田ジ研自主研修 みなべ町・高野の枕状溶岩
2022.04.13
2022 0413 晴天の中、みなべ町・高野の枕状溶岩の観察自主研修でした。
紀伊民報 Y氏が参加されました。
2022 0413 雨が心配でしたが、スッキリと晴れて待望の自主研修となりました。
10時に左田(さだ)峠に精鋭6名が集合、3/21に発見した「みなべ町・高野の枕状溶岩」(まだ仮称)への自主研修でした。12時に430峰に着、ランチの後、少し南の方向に急坂を降り、約2時間近く溶岩とふたつの試掘坑道を探検。これらの坑道は1822年に当時の山師により金を求めて試掘された模様で、高野村に偲話として残っているようです。山師がいたから、この枕状溶岩が発見されたということにもなりますから、感謝しないといけないですね。模式図を写真にいれましたが、結構巨大な溶岩跡、相当風化したものと思われますが、直径1メートル以上の溶岩枕が残っており、同行されたW氏も凄いを連発しておりました。御坊・十津川スラストの一部であり、龍神行政局の前、東は玉置山に通じます。7時間近くの歩程でしたが、それぞれ久しぶりに悠久の露頭痕跡を見て満足の模様で、最後にノンアルワインで乾杯してお開きでした。お疲れ様でした。
2022 0419(火)紀伊民報に掲載されました。=>紀伊民報 山本様、お世話になりました。
山林に海底火山の名残
みなべ 大規模な「枕状溶岩」
みなべ町高野の山林で、海底火山の活動によってできた「枕状溶岩」が広範囲にわたって地表に露出しているのを田辺ジオパーク研究会のメンバーが見つけた。枕状溶岩は、紀伊半島南部の各地にあり、奈良県十津川村の玉置山がよく知られている。それに匹敵する大きな規模で、メンパーは紀伊半島の成り立ちを知る上での観察地として注目している。
確認したのは、元高校教諭で地域史に詳しい阪本敏行さん(73)=南部町東吉田と高城公民館館長の久保正一さん(73) =同町高野、南紀熊野ジオパークガイドの上森安さん(71)=田辺市龍神村龍神。
阪本さんは県南部の鉱山跡を調査研究しており、高野に金山(かなやま)と呼ばれる鉱山跡があることを知り地元の山に詳しい久保さんに案内を依頼。地質に詳しい上森さんも加わり、3月下旬に訪れたところ、鉱山跡周辺の岩が、マグマ由来の火成岩の一種である玄武岩で、形状から枕状溶岩であることが分かった。今月13日には、元高校地学教諭で町文化財審議委員の渡瀬敏文さん (68) =みなべ町東本庄=も加わって再調査した。岩は斜面にあり、延長約100M、縦幅約50Mの範囲内で何カ所か露出している。 表面は風化が進んでいるが、枕状溶岩の特徴である枕や米俵のような丸みを帯びた形状の部分が、いくつも確認できた。丸みの部分の直径は最大で1メートルほどあった。
枕状溶岩は、海底火山から噴き出したマグマが海水で急激に冷やされ、丸くなって積み重なってできた岩。それが海洋プレートに乗り、途方もない年月をかけて運ばれたことで、陸地でも見られる。中でも玉置山は有名で、玉が連なっているように見えることが「玉置」の由来とされる。神社の奥の院「玉石社」のご神体は溶岩石といわれる。玉置山もみなべ町高野も、紀伊半島南部の土台をなす「付加体」のうちの「日高川層群龍神層」と呼ばれる地層。同じ地層だけに同じような性質の岩が見つかってもおかしくないという。上森さんは「紀伊半島南部の各地で枕状溶岩を見たことがあり、玉置山が一番規模が大きいと思うが、高野はそれに匹敵するのではないか」、渡瀬さんは「近場でこのような貴重な地質が見られることに驚いた。ダイナミックな地球の営みを感じ取ることができる」、阪本さんは「かつての山師(やまし)はこれを知っていて、鉱物を探しに来たのではないか。恐竜が生きていた時代の地層だと思うとロマンを感じる」と話す。
金山鉱山跡の場所は、みなべ町と印南町の境界にある左田峠とみなべ町熊瀬川の行者山との中間辺り。久保さんは「枕状溶岩を見てもらうような企画ができればと思う。尾根筋の山道は趣があり、修験の場だった行者山とともに訪れてもらいたい」と観光資源|としての活用にも期待する。
経緯:
2021 白浜・番所山でのガイドにて山の紹介をしたが、みなべの三里ガ峰近くにある少し秀麗な行者山という山を知り、調査を始めたのがとっかかりであった。みなべ町・行者山付近の金(きん)鉱山跡の話題をネットで検知 shotanさんが調査しているのを知る。
紀伊民報 Y氏が参加されました。
2022 0413 雨が心配でしたが、スッキリと晴れて待望の自主研修となりました。
10時に左田(さだ)峠に精鋭6名が集合、3/21に発見した「みなべ町・高野の枕状溶岩」(まだ仮称)への自主研修でした。12時に430峰に着、ランチの後、少し南の方向に急坂を降り、約2時間近く溶岩とふたつの試掘坑道を探検。これらの坑道は1822年に当時の山師により金を求めて試掘された模様で、高野村に偲話として残っているようです。山師がいたから、この枕状溶岩が発見されたということにもなりますから、感謝しないといけないですね。模式図を写真にいれましたが、結構巨大な溶岩跡、相当風化したものと思われますが、直径1メートル以上の溶岩枕が残っており、同行されたW氏も凄いを連発しておりました。御坊・十津川スラストの一部であり、龍神行政局の前、東は玉置山に通じます。7時間近くの歩程でしたが、それぞれ久しぶりに悠久の露頭痕跡を見て満足の模様で、最後にノンアルワインで乾杯してお開きでした。お疲れ様でした。
2022 0419(火)紀伊民報に掲載されました。=>紀伊民報 山本様、お世話になりました。
山林に海底火山の名残
みなべ 大規模な「枕状溶岩」
みなべ町高野の山林で、海底火山の活動によってできた「枕状溶岩」が広範囲にわたって地表に露出しているのを田辺ジオパーク研究会のメンバーが見つけた。枕状溶岩は、紀伊半島南部の各地にあり、奈良県十津川村の玉置山がよく知られている。それに匹敵する大きな規模で、メンパーは紀伊半島の成り立ちを知る上での観察地として注目している。
確認したのは、元高校教諭で地域史に詳しい阪本敏行さん(73)=南部町東吉田と高城公民館館長の久保正一さん(73) =同町高野、南紀熊野ジオパークガイドの上森安さん(71)=田辺市龍神村龍神。
阪本さんは県南部の鉱山跡を調査研究しており、高野に金山(かなやま)と呼ばれる鉱山跡があることを知り地元の山に詳しい久保さんに案内を依頼。地質に詳しい上森さんも加わり、3月下旬に訪れたところ、鉱山跡周辺の岩が、マグマ由来の火成岩の一種である玄武岩で、形状から枕状溶岩であることが分かった。今月13日には、元高校地学教諭で町文化財審議委員の渡瀬敏文さん (68) =みなべ町東本庄=も加わって再調査した。岩は斜面にあり、延長約100M、縦幅約50Mの範囲内で何カ所か露出している。 表面は風化が進んでいるが、枕状溶岩の特徴である枕や米俵のような丸みを帯びた形状の部分が、いくつも確認できた。丸みの部分の直径は最大で1メートルほどあった。
枕状溶岩は、海底火山から噴き出したマグマが海水で急激に冷やされ、丸くなって積み重なってできた岩。それが海洋プレートに乗り、途方もない年月をかけて運ばれたことで、陸地でも見られる。中でも玉置山は有名で、玉が連なっているように見えることが「玉置」の由来とされる。神社の奥の院「玉石社」のご神体は溶岩石といわれる。玉置山もみなべ町高野も、紀伊半島南部の土台をなす「付加体」のうちの「日高川層群龍神層」と呼ばれる地層。同じ地層だけに同じような性質の岩が見つかってもおかしくないという。上森さんは「紀伊半島南部の各地で枕状溶岩を見たことがあり、玉置山が一番規模が大きいと思うが、高野はそれに匹敵するのではないか」、渡瀬さんは「近場でこのような貴重な地質が見られることに驚いた。ダイナミックな地球の営みを感じ取ることができる」、阪本さんは「かつての山師(やまし)はこれを知っていて、鉱物を探しに来たのではないか。恐竜が生きていた時代の地層だと思うとロマンを感じる」と話す。
金山鉱山跡の場所は、みなべ町と印南町の境界にある左田峠とみなべ町熊瀬川の行者山との中間辺り。久保さんは「枕状溶岩を見てもらうような企画ができればと思う。尾根筋の山道は趣があり、修験の場だった行者山とともに訪れてもらいたい」と観光資源|としての活用にも期待する。
経緯:
2021 白浜・番所山でのガイドにて山の紹介をしたが、みなべの三里ガ峰近くにある少し秀麗な行者山という山を知り、調査を始めたのがとっかかりであった。みなべ町・行者山付近の金(きん)鉱山跡の話題をネットで検知 shotanさんが調査しているのを知る。
田辺ジオ塾 第8回 防災について
2022.03.19
第37回 早春の日高川龍神見学会
2022.03.13
2022 0313少しうす曇でしたが、29(<-31)名の参加でした。
2022 0318の紀伊民報みなべ龍神欄に以下掲載されました。
2022 0313 「早春の日高川龍神見学会」が紀伊民報に掲載、Y記者さんに簡潔にまとめていただきました。参加の皆さん、ありがとうございました。
::::::::::::::::
田辺ジオ研究会 「活用の機運高めたい」龍神村で現地学習会
田辺市や周辺の住民有志でつくる「田辺ジオパーク究会」(藤五和久会長) は、 市内各地の目然資源を調査して魅力を掘り起こし、発信するための活動を続けている。13日には会員が同市龍神村で見どころを巡った。「ジオパークという観点で活用する機運を高めたい」という。
研究会は2015年1月に発足し、市内にある地質や地形の見どころなどを探し出して調査や研究をしてきた。 会員が知識を深めるための勉強会や現地学習会は毎月のように開いている。一般向けの講演会や現地ツアーは、ここ2年ほどは新型コロナウイルで中止しているが、それまでは毎年開いてきた。
13日の現地学習会には会員31人が参加し、龍神村の各地を巡った。柳瀬の日高川にある「檜皮(ひわだ)の滝」では、 会員で南紀熊野ジオパークガイドの上森安さん (71)龍神村龍神が説明した。川底や両岸が黒っぽくて荒々しい岩盤になっており、 それがヒノキの皮のようであることから名付けられたという。激しく蛇行した箇所があり、かつて盛んだった山から切り出した木材を運ぶ筏(いかだ)流しでは、 難所だったことも紹介した。
1889 (明治2)年8月の大水害で、 下柳瀬地区で発生した深層崩壊による土砂夕ムの跡地も訪れた。案内役を務めた地元区長の吉本志朗さん(70) が「合併で誕生したばかりの中山路村の中心地一帯が水に漬かり、83人が死亡した」 と説明した。復興に30年ほどかかり、1938 (昭和13) 年に水難者慰霊碑が建立されたことにも触れた。龍神村龍神の龍神温泉も訪ねた会員は、 自然湧出泉だけでなく、 ボーリンク泉を活用し、温度は48度で風呂に適していることなどの説明を聞いた。 木のように見える特徴的な地層「グルーブキャスト」を観察したり、小説にも登場する「曼荼羅(まんだら) の滝」を訪れたりもした。
上森さんは「龍神村には他にも、赤壷の滝や白壷の滝がある小森谷渓谷、丹生ノ川の環流丘陵など見どころはある。豊かな自然資源をもっとPRしていきたい」と話す。田辺市は、日本ジオバークに認定されている「南紀熊野ジオパーク」のエリアに含まれておらず、 昨年夏、自然資源の価値を再発掘し活用に向けた研究をするための専門委員会を発足させ、調査研究をしている。田辺ジオバーク研究会は「貴重な地域資源を守り、活用するためにもジオパークの認定は必要」としており藤五会長は「田辺市にはたくさんの見どころがある。 市民にもっと興味を持ってもらえればと思う」 と話している。
パンフは以下のような文面にて紹介いたしました。
2022 03/13(日) 早春の日高川龍神見学会
今回は、柳瀬近辺に始まり、龍神温泉付近とおおまかに二箇所で見学会をおこないたいと思います。檜皮の滝 ここは日高川の7(8?)大難所のひとつ 何の難所かというと筏流しの難所ですね。滝というと普通は水が流れ落ちるものを想像しますが、激流のことです。
詳細はHPの研究会活動履歴201904の中に、上越方(かみこしかた)発電所訪問・自主研修報告内に筏師物語 筏師と日高川八滝(激流の難所)のところに記述がありますのでご参照ください。現場で見ることができるのは、砂岩優勢のタービダイトが直立した岩が日高川に削られて檜皮のようにささくれたっている様相が見えると思います。 キーワード:穿入蛇行
このあたりは極端な穿入蛇行があることで有名です。昔はこの蛇行の中を筏流しをせざるを得なかったのですね。
柳瀬発電所 http://www.suiryoku.com/gallery/wakayama/yanase/yanase.html
現在は関西電力所属 発電.comを見ての通り1919年運用開始 落差49M キーワード 流筏路
(りゅうばつろ)発電と筏産業の併用を開始したことがキーですね。20世紀初頭のダイナマイトの普及もあります。流筏路というトンネルができたことにより大幅にバイパスが可能になったが、インクラインという事象が出てきたことになります。キーワード:インクライン インクラインて何?
1889年(明治22年)8月19日 台風による自然ダム崩壊 死者83人以上
ここは東西に音無川付加シークエンス(音無川層群)の栃谷スラストが通っている。
左図はほぼ南北に切った場合の西側から地層を見ていることになります。
橋の下に見える褶曲はある程度変形していますが、栃谷スラストの一部ではないかと思います。方向はほぼ東西方向になっており、直立しています。
龍神村西付近(龍神行政局付近)
龍神村西付近は、 四万十付加体とよばれる地質体からできています。 付加体は地層がスラスト (紀伊半島では北に傾料する逆断層)によってくり返す地質構造で特徴づけられます。この地域は御坊-十津川スラスト(断層)を境に北側の日高川帯と南側の音無川帯に分けられます。日高川帯には龍神付加コンプレックスとよばれる地層や岩石からできています。これは白亜紀の終わりごろ(はぼ恐竜の絶滅の時期) に海溝に堆積した地層や岩石できています。また、赤色泥岩や緑色泥岩、玄武岩溶岩(枕状溶岩を含む)など海洋性の岩石をともなっているのが特徴です。音無川带には、泥岩、砂岩泥岩互層 (タービダイト),砂岩などの地層からできています。これらは古第三紀の暁新世~始新世のころ、海溝に堆積した地層です。小~中規模の褶曲が多くみられます。スラストの上盤(北側)には地層が破壊されてできた断層破砕帯が密着し固結してできた断層岩がともなっています。
->>今回は、この断層岩を観察してみたいと思います。
海洋性岩石の場所は今回は時間的に観察不可ですので行きません。道路から見ることができます。
龍神温泉
龍神温泉は泉温約50℃の炭酸水素ナトリウム泉で、竜神付加コンプレックスの砂岩および砂岩がち砂岩泥岩互層から湧出している。龍神温泉付近では付加体の構造が北東一南西および北西一南東にのびる摺曲によって屈曲している。その北西にのびる背斜構造に沿って湧出している。本宮一阿田和弧状岩脈の一部がこの付近の地下に達していると考えられる。泉源は4つあり, 一つがボーリング泉(掘削深度約30m)である.写真中央の横穴からの自然湧出泉とボーリング泉が利用されている。
->>湯本背斜
温泉街の上方に300メートルくらいの距離ですが、日高川の右岸に砂岩優勢のタービダイトがあり、これにより背斜であることが確認できます。
グルーブキャスト(Groove Cast)
これは直訳すると‘溝の型’になりますが、地層の上部の泥層にたまたま小石等が流れ込んで溝をつくりそこに砂岩がたまり、その砂岩が地層として現れたものになります。
この地層では、ここの湯本背斜に沿って直立した格好に
なっています。
曼荼羅の滝(まんだらのたき)
これは小説の世界になりますが、中里介山の大作時代小説「大菩薩峠」の主人公「机龍之介」が目の治療のために目を洗ったところです。往復30分くらい、温泉街より登ったところにあります。
小又川・マンガン鉱・龍神鉱山・枕状溶岩
以前、2016年の見学では坑道は閉鎖されていましたが、最近別の坑道を教えていただきました。
以下の写真になります。
枕状溶岩は、2016年に訪問したときは川の中に鎮座していたのですが、今回(2022/0223)確認すると以前見た枕状溶岩は流されてしまったようです。
2022 0318の紀伊民報みなべ龍神欄に以下掲載されました。
2022 0313 「早春の日高川龍神見学会」が紀伊民報に掲載、Y記者さんに簡潔にまとめていただきました。参加の皆さん、ありがとうございました。
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田辺ジオ研究会 「活用の機運高めたい」龍神村で現地学習会
田辺市や周辺の住民有志でつくる「田辺ジオパーク究会」(藤五和久会長) は、 市内各地の目然資源を調査して魅力を掘り起こし、発信するための活動を続けている。13日には会員が同市龍神村で見どころを巡った。「ジオパークという観点で活用する機運を高めたい」という。
研究会は2015年1月に発足し、市内にある地質や地形の見どころなどを探し出して調査や研究をしてきた。 会員が知識を深めるための勉強会や現地学習会は毎月のように開いている。一般向けの講演会や現地ツアーは、ここ2年ほどは新型コロナウイルで中止しているが、それまでは毎年開いてきた。
13日の現地学習会には会員31人が参加し、龍神村の各地を巡った。柳瀬の日高川にある「檜皮(ひわだ)の滝」では、 会員で南紀熊野ジオパークガイドの上森安さん (71)龍神村龍神が説明した。川底や両岸が黒っぽくて荒々しい岩盤になっており、 それがヒノキの皮のようであることから名付けられたという。激しく蛇行した箇所があり、かつて盛んだった山から切り出した木材を運ぶ筏(いかだ)流しでは、 難所だったことも紹介した。
1889 (明治2)年8月の大水害で、 下柳瀬地区で発生した深層崩壊による土砂夕ムの跡地も訪れた。案内役を務めた地元区長の吉本志朗さん(70) が「合併で誕生したばかりの中山路村の中心地一帯が水に漬かり、83人が死亡した」 と説明した。復興に30年ほどかかり、1938 (昭和13) 年に水難者慰霊碑が建立されたことにも触れた。龍神村龍神の龍神温泉も訪ねた会員は、 自然湧出泉だけでなく、 ボーリンク泉を活用し、温度は48度で風呂に適していることなどの説明を聞いた。 木のように見える特徴的な地層「グルーブキャスト」を観察したり、小説にも登場する「曼荼羅(まんだら) の滝」を訪れたりもした。
上森さんは「龍神村には他にも、赤壷の滝や白壷の滝がある小森谷渓谷、丹生ノ川の環流丘陵など見どころはある。豊かな自然資源をもっとPRしていきたい」と話す。田辺市は、日本ジオバークに認定されている「南紀熊野ジオパーク」のエリアに含まれておらず、 昨年夏、自然資源の価値を再発掘し活用に向けた研究をするための専門委員会を発足させ、調査研究をしている。田辺ジオバーク研究会は「貴重な地域資源を守り、活用するためにもジオパークの認定は必要」としており藤五会長は「田辺市にはたくさんの見どころがある。 市民にもっと興味を持ってもらえればと思う」 と話している。
パンフは以下のような文面にて紹介いたしました。
2022 03/13(日) 早春の日高川龍神見学会
今回は、柳瀬近辺に始まり、龍神温泉付近とおおまかに二箇所で見学会をおこないたいと思います。檜皮の滝 ここは日高川の7(8?)大難所のひとつ 何の難所かというと筏流しの難所ですね。滝というと普通は水が流れ落ちるものを想像しますが、激流のことです。
詳細はHPの研究会活動履歴201904の中に、上越方(かみこしかた)発電所訪問・自主研修報告内に筏師物語 筏師と日高川八滝(激流の難所)のところに記述がありますのでご参照ください。現場で見ることができるのは、砂岩優勢のタービダイトが直立した岩が日高川に削られて檜皮のようにささくれたっている様相が見えると思います。 キーワード:穿入蛇行
このあたりは極端な穿入蛇行があることで有名です。昔はこの蛇行の中を筏流しをせざるを得なかったのですね。
柳瀬発電所 http://www.suiryoku.com/gallery/wakayama/yanase/yanase.html
現在は関西電力所属 発電.comを見ての通り1919年運用開始 落差49M キーワード 流筏路
(りゅうばつろ)発電と筏産業の併用を開始したことがキーですね。20世紀初頭のダイナマイトの普及もあります。流筏路というトンネルができたことにより大幅にバイパスが可能になったが、インクラインという事象が出てきたことになります。キーワード:インクライン インクラインて何?
1889年(明治22年)8月19日 台風による自然ダム崩壊 死者83人以上
ここは東西に音無川付加シークエンス(音無川層群)の栃谷スラストが通っている。
左図はほぼ南北に切った場合の西側から地層を見ていることになります。
橋の下に見える褶曲はある程度変形していますが、栃谷スラストの一部ではないかと思います。方向はほぼ東西方向になっており、直立しています。
龍神村西付近(龍神行政局付近)
龍神村西付近は、 四万十付加体とよばれる地質体からできています。 付加体は地層がスラスト (紀伊半島では北に傾料する逆断層)によってくり返す地質構造で特徴づけられます。この地域は御坊-十津川スラスト(断層)を境に北側の日高川帯と南側の音無川帯に分けられます。日高川帯には龍神付加コンプレックスとよばれる地層や岩石からできています。これは白亜紀の終わりごろ(はぼ恐竜の絶滅の時期) に海溝に堆積した地層や岩石できています。また、赤色泥岩や緑色泥岩、玄武岩溶岩(枕状溶岩を含む)など海洋性の岩石をともなっているのが特徴です。音無川带には、泥岩、砂岩泥岩互層 (タービダイト),砂岩などの地層からできています。これらは古第三紀の暁新世~始新世のころ、海溝に堆積した地層です。小~中規模の褶曲が多くみられます。スラストの上盤(北側)には地層が破壊されてできた断層破砕帯が密着し固結してできた断層岩がともなっています。
->>今回は、この断層岩を観察してみたいと思います。
海洋性岩石の場所は今回は時間的に観察不可ですので行きません。道路から見ることができます。
龍神温泉
龍神温泉は泉温約50℃の炭酸水素ナトリウム泉で、竜神付加コンプレックスの砂岩および砂岩がち砂岩泥岩互層から湧出している。龍神温泉付近では付加体の構造が北東一南西および北西一南東にのびる摺曲によって屈曲している。その北西にのびる背斜構造に沿って湧出している。本宮一阿田和弧状岩脈の一部がこの付近の地下に達していると考えられる。泉源は4つあり, 一つがボーリング泉(掘削深度約30m)である.写真中央の横穴からの自然湧出泉とボーリング泉が利用されている。
->>湯本背斜
温泉街の上方に300メートルくらいの距離ですが、日高川の右岸に砂岩優勢のタービダイトがあり、これにより背斜であることが確認できます。
グルーブキャスト(Groove Cast)
これは直訳すると‘溝の型’になりますが、地層の上部の泥層にたまたま小石等が流れ込んで溝をつくりそこに砂岩がたまり、その砂岩が地層として現れたものになります。
この地層では、ここの湯本背斜に沿って直立した格好に
なっています。
曼荼羅の滝(まんだらのたき)
これは小説の世界になりますが、中里介山の大作時代小説「大菩薩峠」の主人公「机龍之介」が目の治療のために目を洗ったところです。往復30分くらい、温泉街より登ったところにあります。
小又川・マンガン鉱・龍神鉱山・枕状溶岩
以前、2016年の見学では坑道は閉鎖されていましたが、最近別の坑道を教えていただきました。
以下の写真になります。
枕状溶岩は、2016年に訪問したときは川の中に鎮座していたのですが、今回(2022/0223)確認すると以前見た枕状溶岩は流されてしまったようです。