田辺ジオ塾 第9回 ジオサイト・和歌山城
2022.04.17
2022 0416 は、第9回目のジオ塾と2年ぶりの対面での総会(兼定例会)が開催されました。ジオ塾のお題は、「ジオサイト・和歌山城」by渡瀬氏。
和歌山県にはジオパーク又取り組みを行っているジオパークはあるが、紀北の三波川帯変成岩帯は含まれていない。大まかに言うと紀北の変成岩・紀中の堆積岩・紀南の火成岩に大別される。和歌山城は結晶変岩を中心に変成岩を観察できる絶好のサイトである。
1:和歌山城の歴史
2:和歌山城の石垣概要 転用石・積み方
3:変成岩帯(三波川変成帯と領家変成帯) 中央構造線・青石の分布
4:さまざまな結晶変岩(緑泥変岩・石英変岩・紅簾変岩・赤鉄変岩・砂質変岩・泥質変岩・石灰質変岩 
5:堆積岩の種類 生物岩等
6:和歌山城の石垣の砂岩(和泉砂岩)はどこから? 和泉層群
7:石垣に「コダイアマモ」の化石 生痕化石?
8:泉州石工(センシュウイシク)の活躍 和泉砂岩の細工
9:火成岩の種類 深成岩等
10:和歌山城石垣の火成岩は? 熊野石
11:見つけた!「緑泥片岩と石英片岩の境界」 虎伏山の構造
と てんこ盛りの内容。
休憩の後、総会でした。講演会は残念ながら、延期となりました。
お疲れ様でした〜。


2022.04.17 11:18 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 みなべ町・高野の枕状溶岩 
2022.04.13
2022 0413 晴天の中、みなべ町・高野の枕状溶岩の観察自主研修でした。
紀伊民報 Y氏が参加されました。

2022 0413 雨が心配でしたが、スッキリと晴れて待望の自主研修となりました。
10時に左田(さだ)峠に精鋭6名が集合、3/21に発見した「みなべ町・高野の枕状溶岩」(まだ仮称)への自主研修でした。12時に430峰に着、ランチの後、少し南の方向に急坂を降り、約2時間近く溶岩とふたつの試掘坑道を探検。これらの坑道は1822年に当時の山師により金を求めて試掘された模様で、高野村に偲話として残っているようです。山師がいたから、この枕状溶岩が発見されたということにもなりますから、感謝しないといけないですね。模式図を写真にいれましたが、結構巨大な溶岩跡、相当風化したものと思われますが、直径1メートル以上の溶岩枕が残っており、同行されたW氏も凄いを連発しておりました。御坊・十津川スラストの一部であり、龍神行政局の前、東は玉置山に通じます。7時間近くの歩程でしたが、それぞれ久しぶりに悠久の露頭痕跡を見て満足の模様で、最後にノンアルワインで乾杯してお開きでした。お疲れ様でした。

2022 0419(火)紀伊民報に掲載されました。=>紀伊民報 山本様、お世話になりました。

山林に海底火山の名残
みなべ 大規模な「枕状溶岩」

みなべ町高野の山林で、海底火山の活動によってできた「枕状溶岩」が広範囲にわたって地表に露出しているのを田辺ジオパーク研究会のメンバーが見つけた。枕状溶岩は、紀伊半島南部の各地にあり、奈良県十津川村の玉置山がよく知られている。それに匹敵する大きな規模で、メンパーは紀伊半島の成り立ちを知る上での観察地として注目している。
確認したのは、元高校教諭で地域史に詳しい阪本敏行さん(73)=南部町東吉田と高城公民館館長の久保正一さん(73) =同町高野、南紀熊野ジオパークガイドの上森安さん(71)=田辺市龍神村龍神。
阪本さんは県南部の鉱山跡を調査研究しており、高野に金山(かなやま)と呼ばれる鉱山跡があることを知り地元の山に詳しい久保さんに案内を依頼。地質に詳しい上森さんも加わり、3月下旬に訪れたところ、鉱山跡周辺の岩が、マグマ由来の火成岩の一種である玄武岩で、形状から枕状溶岩であることが分かった。今月13日には、元高校地学教諭で町文化財審議委員の渡瀬敏文さん (68) =みなべ町東本庄=も加わって再調査した。岩は斜面にあり、延長約100M、縦幅約50Mの範囲内で何カ所か露出している。 表面は風化が進んでいるが、枕状溶岩の特徴である枕や米俵のような丸みを帯びた形状の部分が、いくつも確認できた。丸みの部分の直径は最大で1メートルほどあった。
枕状溶岩は、海底火山から噴き出したマグマが海水で急激に冷やされ、丸くなって積み重なってできた岩。それが海洋プレートに乗り、途方もない年月をかけて運ばれたことで、陸地でも見られる。中でも玉置山は有名で、玉が連なっているように見えることが「玉置」の由来とされる。神社の奥の院「玉石社」のご神体は溶岩石といわれる。玉置山もみなべ町高野も、紀伊半島南部の土台をなす「付加体」のうちの「日高川層群龍神層」と呼ばれる地層。同じ地層だけに同じような性質の岩が見つかってもおかしくないという。上森さんは「紀伊半島南部の各地で枕状溶岩を見たことがあり、玉置山が一番規模が大きいと思うが、高野はそれに匹敵するのではないか」、渡瀬さんは「近場でこのような貴重な地質が見られることに驚いた。ダイナミックな地球の営みを感じ取ることができる」、阪本さんは「かつての山師(やまし)はこれを知っていて、鉱物を探しに来たのではないか。恐竜が生きていた時代の地層だと思うとロマンを感じる」と話す。
金山鉱山跡の場所は、みなべ町と印南町の境界にある左田峠とみなべ町熊瀬川の行者山との中間辺り。久保さんは「枕状溶岩を見てもらうような企画ができればと思う。尾根筋の山道は趣があり、修験の場だった行者山とともに訪れてもらいたい」と観光資源|としての活用にも期待する。

経緯:
2021 白浜・番所山でのガイドにて山の紹介をしたが、みなべの三里ガ峰近くにある少し秀麗な行者山という山を知り、調査を始めたのがとっかかりであった。みなべ町・行者山付近の金(きん)鉱山跡の話題をネットで検知 shotanさんが調査しているのを知る。







2022.04.13 23:00 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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