田ジ研自主研修 市江崎お地蔵さま・灯台・見晴台・泥ダイアピル
2020.09.17
 急遽決まった自主研修会です。メンバーから「白浜には12カ所のジオサイトがあるも、たった一つだけ行けてないのが市江崎の泥ダイアピル」と声が上がりました。  そこで、早々に参加者を募ったところ当初13名の手が挙がりました。ところが天気予報では連日の雨マークや個々の不都合で、当日は6名ドタキャン発生でした(近場で良かった;) 結局、行く気満々の7名の勢いが実施の後押しをする運びとなり、行程後半の磯観察まで何とか雨も降らず、事故ケガもなく無事観察会を終えることができました。 これはきっと!一番先に「市江のお地蔵さま」にお参りをしたご利益ではないかと、密かに胸で手を合わました。

ここにはジオ看板が設置されていないので、見学の方にはなかなか分かりにくい場所です。新第三紀の地層ですが、現在の磯の表面には、随分以前に積もっていた下の下の泥の層が、泥火山となり、上に積もっている地層に突き上がってきている様子が観察できるマニアックな場所です。 泥ダイアピルといいます。

※「ダイアピルとは、地下にある密度の小さい流体が、軽いために上の地層を貫いて上昇してつくる構造。このため周囲の地層は変形してしまいます。上昇してきた流体はマグマや、まだまだ固まっていない堆積物、岩塩などが一般的です。 市江崎の場合、田辺層群下部層の未固結時の泥岩が流体として上昇しました。(南紀熊野ジオパークガイド研修資料より)

近隣には白浜町権現崎(円月島近く)の足湯近くに泥岩岩脈があります。
    
https://nankikumanogeo.jp/geosite/%E7%99%BD%E6%B5%9C%E3%
81%AE%E6%B3%A5%E5%B2%A9%E5%B2%A9%E8%84%88/ 
又、田辺市新庄町「鳥ノ巣半島の泥岩岩脈」は、昭和13年国指定天然記念物になっています。
http://tajiken.org/cafe/html/mon/201809-1.html


1.今回は黄色のルート 漁港から約2㎞弱くらい歩いたかなぁ~ 

2.カラスが電線に止まっているのは見かけた事がありますが、トンビの群れはありません。

3.市江崎お地蔵さまへの上り坂入り口の碑「市江急傾斜地崩壊対策工事記念」

4.年金・・おっと!粘菌だった

5.急斜面の坂道ではないが結構息切れする

6.全身まっかっかなカニさん ベンケイガ二でしょうか?

7.この石垣は丁寧に整えながら積み上げられていますね

8.市江崎灯台の説明 クイズです 1カンデラってどれくらいの明るさでしょうか?

9.大正10年に建てられたコンクリート作りです 

10.お!右からの読みですね

11.昔は担当者が常駐していたようです。近くの平地にはイモ畑の跡地も

12.てっぺんの風見鶏には東西の表記が見えますね(東の文字はどっち向いて止まっても東?)

13.スズメバチの立派な巣にびっくり仰天! 忙しそうに蜂が出たり入ったり 早々に離れましょ!

14.灯台の建物前にはソーラーパネルが! さすが関〇電力かな?

15.現在、神社の名前を調査中

16.見晴らし台に到着! 向かいの海岸段丘の崖には、洞窟崩壊跡らしき形が残っている

17.田辺ジオパーク研究会のオリジナルTシャツを上手に作られています♪

18.こじんまりとした小さな港ですが沢山の漁船が停泊していました。

19.画像真ん中の右下にピンク色に写っているのが、石英質砂岩からなる小規模な円筒状の岩脈

20.これからあの磯のところまで下りていきまーす!

21.「ちょっと待っててくださーい!」「滑らんから大丈夫やでー」

22.崖側にも痛々しい傷跡が! ♪あなたは 稲妻のようぅに ・・

23.太っ腹の砂岩脈も出てきていますね

24.大きなマツバガイ

25.? ? どなたかご教示お願いします

26.泥岩の中に砂岩岩脈も突っ切ってきています

27.帰りは少し雨の中 朝の9時前から12時まで参加者はご機嫌麗しく過ごしました

28.反省・気づき・課題タイムは全員天ざる注文♪ おいしかったー。今日も有意義な一日でした(^^♪

2020.09.17 11:49 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 生石ヶ峰散策・あらぎ島・その他
2020.09.13
2020 0913 田ジ研の久しぶりの自主研修です。8:30 みなべ町役場に集合、少し、雨っぽい日和でしたが、昼間はたまに日が射す天気で雨には降られずラッキーな一日になりました。ここは紀伊半島の西部の三波川変成帯の最南部分(御荷鉾緑色岩類・生石層)になります。今回は超お元気な女性陣5名と男性2名のグループになりました。勿論、ススキの高原ですからススキはあるのですが、石の観察がメーン、一等三角点のある生石ヶ峰山頂まで一気に歩き、希望者のみでしょうせき(生石)神社まで往復(女性陣は元気!)。ここのご神体である岸壁は直登だと50メートルはあろうかという石英片岩の壁です。ジオサイトとすれば抜群の場所です。これを見ると、生石山には巨大な(石英)片岩の岩盤が埋まっているのだろうか。しっかりとお参りしてから、生石ヶ峰山頂まで汗だくでとんぼ帰り、山の家「おいし」でビールとともに昼食、その後、あらぎ島を見学、田んぼオーナーは最近のウンカ被害で大変ご苦労の様子でした。一転、気分を変えて巨峰村を訪問、何やらわからん ぶどう狩りのシステムを聞き、最安値の800円でぶどうひと房を買って食べて(食べ切れなかったけど)一時間ほどでサヨナラしました。17:00にみなべ町役場に無事帰還、楽しい一日でありました。


「雷様が光る度に短い停電が繰り返され 明るみ始めても豪雨は続いていた9/13。下界とは5~6度低いという標高870m生石高原の冷雨を浴びに 出て行くぞっと武者震い(豪雨は人をキリリとさせる)走り着けば嘘のように雨上がる。車中はもっぱら雨女、晴れ女の話(何の根拠もないが当たるらしい?) 高原を一行が歩く間だけ、雲海の光の間から、里 川 海が垣間見えた。時折チラリと見せてくれる下界は出し惜しみしてる分「またおいでよ」と神話の世界の物語に誘うようだった。辺りを歩くのは風神?雷神? 低圧縮されたという三波川変成帯の一億年以上前の、年輪状の??岩。すべすべなのに持ち重りのする??岩。持って帰りたいなの縞模様みごとな石英岩。  すすきのはらのその道の脇の彩り、おみなえしの背高黄色、キツネノボタンの鮮やかな黄色も。蓼のピンクと五弁(7ミリ大)の濃ピンク。野バラの白と青紫と黄おしべの露草。地面師地学に地味なホトトギスの群生。 これが白亜紀の作った草花か と勝手に関心する。 涼風がすすきの花(黄色)を咲かせる10月は夕焼けなど必要ないあたり一面の黄金の世界とか。
 
 三波川変成帯を行く三婆 否 五婆だね(この日の女性メンバーは5人)と冗談を言いつつ リーダーは常に婆たちを気遣ってくれる。高原の道で出会う 近くの別荘地に住むという見知らぬ人との挨拶には直径1㌢以上のダニ(タカサゴキララマダニ)もおまけに付いた。H先輩の目のすごさビックリポン!  巨岩をご神体にした霧と風の気配は太古の美しさと恐さを教えてくれる豊かな旅でした。山のチャーハン うどんは
berry good!! May peace prevail on earth でした。 」 K・K氏感想


1.今回は生石(しょうせき)神社まで。神社の岩盤は圧巻。

2.産総研の地質図より。1953年の作。qsは石英片岩。あらぎ島は高野街道・龍神街道の
分岐点になります

3.三波川変成帯の結晶片岩

5.   同じ

6.頂上の笠石 東側一部

7.今日はのんびりのんびり歩きます

8.晴天時は六甲や淡路、四国も見渡せるらしい

10.幾重にも押されてできた特徴が見えます

11.ここは一等三角点 素晴らしいパノラマです

12.またまた忘れないうちに記念写真を

13.ピンク色のグラデーション入りがとても可愛いかった

14.ホトトギス蒼天らしい

14'.ご存じツユクサ

15.こんな塊は紀伊半島南部では見当たりません

16.生石神社ご神体は石英片岩

17.高さ50メートルの巨岩のご神体は圧巻です

18.そりゃー 先人たちはお山の中に突然このような巨岩を見つければ仰天するでしょう

19.また、いつか会いに来れますように

19'歴史の古い神社ですね

20.私たちには珍しい岩体でーす

20'これこれ! これが今回の話題提供生物 タカサゴキララマダニ!

21.女番長シリーズ?!(あら!おっほー‼ 話が分かる女性軍団ですが)

22.「高所恐怖症」と自己申告するけれど・・・やっぱりムードメーカーだワン♡

23.二川ダムに架かる蔵王橋 幅が広いので2人横並びでも通れるくらい

23'少しは揺れますよー でも大丈夫です! 私でも渡れましたから♪

24.日本百選の棚田にも選ばれている 「あらぎ島の棚田」

24' 高野街道、龍神街道分峡点
・高野街道
大阪方面から紀ノ川を通って高野山へ至る参詣道が高野街道
として有名ですが四国、有田方面からこの地を通って高野山へ行く道も高野街道の一つで、弘法大師が高野山に至ったルートとでもあるとみられており、この街道沿いには弘法大師伝説が多数残されています。また、高野僧の修験道でもあり高野山への物資調達の為の重要な道でした。
・龍神街道
紀州徳川の初代城主 徳川頼宣公が龍神温泉へ湯治に通った道で、和歌山城から龍神温泉への最短コースであり、この地は街道のちょうど中間に位置します.また、この地の住民にとって塩さばなどの食料品を運んだ重要な生活道でもあり「さば街道」とも呼ばれていました。
平成二十三年十一月吉日 清水中央商店会

25.閉めは3時のおやつを兼ねてブドウ狩り 巨峰の一房で十分でした

26. 参考:西南日本の地質

2020.09.13 10:46 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第30回 上富田町救馬渓観音と近辺・鉱山跡 巡検
2020.07.26
第30回 上富田町救馬渓観音と近辺・鉱山跡 巡検

7月26日(日曜)第30回巡検より

断続的に非常に激しい雨に見舞われた為

今回は見学場所をかなり端折り

予定より1時間早く解散(集合時は小雨)

訪問場所は隣町の上富田町

龍松山城跡(山本主善守一族の出城)~2カ所の鉱山跡

~富田川川替え跡~救馬渓観音

今回の特記は 巡検内容よりも

ご丁寧に2台の車がパンク(各々×1本)

みなさまくれぐれも山道を通る時は

スペアタイヤのご準備を

参加メンバーの中には

3日前に 予期せぬビバーグと 

この日のタイヤパンクのおまけ付の方も

(笑い話になって良かった)

そうです 物は考えようですね

次回は 近場の山でも

充分備えをして出かけましょう

強烈な雨の中 無事に戻れたことに感謝です

最後に鮎川近辺の廃鉱山のリストをつけました。このあたりに、鉱山があったということは枯木灘弧状岩脈の延長がこのあたりまであるということが考えられます。

<<<<<参考>>>>>
第30回田辺ジオパーク研究会巡検上富田町コース案
9:00
救馬渓観音第一駐車場集合 乗合せ(軽自動車)
9:15
竜松山 山本氏代々の城跡の場所(室町幕府の奉公衆築城は 1532~1555)
http://www.town.kamitonda.lg.jp/chosei/shoukai/kanko/2437.html
城の規模は「紀伊風土記」によれば、本丸東西約80m、南北約51m、堀約291m、堀幅約9m、東北に井戸があり、又、馬井戸もあったことが知られ、現在、本丸と二の丸の削地堀切、井戸跡の遺構が残っています。石垣の大部分は、明治22年(1889年)の大洪水で決壊した富田川堤防の復旧に使用しました。山本氏は富田川全域、現田辺市の大半と現日高郡の一部を支配した豪族でしたが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の紀州攻めでこの山上に再三来攻、固守して降らず、天正14年9月(1586年)ついに和議に応じ登城、紀和の国境、真士峠藤堂高虎(まつちとうげ とうどうたかとら)の館において謀殺された。』とあります。(1585年、豊臣秀吉の侵攻に対しては、ゲリラ戦術で対抗し、戦いは3ヶ月つづき、和睦の話が出て、その交渉のために、当時の当主·山本康忠ら13人は、秀吉軍の陣営にでかけました。それが罠で、騙し討ちにあって全員殺害されたといわれています)

10:00
鉛山鉱山跡(番犬がいた)~天爽会 鮎川周辺には熱水性の鉱脈型鉱床の南海、鮎川今西(清水)高垣の各鉱山があり、主に閃亜鉛鉱、方鉛鉱、磁硫鉄鉱、黄銅鉱を産出
11:45 昼食
この鉱山は方鉛鉱や硫化鉄鉱を中心とする鉱山で、初期には金も出た
清水鉱山跡ようです。銀の含有が多いみたいです 近くの石ころをコンコンすると漂う硫黄臭とともに銀色の方鉛鉱が確認出来る。
14:00
稲葉根王子
メンバーが熊野古道の話について話す
畑山橋(潜水橋) 四万十川の潜水橋を真似ている
彦五郎堤防 メンバーが彦五郎の人柱や明治大水害の碑について話す
田中神社の森 南方熊楠のオカフジや大賀ハスを話す
救馬渓観音 ご住職の話 田辺層群と牟婁層群2カ所の不整合等
16:30 解散

1.山本一族は室町幕府の奉公衆も務め熊野を代表する将軍の直属軍 熊野八荘司うちの一族

2.龍松山は町指定の遺跡 山城遺構図(120m×80m)別名 辰巻城

3.発掘調査から見つかった出土品

4.土塁のなごりに高木の主が、城跡をまるで警備しているかのよう

5.落ちないように葉の裏側にうまく引っかけて脱皮しているね 

6.ウバユリ 嬉しくないネーミング。。。。

7.本日の龍松山説明担当 ミッシーさん 

8.忘れない間に記念写真 (この時間は まだ曇り後小雨程度だったけど・・・)

9.ヨウシュヤマゴボウの実 ヤマゴボウ科の有毒植物で、食用にはなりません

10.トイレで見つけたアオガエルさん 動きが速かったのでボケました

11.ジャリ石を踏む音を出しながら近寄っても、人間なんか眼中にないご様子 

12.!川替え跡です ここ暫くこの川床が見えず状態 やっと証拠写真が撮れました♪

13.どんなオオウナギさんが住んでいるのでしょうね

14.来ました。清水鉱山跡の坑口 大塔村誌によると約30mの横穴が掘られているらしい

15.ひっそりと咲いているこの花の名前はわかりませんが 丁度小雨時の様子の頃

16.先発登り隊が、タイヤパンクから無事に下まで戻ってきたところ

17.豪雨の為 行程を短縮して救馬渓観音さんに到着

18.過日、この滝王神社の大木が大雨で倒壊しましたが早々に片付けられていました

19.この滝王神社の正面奥に年代の違う岩が上下に出現しているんでーす♪

20.ちいさな紅葉の葉っぱ 秋には華やかな紅色に変身

21.美味しそうな椿の実

22.2番目パンクのメンバーも、終わりの会に間に合ったー 良かった!良かった!

23.鮎川周辺の廃鉱山の位置
鮎川周辺には、熱水性の鉱脈型鉱床の南海、鮎川、今西(清水)、高垣の各鉱山があり、主床に閃亜鉛鉱、方鉛鉱、磁硫鉄鉱、黄銅鉱などを産出した。現在全て廃鉱となっていて、詳細を知ることができないが、日本鉱床誌「近畿地方」(1973)、資源エネルギー庁(1979)、及び津田(1955・1962)の資料に基づいて各鉱床の特徴を述べる。

・南海鉱山は鉱区内の道路わきに四つの坑道が開削されていたが、その後の道路建設の際に坑口が石積みで塞がれたり埋没して、その位置は確認できない。鉱床の規模などは不明である。鉱石鉱物は閃亜鉛鉱、方鉛鉱のほか少量の磁硫鉄鉱、黄銅鉱がみられた。脈石鉱物は方解石を主とし、少量の石英が認められた。
・今西(清水)鉱山は約三〇メートルの坑道が開削されていた。鉱床の規模は走向延長10メートルで、稼行された鉱脈は二条であった。坑口付近で採取された試料では、黄鉄鉱、磁硫鉄鉱のほか、少量の黄銅鉱、閃亜鉛鉱などの鉱石鉱物、脈石鉱物として石英が認められている。
・高垣鉱山は旧坑道が上下二つの坑道開削されたが、下坑は坑口が埋没、上坑は約15メートル掘削された。鉱床の規模は走向延長10メートル、傾斜延長10メートルであった。鉱石鉱物は磁硫鉄鉱を主とし、わずかに黄銅鉱を伴う。
・鮎川鉱山は鉱脈が北と南にほぼ
平行して二条歴胎する。レンズ状の鉱床であった。規模は走向延長10-50メートル、傾斜延長10メートルであった。磁硫鉄鉱を主とし、少量の黄鉄鉱を含む鉱石が産出した。

2020.07.26 00:55 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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