田辺ジオ塾 第10回 白浜・南方熊楠記念館が出来るまで
2022.05.21
2022 0521
第10回 田辺ジオパーク研究会 ジオ塾は、
山本氏による 南方熊楠シリーズ第2弾 白浜 「南方熊楠記念館が出来るまで」山本 享一

1941年 (昭和16)12月29日 南方熊楠死去 (75歳)。
1946年 (昭和21)1月30日 岡本清造 (42歳) 南方文枝 (34歳)と結婚。
1946年3月 清造水産講習所(農林省42年1月から) 教授を退官し、4月22日日本大学経済学部講師に。
二人は東京の2K公団アパートに住み、 春夏冬休みに田辺に帰郷。
1946年9月14日 日本大学経済学部助教授、清造42歳。
1947年 (昭和22)2月 財団法人水産研究会創設。 清造評議員就任。 (村山敏三会長、 渋沢敬三顧問)
1947年9月29日
日本大学経済学部教授、清造 43歳。
1947年10月28日
ミナカタソサエティ設立準備会開催。
1948年2月17日 渋沢敬三、 南方邸を訪れる。
午後4時30分より中屋敷町興起無尽会社二階で、 雑賀貞次郎開催の辞 渋沢敬三 「南方先生の学会に尽くされた業績について」 講演、 那須孫次郎 「ミナカタ・ソサエティ支部設立」 につき提案。
1948 (昭和23)6月1日 ミナカタソサエティ設立。
代表 渋沢敬三(元大蔵大臣、日銀総裁)。
 野村吉三郎 (元駐米大使、元海軍大将、学習院院長) 清造の母の弟。
 片山哲(元内閣総理大臣)佐藤春夫 (作家)佐竹安太郎 (元東北大学長)
1949年10月1日 岡本清造著で 「岳父・南方熊楠」を平凡社から出版。
1949年10月4日 日本大学60周年記念祝典にて、 南方熊楠遺稿。
「日本産高等菌類図譜」 ほか七点を展示、 展示品と献上品、 田辺まで取りに帰る。
清造 天覧の説明と南方熊楠翁の遺業につき、 御下問に答え奉り候。
1951年 (昭和26)5月 南方熊楠全集出版 (乾元社)。
1951年5月24日~30日 南方熊楠展 東京三越で開催。
7月2日~14日 南方熊楠展 (大阪三越)
8月25日~9月2日 南方熊楠展 (神戸三越)
12月6日~10日 南方熊楠展 (和歌山県立図書館)
1952年 (昭和27)1月11日~15日 南方熊楠展 (田辺市公会堂)、5日間で26,000人入場。
1952年5月10日~15日 南方熊楠展 (名古屋市丸栄百貨店)。
各展示会はミナカタソサエティ主催で行われた。
1953年 (昭和28)6月26日 田辺市観光協会総会で、 南方会館の建設促進決定。
1954年 (昭和29)2月26日 南方会館建設委員会発足。
1956年 (昭和31)1月10日 南方記念館建設委員会結成。 会長に那須市長
事務局長に庄田市教育長 総額1千万円
1961年(昭和36) 事務局長に松山教育長。 図書館との併設案。 観光協会建設促進から8年経過、記念館建設委
員会会長那須市長から5年経過したが、 起工できず。
1962年(昭和37)12月3日 白浜番所山植物園に南方熊楠記念館建設計画案。
1963年 (昭和38)3月18日 南方熊楠記念館設立趣意書。
記念館設立発起人会
顧問
野村吉三郎、 小泉信三、 片山哲、 佐藤春夫、 渋沢敬三、 町田義友
会長
小野真次(知事)
副会長
大橋正雄 (副知事) 南方常太郎(南方本家)、 森慶三 (公室長)、 榎本林作 (園長)
室谷文男 (県企画部長)
浦政吉 岡本清造、 林一夫、 古屋才兵衛
幹事
監査 野見千吉 (田辺市長)、 南和七(白浜町長)、 中澤哲夫 ( 県会議長)
南方熊楠記念館建設目論見書
一、 記念館建築費 2,400万円 一、 内部設備費 350万円 一、天皇御歌碑建立費 100万円
一、 設計その他準備費 120万円 一、 創立費 30万円  合計 3,000万円

1965年 (昭和40)4月1日 南方熊楠記念館開館 設立後2年で完成。 清造 61歳。
昭和天皇の歌碑1962年5月 (昭和37)。 南方記念館玄関前に設置。
雨にけふる 神島を見て 紀伊の国の生みし 南方熊楠を思ふ
南方熊楠の歌碑1929年6月1日 (昭和4) 熊楠 62歳。
一枝も心して吹け沖っ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ
1977年 (昭和52)5月 岡本清造が南方と改姓。 1978年 (昭和53) 日本大学経済学部名誉教授。
1979年 (昭和54)7月15日 死去。 勲三等叙勲 (75歳)。 日本大学で初めて。
南方熊楠 岡本清造没後の協力者
荒俣 宏 (博物学者) 中沢新一 (宗教学者) 鶴見和子 ( 民俗学者)
水木しげる (漫画家) 南方文枝 ( 熊楠長女 )
樫山嘉一 (1888~1963 元岡小学校校長) 夫婦、 樫山茂樹 (嘉一長男)
中瀬喜陽(ひさはる) (南方熊楠顕彰館初代館長)
2006年(平成18)5月14日 南方熊楠顕彰館開館 田辺市の建設委員会発足から50年で完成。
岡本清造文枝
熊楠の娘文枝の夫で、日本大学経済学部教授の岡本清造は、南方家の一員として資料の整理・調査に努め、
南方熊楠記念館 (白浜町) の建設にも尽力。 「白浜のように記念館を建て、それに資料を展示して多勢の人に
見てもらう・・・(田辺は) ひたすら研究に没頭するなどの精神的な面を昂揚する… 田辺はなんといっても本家ですから、 ここへ精神修養の場を建て、 ここへも遺品を展示して青年らがあつまり、南方の気風をしのんでもらう場としたい・・・・」 と岡本は語っています。 南方熊楠顕彰館に夫婦写真入りで常時展示。

秋刀魚の歌 (佐藤春夫 )
男ありて あわれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ
今日の夕餉 (ゆうげ)にひとりさんまを食(くら) ひて思ひにふけると
・今日の夕餉にひとり さんまを食ひて 涙をながすと さんまさんま さんま苦いか塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせ さんまを食ふはいづこの里のならびぞや
あわれげにそは問はまほしくかし
※佐藤春夫記念館 佐藤春夫 1892年(明治25)4月9日~1964年 (昭和39)5月6日


2022.05.21 23:31 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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