小泉信三、 片山哲、 佐藤春夫、 渋沢敬三、 町田義友
会長
小野真次(知事)
副会長
大橋正雄 (副知事) 南方常太郎(南方本家)、 森慶三 (公室長)、 榎本林作 (園長)
室谷文男 (県企画部長)
浦政吉 岡本清造、 林一夫、 古屋才兵衛
幹事
監査 野見千吉 (田辺市長)、 南和七(白浜町長)、 中澤哲夫 ( 県会議長)
南方熊楠記念館建設目論見書
一、 記念館建築費 2,400万円 一、 内部設備費 350万円 一、天皇御歌碑建立費 100万円
一、 設計その他準備費 120万円 一、 創立費 30万円  合計 3,000万円

1965年 (昭和40)4月1日 南方熊楠記念館開館 設立後2年で完成。 清造 61歳。
昭和天皇の歌碑1962年5月 (昭和37)。 南方記念館玄関前に設置。
雨にけふる 神島を見て 紀伊の国の生みし 南方熊楠を思ふ
南方熊楠の歌碑1929年6月1日 (昭和4) 熊楠 62歳。
一枝も心して吹け沖っ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ
1977年 (昭和52)5月 岡本清造が南方と改姓。 1978年 (昭和53) 日本大学経済学部名誉教授。
1979年 (昭和54)7月15日 死去。 勲三等叙勲 (75歳)。 日本大学で初めて。
南方熊楠 岡本清造没後の協力者
荒俣 宏 (博物学者) 中沢新一 (宗教学者) 鶴見和子 ( 民俗学者)
水木しげる (漫画家) 南方文枝 ( 熊楠長女 )
樫山嘉一 (1888~1963 元岡小学校校長) 夫婦、 樫山茂樹 (嘉一長男)
中瀬喜陽(ひさはる) (南方熊楠顕彰館初代館長)
2006年(平成18)5月14日 南方熊楠顕彰館開館 田辺市の建設委員会発足から50年で完成。
岡本清造文枝
熊楠の娘文枝の夫で、日本大学経済学部教授の岡本清造は、南方家の一員として資料の整理・調査に努め、
南方熊楠記念館 (白浜町) の建設にも尽力。 「白浜のように記念館を建て、それに資料を展示して多勢の人に
見てもらう・・・(田辺は) ひたすら研究に没頭するなどの精神的な面を昂揚する… 田辺はなんといっても本家ですから、 ここへ精神修養の場を建て、 ここへも遺品を展示して青年らがあつまり、南方の気風をしのんでもらう場としたい・・・・」 と岡本は語っています。 南方熊楠顕彰館に夫婦写真入りで常時展示。

秋刀魚の歌 (佐藤春夫 )
男ありて あわれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ
今日の夕餉 (ゆうげ)にひとりさんまを食(くら) ひて思ひにふけると
・今日の夕餉にひとり さんまを食ひて 涙をながすと さんまさんま さんま苦いか塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせ さんまを食ふはいづこの里のならびぞや
あわれげにそは問はまほしくかし
※佐藤春夫記念館 佐藤春夫 1892年(明治25)4月9日~1964年 (昭和39)5月6日


2022.05.21 23:31 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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