第31回 上秋津奇絶峡 巡検
2020.10.04
10月4日(日曜)第31回田辺市奇絶峡付近巡検より
川上神社から往復6㎞ウォークでした。
川上神社は以下、和歌山県神社庁 から詳細参考可能です。
https://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=7015
昨今、この付近では
2019年7月28日斜面崩壊で通行止め
2020年3月27日から通行可能
2020年7月4日から強い雨が断続的に降り続き小規模斜面崩壊が発生している場所です
美味しく有名な上秋津特産のミカンの香りをお供に川中口発電所跡を見学
http://www.suiryoku.com/gal.../wakayama/kawnakg/kawnakg.html
その後、通称「奇絶峡」と呼ばれる不動(赤城)の滝から堂本画伯の原画「摩崖三尊大石仏」に到着
少し上流の東屋では昼食後にゴミ拾いと草木の整備作業も行い あれよあれよという間にすっきり仕上がりました。
この付近一帯の地層は、音無川層群上部層(羽六層上部)で、吉野熊野国立公園の一部にも指定されています
水路跡をたどりながら奇絶峡トンネル手前の堰堤跡まで歩を進めてきました
2018年11月30日の当会活動履歴も紹介させていただきます
http://tajiken.org/cafe/html/mon/201811-1.html
* とても参考になるサイト->> :上秋津愛郷会 上秋津(古老は語る)
https://aigoukai.akizuno.net/kamiakizu.html
https://akizuno.net/adata/korouwakataru/korou000.html
1.上秋津にもミカン農家さんが多い ミカンの種類は何かなー
2.古くは流鏑馬の行事もあったという元河上大明神・川上明神社
3.境内にはオガタマノキ・ヒイラギ・クスノキなどが顔を出しています
4.地理院地図にはまだ水路・発電所マークが残っています。
5.川中口発電所の歴史
川中口発電所は明治45年5月当時の有法により設立された「川中水電合資会社」を継承した「秋津用水力電気株式会社」により建設され、大正7年7月23日に出力120kwで運転を開始した。
川中口発電所の水路は急峻な岩山地形の中を約2.4kmにも及びその中でも岩山をくり貫いた素掘りのトンネル
や水路、谷に架けた水路橋など先人の苦労と忍耐力、エ事を完遂しようとする熱意を感じさせられる。
発電所本館取水口壤堤(取水ダム)それ以来「周参見川水力電気株式会社」「東邦電力株式会社」「関西配電株式会社」さらに昭和26年に「関西電力株式会社」とその所属は何度も変遷を繰り返しながらも、変わることなく自然エネルギーを有効利用して地元の地域を照らし続けるという使命を全うした。
運転開始 1918年(大正7年) 7月23日
認可出力 最大120ky
使用水量0.156 m3/s
有効落差95 45m
廃止年月2004年(平成16年) 2月3日
発階機型式 同期発電機
水車型式 フランシス水車
6.フランシス水車です
7.川中口水力発電所
明治四十四年3月、上秋津村 丸山源次郎、鈴木喜三郎の両氏は奇絶峡にベルトン式又はタービン式水車を設備して、精米と製粉事業を始めようとした。そして大正元年の12月、丸山氏他4名で川中水力電気合資会社を設立。電気事業法の許可を中請し、大正三年許可を受けた。その後、大正五年秋津川水電株式会社一(資本金5万円)は、その権利を継承して工事を行い、大正七年七月点灯を開始した。 出力は百六十キロワットで、上秋津.下秋津,稲成,万呂,三柄,長野,栗栖川,上芳養.高城.清:各村に配電された。この会社はそれから、周参見水力電気.東邦電力.関西電力などの各株式会社へと経営譲渡し、現在に至っている。奇絶峡整備委員会
8.運開当時使用されていた部品
9.20109年7月28日午後5時45分ごろ大規模な斜面崩壊が発生した場所 幸いにも人的被害なし
10.山のてっぺんに鷹ノ巣城跡あり 衣笠城城主愛洲八郎源経信七世の孫が南朝に味方して築く
10'.
11.水流が急に速くなる場所
12.地元S氏の説明に耳を傾けています
13.お馴染みの赤い橋は奇絶峡のシンボルになっている
14.不動明王を祭る不動滝は 赤城滝とも呼ばれます
15.堂本印象の魔崖三尊大石仏 近くまで行けます
16.寄り道組が数名いたので 全員集合ならず;
17.「今までこんなにゆっくり奇絶峡を楽しんだ事無かったよー!」(参加者の声より)
18.クイズ この砂と海側の砂とどのように違うかな?
19.夏場はとても涼しく孫守りにちょうど良い場所です
20.この日の水量はそこそこ多い方でしたね
21.あ!紅藻見っけ
22.摩崖三尊仏の一つをチラリと覗きながらウォーク
23.山口誓子の句碑「み仏の肩に秋日の手が置かれ」
24.まるで大男の足跡が残っているような大岩もあります
25.これこれ! ・・・うーん 掘られた跡にも見えないことはないが・・・
26.この付近は役行者の修行の場だったらしい 修行者の中には焼石を喰う奇人も居たとか
27.天の岩戸に似た扉型の岩壁があるようですがどこだかわかりませんでした。
28.赤城の滝から少し上流のあづまやに到着 お弁当タイムはいくつになっても楽しい♪
29.食後は付近をボランティア清掃で身体を動かして気持ちの良い汗もかきかきくけこ
30.オーバーハングになった厚層砂岩の大岩に 水はけ用の管?がたくさん見える
31.昔この付近の石はお殿様の石塔に使われたので、ブランド石だったようですね
32.奇絶峡を過ぎて最初の橋の名前 地元の方々は「かわなかばし」と呼んでいます
33.橋を過ぎた川中にも大きな岩が転がっていました
34.川中口発電所が稼働していた時、ここにダムが造られていた
35.昔遊んだ羽つきの羽根のようなクサギの花と実 名前の割には可愛い♡
36.ヌルデの葉っぱと実 ハゼと同じ仲間なのでかぶれるようです
37.タデ科イヌタデ属のイシミカワよくよく見るとお皿の上に月見団子が乗っているような♡
川上神社から往復6㎞ウォークでした。
川上神社は以下、和歌山県神社庁 から詳細参考可能です。
https://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=7015
昨今、この付近では
2019年7月28日斜面崩壊で通行止め
2020年3月27日から通行可能
2020年7月4日から強い雨が断続的に降り続き小規模斜面崩壊が発生している場所です
美味しく有名な上秋津特産のミカンの香りをお供に川中口発電所跡を見学
http://www.suiryoku.com/gal.../wakayama/kawnakg/kawnakg.html
その後、通称「奇絶峡」と呼ばれる不動(赤城)の滝から堂本画伯の原画「摩崖三尊大石仏」に到着
少し上流の東屋では昼食後にゴミ拾いと草木の整備作業も行い あれよあれよという間にすっきり仕上がりました。
この付近一帯の地層は、音無川層群上部層(羽六層上部)で、吉野熊野国立公園の一部にも指定されています
水路跡をたどりながら奇絶峡トンネル手前の堰堤跡まで歩を進めてきました
2018年11月30日の当会活動履歴も紹介させていただきます
http://tajiken.org/cafe/html/mon/201811-1.html
* とても参考になるサイト->> :上秋津愛郷会 上秋津(古老は語る)
https://aigoukai.akizuno.net/kamiakizu.html
https://akizuno.net/adata/korouwakataru/korou000.html
1.上秋津にもミカン農家さんが多い ミカンの種類は何かなー
2.古くは流鏑馬の行事もあったという元河上大明神・川上明神社
3.境内にはオガタマノキ・ヒイラギ・クスノキなどが顔を出しています
4.地理院地図にはまだ水路・発電所マークが残っています。
5.川中口発電所の歴史
川中口発電所は明治45年5月当時の有法により設立された「川中水電合資会社」を継承した「秋津用水力電気株式会社」により建設され、大正7年7月23日に出力120kwで運転を開始した。
川中口発電所の水路は急峻な岩山地形の中を約2.4kmにも及びその中でも岩山をくり貫いた素掘りのトンネル
や水路、谷に架けた水路橋など先人の苦労と忍耐力、エ事を完遂しようとする熱意を感じさせられる。
発電所本館取水口壤堤(取水ダム)それ以来「周参見川水力電気株式会社」「東邦電力株式会社」「関西配電株式会社」さらに昭和26年に「関西電力株式会社」とその所属は何度も変遷を繰り返しながらも、変わることなく自然エネルギーを有効利用して地元の地域を照らし続けるという使命を全うした。
運転開始 1918年(大正7年) 7月23日
認可出力 最大120ky
使用水量0.156 m3/s
有効落差95 45m
廃止年月2004年(平成16年) 2月3日
発階機型式 同期発電機
水車型式 フランシス水車
6.フランシス水車です
7.川中口水力発電所
明治四十四年3月、上秋津村 丸山源次郎、鈴木喜三郎の両氏は奇絶峡にベルトン式又はタービン式水車を設備して、精米と製粉事業を始めようとした。そして大正元年の12月、丸山氏他4名で川中水力電気合資会社を設立。電気事業法の許可を中請し、大正三年許可を受けた。その後、大正五年秋津川水電株式会社一(資本金5万円)は、その権利を継承して工事を行い、大正七年七月点灯を開始した。 出力は百六十キロワットで、上秋津.下秋津,稲成,万呂,三柄,長野,栗栖川,上芳養.高城.清:各村に配電された。この会社はそれから、周参見水力電気.東邦電力.関西電力などの各株式会社へと経営譲渡し、現在に至っている。奇絶峡整備委員会
8.運開当時使用されていた部品
9.20109年7月28日午後5時45分ごろ大規模な斜面崩壊が発生した場所 幸いにも人的被害なし
10.山のてっぺんに鷹ノ巣城跡あり 衣笠城城主愛洲八郎源経信七世の孫が南朝に味方して築く
10'.
11.水流が急に速くなる場所
12.地元S氏の説明に耳を傾けています
13.お馴染みの赤い橋は奇絶峡のシンボルになっている
14.不動明王を祭る不動滝は 赤城滝とも呼ばれます
15.堂本印象の魔崖三尊大石仏 近くまで行けます
16.寄り道組が数名いたので 全員集合ならず;
17.「今までこんなにゆっくり奇絶峡を楽しんだ事無かったよー!」(参加者の声より)
18.クイズ この砂と海側の砂とどのように違うかな?
19.夏場はとても涼しく孫守りにちょうど良い場所です
20.この日の水量はそこそこ多い方でしたね
21.あ!紅藻見っけ
22.摩崖三尊仏の一つをチラリと覗きながらウォーク
23.山口誓子の句碑「み仏の肩に秋日の手が置かれ」
24.まるで大男の足跡が残っているような大岩もあります
25.これこれ! ・・・うーん 掘られた跡にも見えないことはないが・・・
26.この付近は役行者の修行の場だったらしい 修行者の中には焼石を喰う奇人も居たとか
27.天の岩戸に似た扉型の岩壁があるようですがどこだかわかりませんでした。
28.赤城の滝から少し上流のあづまやに到着 お弁当タイムはいくつになっても楽しい♪
29.食後は付近をボランティア清掃で身体を動かして気持ちの良い汗もかきかきくけこ
30.オーバーハングになった厚層砂岩の大岩に 水はけ用の管?がたくさん見える
31.昔この付近の石はお殿様の石塔に使われたので、ブランド石だったようですね
32.奇絶峡を過ぎて最初の橋の名前 地元の方々は「かわなかばし」と呼んでいます
33.橋を過ぎた川中にも大きな岩が転がっていました
34.川中口発電所が稼働していた時、ここにダムが造られていた
35.昔遊んだ羽つきの羽根のようなクサギの花と実 名前の割には可愛い♡
36.ヌルデの葉っぱと実 ハゼと同じ仲間なのでかぶれるようです
37.タデ科イヌタデ属のイシミカワよくよく見るとお皿の上に月見団子が乗っているような♡