第40回 秋津川甌穴周辺散策
2022.10.02
10/02(日)9/23予定でしたが、順延になっておりました第40回 秋津川甌穴周辺散策が晴天の中開催されました。
*******以下、2202 1023栗山氏より以下投稿いただきました。

秋津川甌穴

足谷(あしだに)と呼ばれる右会津川の支流を約2km程進むと甌穴があります。小さな滝と淵でできたこの神秘の泉は長い年月を掛けて円筒形に窪み、深さは約3mにも達しています。
 地元の長老の話によれば、大正時代に秋津川が不況となり、失業対策の一環として国や県の補助を受け、甌穴のある更に上流に谷を掘りU型の石済みをするという土木工事が行なわれたのだそうです。その際足谷入り口付近から多くの人が石を運んで工事を進めました。
当然、大正時代や戦前の頃までは古道が伸びていたことも想像ができます。
おそらく、江戸時代から昭和に掛けても備長炭の炭焼き職人がこの小川沿いを歩き、炭焼きの仕事をしたのでしょう。甌穴までの間でも2つの炭焼き窯跡が残っています。
現在、甌穴として国指定になっているのは全国で約9か所程で、地方自治体の指定を受けているものは約30か所程記録されているようです。和歌山県内では釜滝の甌穴(紀の川市)・滝の拝(古座川町)・奥山甌穴(新庄町)の3ヶ所が天然記念物として登録されています。
 秋津川には大小含めてまだ何ヶ所か甌穴があるようで、先人の多くが見た事があると言っています。足谷の甌穴の上段にも3つの小さな甌穴が段をなし、下流にも甌穴らしき淵がいくつも見うけられます。
 自然の力が湧く生きた甌穴は神秘的でエネルギーに満ち、パワースポットと言える貴重な場所だと位置づけできると感じます。
このような自然が創造したものを、私達は知り、守るべき価値があると思います。
 それらを無視した計画性のない森林伐採や埋め立て、水流を止めるような行いで貴重な文化遺産を後世に残せるようにする方向性で進んでいきたいものであります。

甌穴伝説

この足谷の甌穴には伝説があります。

①平成の初めの頃、地元の小学生が夏休みを川で遊び足谷に入っていきました。知る人ぞ知る甌穴の情報を知っていたのか、偶然、甌穴に辿り着いたかは明らかになっていません。
おそらく数人(3~4人)で甌穴に辿り着き、何人か淵で潜って遊んでいました。
そこで、大きな真っ白い丸石を見つけたのです。
(先日、甌穴の中を少し撮影できた映像には、小石が沢山底に溜まっていましたが、大きな石は確認できませんでした。)
 その珍しい丸石を持ち帰り、当時の秋津川支所の玄関に飾ったのだそうです。
すると・・その日から高熱に悩み、原因不明の病で容態が収まりません。
 心配した町の人がどこかのオガミさん(霊媒師)にとうとう頼みに行きました。
何も情報がないオガミさんは「何か、変なものを持ち帰ってはいないか?」と言ったのだそうです。 町の人は「あっ、あの石ではないか!」と少年が持ち帰った丸石を元通り甌穴に返したのだそうです。 すると・・病は嘘のように消えました。
 その少年は今50代位だと推測されますが、まだ特定はできていません。
②長老の話しでは、大昔から甌穴に伝わっている伝説があるのだと言うのです。
甌穴の底には更に穴があり、その穴は富田川に繋がっているのだといつ頃からか伝わっていただと言います。 長老は昭和10年生まれ位で、おそらくは少年時代に聞いたのだと思われます。 なぜ、そのような話しがそこに伝わっていたのかは気になるところであります。
 今の所手つかずの自然の中であり、道も崩壊してとても滑りやすく、なかなか一般的には入り込んでいけないようなところでもあります。 多くの方が見てみたいと希望されれば、道も整備され安全に鑑賞することができるようになるかもしれません。

 その影響により、新庄の奥山甌穴の復活にも市や県が動いて下さる事を願います。

柱のように掘られた垂直の滝
足谷の入り口には珍しい地形が存在します。
人工的に掘られたとしか思えないような、縦型のU字構形に垂直に削られた岩があります。
滝と言えないほどの水滴が流れる所で、水流で掘られたとは考えにくい地形です。人工的だとしても、その掘った意味が不明だと言えます。
 泥岩の軟らかい所が抜け落ちたのでしょうか?それにしても綺麗に整って削られているのです。これも自然の未知なる力がなす、芸術なのでしょうか?

お滝さん(白蛇の社)
足谷の支流を離れ、右会津川本流の地点(足谷入り口から直ぐ)県道を降りると直ぐのところには、「お滝さん」と呼ばれる場所があります。ここもかなりのパワースポットで、景観といい地形も珍しく、伝承もいくつか残っている場所でもあります。

 地元の人に聞くと、ここはかつて大きな滝があった谷であったのだそうです。昭和になり県道工事で埋め立てが進み、裏山も畑の開墾等で地形が大幅に変わったと聞きます。

 この谷を知る地元の人はみな「お滝さん」と呼ぶところによれば、やはり大きな滝が名の由来なのだと思います。

①地元に住むおばあちゃんの話し
 大昔、平家の落ち武者がこの村に来て、村人に食料や援助を求めたが、御触れを恐れた村人は誰も侍に救いを起こしませんでした。 恨んだ落ち武者は「今後この集落は後家さん(未亡人)ばかりにしてやる」と言い残し、この谷で命を落としました。以後、何年かは後家さんばかりになったと言います。

 秋津川は平山・前平・西平・平見・沖平‥平という苗字が多く居ます。上記の話しも平安末期の源平合戦頃だと推測されますが、これらの苗字が多いのも平家の後裔が由来だと考えられます。

②またある人の話しでは、ここは元々修験者の籠りの谷であって、この谷で滝修行する修験道の場であったのだそうです。奇絶峡やお滝さんも高野山へ続く修行の場の一つだったのでしょう。 ある時代にここに居た修験者がとても胃が悪くして苦しみこの谷で亡くなったのだそうです。地元の人はその修験者をここでお祀りしたのが始まりなんだと言う話しもあります。

③また、近年の頃あるオガミさんを呼んで、この谷を見てもらったことがあるそうです。すると・・オガミさんは「侍が出て来て谷で踊っている姿が見える」と言ったそうですが、詳細はよく分かっていません。

④お滝さんには白蛇を祀る社があります。
実際にこの社の石段を建設したという方の娘さん(今はおばあちゃん)に聞いたところ、ここは昔から心も身体も清められる、今で言うパワースポットだったのだそうです。
 現代は地元の平山さんが時々社をお祀りして下さっているみたいなのです。
なぜ白蛇が祀られているのかははっきりとはしていませんが、長老に聞いてみると、どうやら滝から白蛇が出て来たという話しがあるようなのですが、具体的な文献・記録はまだ見つかっていません。 現地に行ってみると分かるんですが、木々に這い上がるツタがどれも白蛇に見え、谷の地形の盛り上がっている部分はまるで白蛇の化身のようであります。
 長老の話しでは昭和の時代まで、歯の治療・受験成就などにご利益があると信じられ、田辺や近隣から多くの方がお参りに訪れたのだそうです。 合格祈願に訪れる人が多く、巳(蛇)が好きな卵を共にお供えして祈願したのだそうです。
 お滝さんは地形的にも珍しく、一見の価値ある場所で地層の研究も進められそうです。
スポット的にもとても美しく、神秘で優雅でもある場所だと言えるでしょう。
 地元秋津川の現在に住む人にもあまり知られていなく、これほどに貴重な景観をもっと多くの人にご覧頂きたいと感じます。
 この場所は県道からも近く、ちょっと寄り道でも十分に感応できる場所です。
 また、白蛇の社も地元をあげてお祀りして復活してもらいたいと願います。







2022.10.02 20:23 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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