田ジ研自主研修 潮岬と苗我島訪問
2018.07.28
苗我島~出雲海岸と朝貴神社~潮岬ナビラカ海岸探訪(自主研修会)
紀伊半島南部に位置する潮岬や大島は、地質図では潮岬火成複合岩類の分布域となっています。南紀熊野の西エリア側とは異なる種々の火成岩体が、そのまんま足元に現れているので、以前から苗我島(潮岬と紀伊大島の間の小島)と出雲海岸や潮岬ナビラカ海岸については、内々で話題になっていたところです。今回台風12号進路を気にしながらも有志8名と、N氏S氏の協力を頂き、知識倍増の自主研修会を無事実施する事ができました。
7月28日台風12号影響なのか、朝9時「すさみ道の駅」集合時には小雨がパラついていましたが、限られた日程、微風と大潮時間帯ということもあり車2台に分乗。予定通り大島のループ状の橋を渡りきったすぐ右手トイレ駐車場で、たまたまこの日「双島ジオクルージング」が中止となっていた地元ジオガイドN氏(多岐にご活躍)と合流し同行頂きました。 以前、苗我島を訪れた時には、切り立った崖を降りる途中に、長さ約1.5m、幅約30cm、厚さ約5~6㎝の一枚板を恐る恐る渡った記憶もありましたが、今回は小雨の為、濡れて滑りやすいという事で回避ルートをN氏に教えて頂きました。 細心の注意を払いながら崖を降りきった場所には、思わず眼を見張るほどの光景が現れました(!海水なのに渓谷を流れる清流のような。そして、ここから竜宮城に向かって行けるような! 大潮の潮時にしか見られない!)。ゴミも汚れもない透明なタイドプールと海(波)の回廊のような場所。
(苗我島についてはS氏のブログ参照(右段‘リンク’URLから参照可能)
<11:45> 昼食(冷房の効いたレストラン「水門まつり」着 連日の極暑なら昼食後は腰が上がらなかったかも。)
<13:00> 出雲海岸(潮岬東側)着
途中の道路わきに、昭和天皇行幸記念碑が建立されています。N氏の説明と裏面の行幸ご日程により、1929年6月2日午後、この潮岬から通夜島に渡御され貝拾いをされたようです。出雲海岸散策 主に玄武岩質溶岩やグラノファイアーが露出している岩場には、大きな亀の頭蓋骨や肉片、その他、漂着ゴミらしき物も結構散乱。ゴミ袋持参しなかった事が反省と課題でした。
<13:40> 朝貴神社駐車場着
現在、ウニランプ作りや地域のジオ講座の一役を担っておられるS氏とも合流。小さな鎮守の森の下部には、縄文時代に出来たと思われる奥行き約10mの薄暗い海食洞があり、N氏の案内で早速S氏がフジツボ(種類不明)、ヤッコカンザシを発見。腰をかがめながら足元や壁面に目を凝らしながら通り抜けも楽しみました。この神社裏手の岩石海岸は、一部潟湖になっていて、テントを張った家族連れの歓声とともに雨雲も徐々に薄れていきました。
<14:45> 潮岬ナビラカ海岸着
磯に降りるやいなや、斑レイ岩やグラノファイアー、石英脈が伴う花崗斑岩の岩、黒い楕円形の斑点が入った不思議な風よけ岩などが、ところ狭しとひしめき合う特別な場所です。今回のテーマは、「種々の火成岩を訪ねて」でしたが、岩石に詳しいジオパークガイドのS氏は「・・うーん。一日中ここに座ってしまいそう。だからこの場所だけは今までわざと外してきたし・・・」っと、ユニークなつぶやきが聞こえてきました。 そうなのです!一見地味な場所ですが、大昔の自然界で水中マグマ花火や連発打上げマグマ花火が交差した跡が残るとても賑やかな磯場なのです。
以上
1.苗我島・出雲海岸・潮岬ナビラカ海岸を訪ねて
2.大島方面からの苗我島
3.小雨の中でも軽やかな足取り♪
4.あ!海の回廊が見えた!
5.白く見えるのは・・・決して鳥たちのフンではありません
6.全員無事に降りたったところ
7.ワオ!!「!Wonderful」
8.ここは海!? 南紀熊野の渓谷?
9.大潮ならではの景色!
10.真夜中には乙姫さまが泳いでいるのだろうか 不思議な円形が出来ている
11.自然の造形美 海の回廊
12.流紋岩は見事なウェーブ状に
13.いい笑顔^^ 記念写真を撮り忘れないうちに!
14.この白い脈は・・
15.オーバーハングは雨宿りに丁度いい
16.一直線の橋の右手からウォーク開始
17.やっぱり動かない; 前に進まない;;
18.このロープはいつでもあるのだろうか?
19.秋の景色(N氏提供)
20.和歌山県道41号潮岬周遊線脇に建立
21.2泊3日でおな~り~
22.遠くに見えるのが通夜島
23.貫入岩
24.海のプールも最近は人気沸騰に
25.アカウミガメ? リアルだ
26.潮岬ナビラカ海岸に到着するやいなやかじりつき
27.潮岬ナビラカ海岸には粗粒玄武岩が多いらしい
28. 同じく
29.個性的な岩肌とカラフルな色・色・色
30.斑レイ岩と粗粒玄武岩
31.粗粒玄武岩の中に取り込まれた斑レイ岩の岩体
32.白っぽい岩が粗粒玄武岩
33.駐車場の茂みに夾竹桃の集団が ☆ほっこり気分
34.まさしくグラノファイアー
紀伊半島南部に位置する潮岬や大島は、地質図では潮岬火成複合岩類の分布域となっています。南紀熊野の西エリア側とは異なる種々の火成岩体が、そのまんま足元に現れているので、以前から苗我島(潮岬と紀伊大島の間の小島)と出雲海岸や潮岬ナビラカ海岸については、内々で話題になっていたところです。今回台風12号進路を気にしながらも有志8名と、N氏S氏の協力を頂き、知識倍増の自主研修会を無事実施する事ができました。
7月28日台風12号影響なのか、朝9時「すさみ道の駅」集合時には小雨がパラついていましたが、限られた日程、微風と大潮時間帯ということもあり車2台に分乗。予定通り大島のループ状の橋を渡りきったすぐ右手トイレ駐車場で、たまたまこの日「双島ジオクルージング」が中止となっていた地元ジオガイドN氏(多岐にご活躍)と合流し同行頂きました。 以前、苗我島を訪れた時には、切り立った崖を降りる途中に、長さ約1.5m、幅約30cm、厚さ約5~6㎝の一枚板を恐る恐る渡った記憶もありましたが、今回は小雨の為、濡れて滑りやすいという事で回避ルートをN氏に教えて頂きました。 細心の注意を払いながら崖を降りきった場所には、思わず眼を見張るほどの光景が現れました(!海水なのに渓谷を流れる清流のような。そして、ここから竜宮城に向かって行けるような! 大潮の潮時にしか見られない!)。ゴミも汚れもない透明なタイドプールと海(波)の回廊のような場所。
(苗我島についてはS氏のブログ参照(右段‘リンク’URLから参照可能)
<11:45> 昼食(冷房の効いたレストラン「水門まつり」着 連日の極暑なら昼食後は腰が上がらなかったかも。)
<13:00> 出雲海岸(潮岬東側)着
途中の道路わきに、昭和天皇行幸記念碑が建立されています。N氏の説明と裏面の行幸ご日程により、1929年6月2日午後、この潮岬から通夜島に渡御され貝拾いをされたようです。出雲海岸散策 主に玄武岩質溶岩やグラノファイアーが露出している岩場には、大きな亀の頭蓋骨や肉片、その他、漂着ゴミらしき物も結構散乱。ゴミ袋持参しなかった事が反省と課題でした。
<13:40> 朝貴神社駐車場着
現在、ウニランプ作りや地域のジオ講座の一役を担っておられるS氏とも合流。小さな鎮守の森の下部には、縄文時代に出来たと思われる奥行き約10mの薄暗い海食洞があり、N氏の案内で早速S氏がフジツボ(種類不明)、ヤッコカンザシを発見。腰をかがめながら足元や壁面に目を凝らしながら通り抜けも楽しみました。この神社裏手の岩石海岸は、一部潟湖になっていて、テントを張った家族連れの歓声とともに雨雲も徐々に薄れていきました。
<14:45> 潮岬ナビラカ海岸着
磯に降りるやいなや、斑レイ岩やグラノファイアー、石英脈が伴う花崗斑岩の岩、黒い楕円形の斑点が入った不思議な風よけ岩などが、ところ狭しとひしめき合う特別な場所です。今回のテーマは、「種々の火成岩を訪ねて」でしたが、岩石に詳しいジオパークガイドのS氏は「・・うーん。一日中ここに座ってしまいそう。だからこの場所だけは今までわざと外してきたし・・・」っと、ユニークなつぶやきが聞こえてきました。 そうなのです!一見地味な場所ですが、大昔の自然界で水中マグマ花火や連発打上げマグマ花火が交差した跡が残るとても賑やかな磯場なのです。
以上
1.苗我島・出雲海岸・潮岬ナビラカ海岸を訪ねて
2.大島方面からの苗我島
3.小雨の中でも軽やかな足取り♪
4.あ!海の回廊が見えた!
5.白く見えるのは・・・決して鳥たちのフンではありません
6.全員無事に降りたったところ
7.ワオ!!「!Wonderful」
8.ここは海!? 南紀熊野の渓谷?
9.大潮ならではの景色!
10.真夜中には乙姫さまが泳いでいるのだろうか 不思議な円形が出来ている
11.自然の造形美 海の回廊
12.流紋岩は見事なウェーブ状に
13.いい笑顔^^ 記念写真を撮り忘れないうちに!
14.この白い脈は・・
15.オーバーハングは雨宿りに丁度いい
16.一直線の橋の右手からウォーク開始
17.やっぱり動かない; 前に進まない;;
18.このロープはいつでもあるのだろうか?
19.秋の景色(N氏提供)
20.和歌山県道41号潮岬周遊線脇に建立
21.2泊3日でおな~り~
22.遠くに見えるのが通夜島
23.貫入岩
24.海のプールも最近は人気沸騰に
25.アカウミガメ? リアルだ
26.潮岬ナビラカ海岸に到着するやいなやかじりつき
27.潮岬ナビラカ海岸には粗粒玄武岩が多いらしい
28. 同じく
29.個性的な岩肌とカラフルな色・色・色
30.斑レイ岩と粗粒玄武岩
31.粗粒玄武岩の中に取り込まれた斑レイ岩の岩体
32.白っぽい岩が粗粒玄武岩
33.駐車場の茂みに夾竹桃の集団が ☆ほっこり気分
34.まさしくグラノファイアー
田ジ研自主研修 黒瀬川帯 黒島(由良町)カヤックツアー
2018.06.04
***参照画像は右段リンクの部分にLink先を入れてありますので、ご参照ください。
2018 0604 田ジ研自主研修の一環として、黒瀬川帯黒島カヤックツアーを催行いたしました。参加者は若干1名になってしまいました。アイランドストリームのH氏のガイドにより、素晴らしい晴天の中、適度に洞窟等があり穏やかな海面の中、黒島一周ができました。途中に上陸可能な小さな砂浜があり、ここで石の収集&昼食をとることができました。閃緑岩という一般的には見ることができない岩体の模様ですが、ハンマーで叩くとそんなに硬いとは感じません。多分、少しずつ島が縮小しているのではないでしょうか。この黒いごまが入ったような岩石は、四国西予ジオパークの黒瀬川帯の模式地である三滝渓谷にある一般に三滝閃緑岩に似ているようです。黒島の周囲を回ってみるとところどころに石灰岩が挟まれているように見受けられます。
西予市立城川地質館の情報として、以下のような記述があります。
「赤道からやってきた黒瀬川古陸
黒瀬川構造帯には、ピンク色をした美しい石灰岩があります。この石灰岩には、サンゴや三葉虫、腕足貝(わんそくるい)の化石をふくんでいます。約4億2700万年前の暖かい海のサンゴ礁に生きていた生物の化石なのです。城川町でも嘉喜尾のエガマ淵、窪野の中野川、寺野などにそのような石灰岩があり、化石がみつかっています。
赤道からやってきた黒瀬川古陸
黒瀬川構造帯には、ピンク色を呈した美しい石灰岩が分布しています。それは、造礁性サンゴ(クサリサンゴやハチノスサンゴ)をはじめ、その間をはいまわっていたであろう三葉虫や腕足貝の化石を産することで有名な、古生代シルル紀(約4億2千7百万年前)の暖かい海で形成されたサンゴ礁の化石なのです。
城川町でも嘉喜尾のエガマ淵、窪野の中野川、寺野などにそのような石灰岩が分布していて、化石がみつかっています。このような石灰岩は、黒瀬川構造帯に何百キロメートルにわたって点々と分布しています。このことは、当時の日本付近の気候が暖かくて、列島に沿ってオーストラリアのグレート・バリアリーフに比較されるような大サンゴ礁が発達していたということなのでしょうか?一方、サンゴや三葉虫の化石には、オーストラリアや南中国のものと共通種が多いことが昔から注目されてきました。このことにはどのような謎がかくされているのでしょうか?
その答えは、この石灰岩を含めて黒瀬川地帯の岩石が帰属していた「黒瀬川古陸」は、実はかつて存在していた「ゴンドワナ大陸」の一部であったらしいということです。」
また、N先生からは、
「黒島は上陸したことがありませんが,黒瀬川帯の三滝火成岩の花崗岩-花崗閃緑岩でできていることは古くから知られています。写真ではこの火成岩のなかに石灰岩が含まれているのは確認できませんが,三滝火成岩にはシルル紀の石灰岩が捕獲岩として含まれていることがあります.徳島県坂州,愛媛県黒瀬川などには大きな石灰岩岩体が分布しますこれらの石灰岩には日本列島における最古の化石,クサリサンゴ,ハチノスサンゴなどシルル紀の化石が含まれているので,石灰岩の形成時代はシルル紀とされています。ほかには飛騨外縁帯にも同様な石灰岩,珊瑚,三葉虫などの化石がみつかっています。」
この黒島の石灰岩にもクサリサンゴのような化石があるかもしれません。
機会があれば、次回は鷹島に行ってみたいと思います。
2018 0604 田ジ研自主研修の一環として、黒瀬川帯黒島カヤックツアーを催行いたしました。参加者は若干1名になってしまいました。アイランドストリームのH氏のガイドにより、素晴らしい晴天の中、適度に洞窟等があり穏やかな海面の中、黒島一周ができました。途中に上陸可能な小さな砂浜があり、ここで石の収集&昼食をとることができました。閃緑岩という一般的には見ることができない岩体の模様ですが、ハンマーで叩くとそんなに硬いとは感じません。多分、少しずつ島が縮小しているのではないでしょうか。この黒いごまが入ったような岩石は、四国西予ジオパークの黒瀬川帯の模式地である三滝渓谷にある一般に三滝閃緑岩に似ているようです。黒島の周囲を回ってみるとところどころに石灰岩が挟まれているように見受けられます。
西予市立城川地質館の情報として、以下のような記述があります。
「赤道からやってきた黒瀬川古陸
黒瀬川構造帯には、ピンク色をした美しい石灰岩があります。この石灰岩には、サンゴや三葉虫、腕足貝(わんそくるい)の化石をふくんでいます。約4億2700万年前の暖かい海のサンゴ礁に生きていた生物の化石なのです。城川町でも嘉喜尾のエガマ淵、窪野の中野川、寺野などにそのような石灰岩があり、化石がみつかっています。
赤道からやってきた黒瀬川古陸
黒瀬川構造帯には、ピンク色を呈した美しい石灰岩が分布しています。それは、造礁性サンゴ(クサリサンゴやハチノスサンゴ)をはじめ、その間をはいまわっていたであろう三葉虫や腕足貝の化石を産することで有名な、古生代シルル紀(約4億2千7百万年前)の暖かい海で形成されたサンゴ礁の化石なのです。
城川町でも嘉喜尾のエガマ淵、窪野の中野川、寺野などにそのような石灰岩が分布していて、化石がみつかっています。このような石灰岩は、黒瀬川構造帯に何百キロメートルにわたって点々と分布しています。このことは、当時の日本付近の気候が暖かくて、列島に沿ってオーストラリアのグレート・バリアリーフに比較されるような大サンゴ礁が発達していたということなのでしょうか?一方、サンゴや三葉虫の化石には、オーストラリアや南中国のものと共通種が多いことが昔から注目されてきました。このことにはどのような謎がかくされているのでしょうか?
その答えは、この石灰岩を含めて黒瀬川地帯の岩石が帰属していた「黒瀬川古陸」は、実はかつて存在していた「ゴンドワナ大陸」の一部であったらしいということです。」
また、N先生からは、
「黒島は上陸したことがありませんが,黒瀬川帯の三滝火成岩の花崗岩-花崗閃緑岩でできていることは古くから知られています。写真ではこの火成岩のなかに石灰岩が含まれているのは確認できませんが,三滝火成岩にはシルル紀の石灰岩が捕獲岩として含まれていることがあります.徳島県坂州,愛媛県黒瀬川などには大きな石灰岩岩体が分布しますこれらの石灰岩には日本列島における最古の化石,クサリサンゴ,ハチノスサンゴなどシルル紀の化石が含まれているので,石灰岩の形成時代はシルル紀とされています。ほかには飛騨外縁帯にも同様な石灰岩,珊瑚,三葉虫などの化石がみつかっています。」
この黒島の石灰岩にもクサリサンゴのような化石があるかもしれません。
機会があれば、次回は鷹島に行ってみたいと思います。
田ジ研自主研修 ~第5回わが町再発見シリーズ~ 「日置川流域 大地の歴史」
2018.06.02
2018.06.02
田辺ジオパーク研究会 自主研修の一環として以下のジオサイト巡検に参加いたしました。
~第5回わが町再発見シリーズ~
「大地の歴史から日置川流域の歴史をたどってみませんか!」
日時:平成30年6月2日(土)
学習会場所:日置川拠点公民館
現地説明会場所:向平・安居・田野井
講師:前南紀熊野ジオパーク学術専門委員 中屋志津男先生
主催:日置川拠点公民館日置分館・三舞分館
協賛;ひきがわ歴史クラブ
**************************
日置川沿いを訪れ、多面的な観点から 勉強が出来ました。
学習会概要を記します。
紀伊半島の地形とプレート運動というテーマでは、4つのプレートにより紀伊半島は全体としては隆起を続けています。細かくいえば日の岬を境に北部では沈降(->リアス式海岸)南部は隆起した海岸が発達しています。また海水面は何回かの氷河期・間氷期により上下を繰り返し、自然の作用により岩石海岸が発達してきました。河口には流失した土砂が沿岸流の影響で砂浜を形成しています。紀伊山地の河川は七つの代表的な川があり、それぞれの方向に流れる中で峡谷や河岸段丘・穿入蛇行を形成しています。日置川においても、中、上流地域では峡谷・岩盤地形が多く、下流地域では川幅が広く砂礫が堆積している部分が多いのが特徴です。下流部分は地質的には牟婁層群と田辺層群の境界に沿って流路があり、還流丘陵と穿入蛇行を形成しながら流れています。田野井・市鹿野と向平・中嶋付近と安居(あご)付近では穿入蛇行と河岸段丘・還流丘陵が発達しており、集落が形成されている。 田野井地区の西部にある高瀬山近辺には泥火山跡があり牟婁層群から貫入してきた形でかぶさっている地質帯になっています。又、見草川出口付近にも泥ダイアピルの貫入地層があり、袋漁港付近には泥火山から液状化により流れ出た泥角礫岩の層状地層を観察することができます。以下、掲載写真をご覧ください。
参考:ジオサイト・キーワード 泥ダイアピル関係=>白浜泥岩岩脈 鳥ノ巣泥岩岩脈 イセザキ泥岩岩脈 見草ダイアピル 市江崎ダイアピル 田野井ダイアピル
1.
2.牟婁層群と田辺層群の関係地質図 赤ラインが日置川
3.学習会様子
4.基本的プレートテクトニクスの説明中
5.牟婁層群と田辺層群の不整合
6.牟婁層群と田辺層群の不整合
7.紀伊半島の地形の特徴説明中
8.エビネ温泉
9.安居(あご)暗渠施設を作った庄屋の記念碑
10.安居地区の方向 右が右岸
11.中嶋地区
12.暗渠の写真を見ています
13.穿入蛇行の背斜・向斜の説明中
14.昔の渡しの川幅はもっと広かったかも
15.安居地区の還流丘陵を説明中
16.田野井地区の土井城跡
17.田野井地区の土井城跡より
18.田野井地区の泥ダイアピルはあのあたり
19.泥ダイアピル・泥火山模式図 A&B
20.見草川と袋地区
21.見草川と袋地区
22.
23.見草川出口にあるダイアピルジオサイト A
24.泥質角礫岩体 A
25.泥質角礫岩体 A
26.袋地区のダイアピル 層状地層 B
27.対岸が袋漁港
28.袋漁港にある層状地層 B
田辺ジオパーク研究会 自主研修の一環として以下のジオサイト巡検に参加いたしました。
~第5回わが町再発見シリーズ~
「大地の歴史から日置川流域の歴史をたどってみませんか!」
日時:平成30年6月2日(土)
学習会場所:日置川拠点公民館
現地説明会場所:向平・安居・田野井
講師:前南紀熊野ジオパーク学術専門委員 中屋志津男先生
主催:日置川拠点公民館日置分館・三舞分館
協賛;ひきがわ歴史クラブ
**************************
日置川沿いを訪れ、多面的な観点から 勉強が出来ました。
学習会概要を記します。
紀伊半島の地形とプレート運動というテーマでは、4つのプレートにより紀伊半島は全体としては隆起を続けています。細かくいえば日の岬を境に北部では沈降(->リアス式海岸)南部は隆起した海岸が発達しています。また海水面は何回かの氷河期・間氷期により上下を繰り返し、自然の作用により岩石海岸が発達してきました。河口には流失した土砂が沿岸流の影響で砂浜を形成しています。紀伊山地の河川は七つの代表的な川があり、それぞれの方向に流れる中で峡谷や河岸段丘・穿入蛇行を形成しています。日置川においても、中、上流地域では峡谷・岩盤地形が多く、下流地域では川幅が広く砂礫が堆積している部分が多いのが特徴です。下流部分は地質的には牟婁層群と田辺層群の境界に沿って流路があり、還流丘陵と穿入蛇行を形成しながら流れています。田野井・市鹿野と向平・中嶋付近と安居(あご)付近では穿入蛇行と河岸段丘・還流丘陵が発達しており、集落が形成されている。 田野井地区の西部にある高瀬山近辺には泥火山跡があり牟婁層群から貫入してきた形でかぶさっている地質帯になっています。又、見草川出口付近にも泥ダイアピルの貫入地層があり、袋漁港付近には泥火山から液状化により流れ出た泥角礫岩の層状地層を観察することができます。以下、掲載写真をご覧ください。
参考:ジオサイト・キーワード 泥ダイアピル関係=>白浜泥岩岩脈 鳥ノ巣泥岩岩脈 イセザキ泥岩岩脈 見草ダイアピル 市江崎ダイアピル 田野井ダイアピル
1.
2.牟婁層群と田辺層群の関係地質図 赤ラインが日置川
3.学習会様子
4.基本的プレートテクトニクスの説明中
5.牟婁層群と田辺層群の不整合
6.牟婁層群と田辺層群の不整合
7.紀伊半島の地形の特徴説明中
8.エビネ温泉
9.安居(あご)暗渠施設を作った庄屋の記念碑
10.安居地区の方向 右が右岸
11.中嶋地区
12.暗渠の写真を見ています
13.穿入蛇行の背斜・向斜の説明中
14.昔の渡しの川幅はもっと広かったかも
15.安居地区の還流丘陵を説明中
16.田野井地区の土井城跡
17.田野井地区の土井城跡より
18.田野井地区の泥ダイアピルはあのあたり
19.泥ダイアピル・泥火山模式図 A&B
20.見草川と袋地区
21.見草川と袋地区
22.
23.見草川出口にあるダイアピルジオサイト A
24.泥質角礫岩体 A
25.泥質角礫岩体 A
26.袋地区のダイアピル 層状地層 B
27.対岸が袋漁港
28.袋漁港にある層状地層 B