第14回 本宮町備崎・黒尊佛・敷屋・篠尾川周辺巡検
2016.11.05
第14回 本宮町備崎~黒尊仏~敷屋~篠尾川周辺巡検
晴天 参加者17名
<<行程>>
<9:10> ・出発 滝尻駐車場(乗合せ)R311本宮へ
<10:00>・到着 本宮町備崎(そなえざき)S氏レクチャー 備崎遺跡
「磐座・洞窟群と埋経所とその他」について。
紀南文化財研究会「熊野」資料参照
<10:50>・トイレ休憩@請側
<11:15>・到着 大津荷黒尊佛(くるそんぶつ) 熊野層群の泥岩を
貫入して出現している石英斑岩(火成岩)
「続風土記」には疱瘡(ほうそう 天然痘)の神様としてあがめられた
と記載
集合写真
<12:30>・昼食 熊野川河原
<13:10>・到着 東敷屋~西敷屋 S氏レクチャー
敷屋庄の御師・敷屋氏と見座氏について。(別紙資料参考)
<13:40>・到着 丸島橋 褶曲を観察
<13:45>・到着 発電所の送水管を上から見学
この送水管は十津川の二津野ダムより椋呂(むくろ)まで送水し
発電されている(地理院地図には破線で送水管を記録)
<13:55>・到着 篠尾渓谷① 河原のタービダイトと褶曲見学(福田氏
バンダナ目印)
<14:15>・到着 篠尾渓谷② 河原の褶曲 ①よりも川幅が広く河原に
降りやすい
<15:00>・到着 篠尾集落 トイレ休憩
<15:30>・出発 Nさん&区長さんの案内で、夫婦(めおと)滝周辺と
平屋敷家・下ノ坊家石垣見学&集合写真
<16:20>・終了 帰途につく
<17:15>・解散 滝尻駐車場
<<巡検内容・説明コメント>>
今回の巡検・見学は、地質の先生のご都合がつかず、当会員S氏の”歴史民俗学”レクチャーが主となった。参加者は目の当たりにした遺跡や景観に往年の栄華・往時の人々の願望をオーバーラップさせていた様子が印象的であった。(*****)田辺市以外の南紀熊野ジオパーク北エリア熊野川町敷屋~篠尾集落周辺を訪れた理由の一つには、田辺市本宮町大津荷(田辺市最東端)から、車で数分という近さであった事もあり、結果、現西敷屋の小山神社の存在が、東敷屋・篠尾・四村荘・小津荷・大津荷・津荷谷地域一帯にとって重要な存在であったことも伺える。敷矢一族の歴史を紹介した看板もあり、下方に写真と内容を網羅したので、一読を。
このエリアの地域キーワードは熊野本宮大社、玉置山(玉置神社)、山岳信仰、川の参詣道等であろうが、当時の人々のルートに対する思考は尾根道を介するルートであった。S会員より御師のお話があったが、玉置神社へのガイド・宿泊所提供であったようであり、篠尾集落北部には玉置山に向かうルートがあったようである。地質的には篠尾周辺に日高川層群付加体(竜神層)、音無川付加体、熊野層群が交差しており、その中に大峰酸性岩体、熊野酸性岩体が偏在し変化に富んだ場所である。道中素晴らしい篠尾川渓谷(音無川層群褶曲含む)を楽しみ、篠尾集落到着が予定より2時間弱遅れとなってしまった。11月6日の「龍神さま」お祭り準備でご多忙にもかかわらず集落のみなさまは、快くおもてなしいただいた。また、数日前、篠尾渓谷褶曲場所目印のご配慮頂いた、南紀熊野ジオパークガイドH、F両氏 にも感謝。
***** 関係資料は最下部に表示・提示(1:熊野本宮備崎 発掘調査報告書 2:紀南文化財研究会 熊野 No.132/133)
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黒尊佛へのGPSルート 如法山の北部です。
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小雲取越 熊野参詣道(古道)の近く 右下に見る形になる。
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夫婦滝へのGPSルート 甲森のほぼ西方です。
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世界遺産 備崎案内板の説明内容を以下に記します。
----------------------------------------------
史跡 備崎経塚群
経塚は、平安時代後期に広まった末法思想の影響から釈迦入滅の56億7千万年後といわれる弥勒仏の出現まで貴重な経典や仏像を残す目的や、極楽浄土への往生現世利益を願って書写した経典等を納めるために造営されたと考えられている。
備崎経塚群は、熊野本宮大社旧社地大斎原の熊野川を挟んだ対岸、七越峰から西に延びる
尾根尖端の北斜面に所在し、経塚が広範囲に分布している宗教関連遺跡である。
平成13年度に実施された発掘調査によると、主要形態は地山を掘りくぼめて埋納スペースを造るもの、地山を深く掘り側壁に板石を並べ底部に板石を配置し函状にするもの、地山をほとんど掘らずに河原石などで天井まで積み上げてスペースを造るもの等がある。
出土遺物は経筒片(銅製・土師質製・瓦質製・陶質製・陶製)、外容器とされる龜(土師器・陶器)、壺(陶器)、土師器・杯、瓦器・皿、合子(陶器・磁器)、銅製仏像(薬師如来立像)、銅鏡、火打ち鎌など多数あり、平安時代から鎌倉時代まで経塚信仰が営まれていたことがわかる。
周辺一帯には、露呈する大きな岩塊が点在していることから、備崎経塚群は自然崇拝を根源とした古代信仰の形態をうかがい知ることができる貴重な遺跡で、山頂側にある平坦地は「宿」のひとつ「備の宿」があったと推定されている。
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下の写真の内容を以下に記します。
------------------
敷矢重市良兼種公と一族の遺業及遺領
敷矢重市良兼種公は今を去る約七百年前源家の為に一の谷に滅した平家正系の
子孫なり。
即ち公の祖先は源平の戦いに敗れて後、紀州に入り日高の地に居して栄えたり。
紀姓を名乗る道成は日高の一寺を建立する際、その建立奉行となり、己の名を
この一寺におくり道成寺と号せり。現今の道成寺の肇めなり。後浪人して南紀に
至り当敷屋に到る。此の地にて上は三里より下は田長に至るまでその所領とし
敷屋氏紀姓を名乗り領主となる。然れどもその子なき故に頼朝によって誅(ちゅう)
せられ千葉大輔胤成の子流浪して熊野に入りたるを養いて家系を継がせり。
それより古文書に名のあらわせる紀兼能、紀兼政、紀兼吉、紀兼文と代を重ね
兼種に至れり、兼種公よくその領地を治め、田畑を広め、田水不足を補うため
現猪の谷に残れる堤は公の為せる業なり。
道成より四百年間敷屋一帯の田畑を拓けるは皆この敷矢一族の功なり。
兼種公、慶長七年三月四日病没、戒名開基南光院殿古鑑巌心大居士となり長昌寺
に入滅す。良兼公病没後はその家盛全くおとろえ、没後数年にして、その子は
追われ十津川小山手に逃れ、この地に住す、姓を千葉弾正と名乗り現在に至るも
その子孫は続き、小山手に残れり。
毎年四月四日数百年来寺屋敷における祭礼はこの東敷屋開祖というべき敷矢一族
の遺業を偲びその霊を慰むる所以のものなり。
東敷屋信徒総代
発起人 上地市之丈
世話人 上地秀義
宮相小 畑繁三郎
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敷矢一族屋敷跡
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*****備崎関係資料
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玉置山山頂付近図・枕状溶岩分布
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玉石社概略図
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晴天 参加者17名
<<行程>>
<9:10> ・出発 滝尻駐車場(乗合せ)R311本宮へ
<10:00>・到着 本宮町備崎(そなえざき)S氏レクチャー 備崎遺跡
「磐座・洞窟群と埋経所とその他」について。
紀南文化財研究会「熊野」資料参照
<10:50>・トイレ休憩@請側
<11:15>・到着 大津荷黒尊佛(くるそんぶつ) 熊野層群の泥岩を
貫入して出現している石英斑岩(火成岩)
「続風土記」には疱瘡(ほうそう 天然痘)の神様としてあがめられた
と記載
集合写真
<12:30>・昼食 熊野川河原
<13:10>・到着 東敷屋~西敷屋 S氏レクチャー
敷屋庄の御師・敷屋氏と見座氏について。(別紙資料参考)
<13:40>・到着 丸島橋 褶曲を観察
<13:45>・到着 発電所の送水管を上から見学
この送水管は十津川の二津野ダムより椋呂(むくろ)まで送水し
発電されている(地理院地図には破線で送水管を記録)
<13:55>・到着 篠尾渓谷① 河原のタービダイトと褶曲見学(福田氏
バンダナ目印)
<14:15>・到着 篠尾渓谷② 河原の褶曲 ①よりも川幅が広く河原に
降りやすい
<15:00>・到着 篠尾集落 トイレ休憩
<15:30>・出発 Nさん&区長さんの案内で、夫婦(めおと)滝周辺と
平屋敷家・下ノ坊家石垣見学&集合写真
<16:20>・終了 帰途につく
<17:15>・解散 滝尻駐車場
<<巡検内容・説明コメント>>
今回の巡検・見学は、地質の先生のご都合がつかず、当会員S氏の”歴史民俗学”レクチャーが主となった。参加者は目の当たりにした遺跡や景観に往年の栄華・往時の人々の願望をオーバーラップさせていた様子が印象的であった。(*****)田辺市以外の南紀熊野ジオパーク北エリア熊野川町敷屋~篠尾集落周辺を訪れた理由の一つには、田辺市本宮町大津荷(田辺市最東端)から、車で数分という近さであった事もあり、結果、現西敷屋の小山神社の存在が、東敷屋・篠尾・四村荘・小津荷・大津荷・津荷谷地域一帯にとって重要な存在であったことも伺える。敷矢一族の歴史を紹介した看板もあり、下方に写真と内容を網羅したので、一読を。
このエリアの地域キーワードは熊野本宮大社、玉置山(玉置神社)、山岳信仰、川の参詣道等であろうが、当時の人々のルートに対する思考は尾根道を介するルートであった。S会員より御師のお話があったが、玉置神社へのガイド・宿泊所提供であったようであり、篠尾集落北部には玉置山に向かうルートがあったようである。地質的には篠尾周辺に日高川層群付加体(竜神層)、音無川付加体、熊野層群が交差しており、その中に大峰酸性岩体、熊野酸性岩体が偏在し変化に富んだ場所である。道中素晴らしい篠尾川渓谷(音無川層群褶曲含む)を楽しみ、篠尾集落到着が予定より2時間弱遅れとなってしまった。11月6日の「龍神さま」お祭り準備でご多忙にもかかわらず集落のみなさまは、快くおもてなしいただいた。また、数日前、篠尾渓谷褶曲場所目印のご配慮頂いた、南紀熊野ジオパークガイドH、F両氏 にも感謝。
***** 関係資料は最下部に表示・提示(1:熊野本宮備崎 発掘調査報告書 2:紀南文化財研究会 熊野 No.132/133)
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黒尊佛へのGPSルート 如法山の北部です。
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小雲取越 熊野参詣道(古道)の近く 右下に見る形になる。
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夫婦滝へのGPSルート 甲森のほぼ西方です。
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世界遺産 備崎案内板の説明内容を以下に記します。
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史跡 備崎経塚群
経塚は、平安時代後期に広まった末法思想の影響から釈迦入滅の56億7千万年後といわれる弥勒仏の出現まで貴重な経典や仏像を残す目的や、極楽浄土への往生現世利益を願って書写した経典等を納めるために造営されたと考えられている。
備崎経塚群は、熊野本宮大社旧社地大斎原の熊野川を挟んだ対岸、七越峰から西に延びる
尾根尖端の北斜面に所在し、経塚が広範囲に分布している宗教関連遺跡である。
平成13年度に実施された発掘調査によると、主要形態は地山を掘りくぼめて埋納スペースを造るもの、地山を深く掘り側壁に板石を並べ底部に板石を配置し函状にするもの、地山をほとんど掘らずに河原石などで天井まで積み上げてスペースを造るもの等がある。
出土遺物は経筒片(銅製・土師質製・瓦質製・陶質製・陶製)、外容器とされる龜(土師器・陶器)、壺(陶器)、土師器・杯、瓦器・皿、合子(陶器・磁器)、銅製仏像(薬師如来立像)、銅鏡、火打ち鎌など多数あり、平安時代から鎌倉時代まで経塚信仰が営まれていたことがわかる。
周辺一帯には、露呈する大きな岩塊が点在していることから、備崎経塚群は自然崇拝を根源とした古代信仰の形態をうかがい知ることができる貴重な遺跡で、山頂側にある平坦地は「宿」のひとつ「備の宿」があったと推定されている。
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下の写真の内容を以下に記します。
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敷矢重市良兼種公と一族の遺業及遺領
敷矢重市良兼種公は今を去る約七百年前源家の為に一の谷に滅した平家正系の
子孫なり。
即ち公の祖先は源平の戦いに敗れて後、紀州に入り日高の地に居して栄えたり。
紀姓を名乗る道成は日高の一寺を建立する際、その建立奉行となり、己の名を
この一寺におくり道成寺と号せり。現今の道成寺の肇めなり。後浪人して南紀に
至り当敷屋に到る。此の地にて上は三里より下は田長に至るまでその所領とし
敷屋氏紀姓を名乗り領主となる。然れどもその子なき故に頼朝によって誅(ちゅう)
せられ千葉大輔胤成の子流浪して熊野に入りたるを養いて家系を継がせり。
それより古文書に名のあらわせる紀兼能、紀兼政、紀兼吉、紀兼文と代を重ね
兼種に至れり、兼種公よくその領地を治め、田畑を広め、田水不足を補うため
現猪の谷に残れる堤は公の為せる業なり。
道成より四百年間敷屋一帯の田畑を拓けるは皆この敷矢一族の功なり。
兼種公、慶長七年三月四日病没、戒名開基南光院殿古鑑巌心大居士となり長昌寺
に入滅す。良兼公病没後はその家盛全くおとろえ、没後数年にして、その子は
追われ十津川小山手に逃れ、この地に住す、姓を千葉弾正と名乗り現在に至るも
その子孫は続き、小山手に残れり。
毎年四月四日数百年来寺屋敷における祭礼はこの東敷屋開祖というべき敷矢一族
の遺業を偲びその霊を慰むる所以のものなり。
東敷屋信徒総代
発起人 上地市之丈
世話人 上地秀義
宮相小 畑繁三郎
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敷矢一族屋敷跡
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*****備崎関係資料
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玉置山山頂付近図・枕状溶岩分布
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玉石社概略図
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第13回 田辺市龍神村龍神 小又川近辺巡検
2016.09.25
第13回 田辺市龍神村龍神 小又川・竜神温泉元湯近辺巡検
曇り後晴れ 参加人数22名
<<行程>>
<9:55> ・出発 龍神行政局 R371北上 小又川トンネル通過R425へ
<10:20>・到着 天誅(てんちゅう)倉
・1863年幕府に追討された尊王攘夷派「天誅組」と、地元の人々との
触れ合いを伝える文化財=案内人は、当会会員地元のM氏
<10:48>・出発
<10:55>・到着 小又川バンガロー下 河原にて 吉松先生レクチャー
・日高川層群龍神層、寒川・小又川ユニットについて
・凝灰岩・緑色岩・赤色岩・枕状溶岩などの説明
・龍神鉱山のマンガン鉱床と採掘跡見学
・その他、雨が約1週間前から断続的に降り続いていた為、
対岸に渡ることが出来ず実際の採掘跡が見学できなかった
<11:55>・出発
<12:00>・到着 深山荘(元小又川小学校 現在宿泊所)
・昼食
・敷地内のお堂の横に「キササゲ」の大きな実が涼しげにぶら下がる
・集合写真
<13:00>・出発 R371に戻り北上
<13:15>・到着 龍神温泉元湯の河原(日高川)数日間の雨量で増水)
・ソールマークの説明
・ソールマークの図り方
・日本三大美人湯と云われる龍神温泉について
・集合写真
<14:30>・解散 終了後、付近の褶曲見学・温泉利用・take out
カフェ利用や帰宅組に分散
<<巡検内容・説明コメント>>
「紀伊半島四万十帯の地質図」を見ると、白亜紀に形成された日高川層群の最上部に、今回見学を行った龍神層が表記されている。今回の巡検場所は龍神温泉元湯近辺、小又川地区には戦前マンガン鉱山があった。どうもマンガンの使途は質の良くない鉄を良質にするために戦前・戦中使用されたようである。今ある小又川バンガローの少し上部に鉱床が横たわっているようである。坑道は既に塞がれており、場所によっては縦に50メートルの坑道があったようである。深山荘は元々、小又川小学校の跡地にあり、その昔は人口が多かったときの名残であろう。グルーブキャストは前の国民宿舎(今は素泊まりのみの宿泊所)の丁度真下にあり、数分で到達が可能である。吉松敏隆氏記載のネイチャーランド田辺(田辺市文化財第51号2015年3月)には以下のように記されている。
⑤龍神温泉のソールマーク
龍神温泉元湯の対岸の路頭には、砂岩泥岩互層の砂質部の下底に丸太が半分埋まったような模様が見られる。これは、この砂や泥が混濁流となって海底扇状地に流れ込んで堆積した時の跡で、流れの方向性を示すソールマーク(底痕)の「グルーブキャスト」である。このソールマークは、南北性の流れの方向を示している。この付近には、日高川帯の龍神層のうち、砂岩層および砂岩優勢砂岩頁岩層からなる小又川ユニットが分布する。
今回の巡検場所 矢印の所 縦の赤い曲線は国道371号を示す
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詳細地図 大きな赤丸部分が、マンガン鉱床跡・枕上溶岩路頭
小さな赤丸部分が、グルーブキャスト露頭・天誅倉
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天誅倉を訪問 田ジ研Mさんの解説 最近、萱屋根を新調
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小又川バンガローを通り河原へ ああでもないこうでもない。。。。
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小又川に鎮座する枕状溶岩 どのあたりの海底火山でできたのだろう?
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吉松先生の熱の入ったご説明
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吉松先生の熱の入ったご説明 右下はマンガン鉱?
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左下はマンガン坑道跡 危険なのでふさがれている
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キササゲの実 深山荘記念碑 お堂の前にて集合写真 カノンの看板
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旧国民宿舎下のグルーブキャスト露頭へ
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吉松先生からソールマークの測り方を教授 左下は温泉元湯を望む
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吉松先生からグルーブキャストが出来上がった方法の可能性を説明
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旧国民宿舎前にて最後の集合写真
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参考:天誅倉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
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参考:龍神温泉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
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この日にメンバーY氏より近辺の褶曲サイトの紹介(2地点)
1:甲斐ノ川 本村 2: 宮代(371を南に走り宮代トンネルを出たところの橋の下)
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<<<今回、吉松先生が利用されたスライド類>>>
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曇り後晴れ 参加人数22名
<<行程>>
<9:55> ・出発 龍神行政局 R371北上 小又川トンネル通過R425へ
<10:20>・到着 天誅(てんちゅう)倉
・1863年幕府に追討された尊王攘夷派「天誅組」と、地元の人々との
触れ合いを伝える文化財=案内人は、当会会員地元のM氏
<10:48>・出発
<10:55>・到着 小又川バンガロー下 河原にて 吉松先生レクチャー
・日高川層群龍神層、寒川・小又川ユニットについて
・凝灰岩・緑色岩・赤色岩・枕状溶岩などの説明
・龍神鉱山のマンガン鉱床と採掘跡見学
・その他、雨が約1週間前から断続的に降り続いていた為、
対岸に渡ることが出来ず実際の採掘跡が見学できなかった
<11:55>・出発
<12:00>・到着 深山荘(元小又川小学校 現在宿泊所)
・昼食
・敷地内のお堂の横に「キササゲ」の大きな実が涼しげにぶら下がる
・集合写真
<13:00>・出発 R371に戻り北上
<13:15>・到着 龍神温泉元湯の河原(日高川)数日間の雨量で増水)
・ソールマークの説明
・ソールマークの図り方
・日本三大美人湯と云われる龍神温泉について
・集合写真
<14:30>・解散 終了後、付近の褶曲見学・温泉利用・take out
カフェ利用や帰宅組に分散
<<巡検内容・説明コメント>>
「紀伊半島四万十帯の地質図」を見ると、白亜紀に形成された日高川層群の最上部に、今回見学を行った龍神層が表記されている。今回の巡検場所は龍神温泉元湯近辺、小又川地区には戦前マンガン鉱山があった。どうもマンガンの使途は質の良くない鉄を良質にするために戦前・戦中使用されたようである。今ある小又川バンガローの少し上部に鉱床が横たわっているようである。坑道は既に塞がれており、場所によっては縦に50メートルの坑道があったようである。深山荘は元々、小又川小学校の跡地にあり、その昔は人口が多かったときの名残であろう。グルーブキャストは前の国民宿舎(今は素泊まりのみの宿泊所)の丁度真下にあり、数分で到達が可能である。吉松敏隆氏記載のネイチャーランド田辺(田辺市文化財第51号2015年3月)には以下のように記されている。
⑤龍神温泉のソールマーク
龍神温泉元湯の対岸の路頭には、砂岩泥岩互層の砂質部の下底に丸太が半分埋まったような模様が見られる。これは、この砂や泥が混濁流となって海底扇状地に流れ込んで堆積した時の跡で、流れの方向性を示すソールマーク(底痕)の「グルーブキャスト」である。このソールマークは、南北性の流れの方向を示している。この付近には、日高川帯の龍神層のうち、砂岩層および砂岩優勢砂岩頁岩層からなる小又川ユニットが分布する。
今回の巡検場所 矢印の所 縦の赤い曲線は国道371号を示す
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詳細地図 大きな赤丸部分が、マンガン鉱床跡・枕上溶岩路頭
小さな赤丸部分が、グルーブキャスト露頭・天誅倉
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天誅倉を訪問 田ジ研Mさんの解説 最近、萱屋根を新調
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小又川バンガローを通り河原へ ああでもないこうでもない。。。。
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小又川に鎮座する枕状溶岩 どのあたりの海底火山でできたのだろう?
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吉松先生の熱の入ったご説明
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吉松先生の熱の入ったご説明 右下はマンガン鉱?
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左下はマンガン坑道跡 危険なのでふさがれている
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キササゲの実 深山荘記念碑 お堂の前にて集合写真 カノンの看板
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旧国民宿舎下のグルーブキャスト露頭へ
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吉松先生からソールマークの測り方を教授 左下は温泉元湯を望む
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吉松先生からグルーブキャストが出来上がった方法の可能性を説明
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旧国民宿舎前にて最後の集合写真
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参考:天誅倉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
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参考:龍神温泉 絵葉書で見る大正~昭和初期の龍神村 出版:あおい書店より
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この日にメンバーY氏より近辺の褶曲サイトの紹介(2地点)
1:甲斐ノ川 本村 2: 宮代(371を南に走り宮代トンネルを出たところの橋の下)
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<<<今回、吉松先生が利用されたスライド類>>>
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第12回 中辺路町 果無山脈附近巡検
2016.08.28
第12回 中辺路町 果無山脈褶曲と断層破砕帯等見学会@2016.08.28(Sun)
晴れ 参加人数13名
<<<行程>>>
<9:25>出発 ・大塔行政局(乗り合わせ)
・R311~中辺路町福定(大銀杏の手前を降り富田川に
沿って坂泰(さかたい)方向に進む
<10:15>到着 ・兵生(ひょうぜい)(民有林道 滝の口支線入り口)
・「音無川層群・スラスト等=別紙資料」 画像①参照
<10:35>出発 ・「水源の森」看板横を登り太泰(おおたい)谷へ 画像②
・浅い川の中をジャブジャブ渡る(長靴が良い)画像③⑥
・所々の山肌がストライプ模様になっている 画像④
<11:00>到着 ・小滝とその手前から褶曲が背斜・向斜と連続 画像⑤
・海溝域で形成された(巨大な海底扇状地堆積物)
・大縄跳びを回しているような曲線が数か所に集まっている!
・(蛭の画像⑦参照)
<12:10>出発 ・兵生(ひょうぜい)滝の口
<12:15>停止 ・ズレ褶曲(地図では スランプ褶曲箇所)
見学 画像⑨⑩ 路頭下部、小さく狭く窮屈に
曲がっている部分
<12:25>到着 ・和歌山森林管理署到着&昼食 画僧⑧と8’参照
・約2万7000年前の姶良火山灰がありました。 画像⑪⑫
<13:15>出発 ・坂泰山(さかたい)~冷水山方面
・富田川川沿い~安堵山の谷を走行
<13:40>到着 ・果無断層破砕帯 画像⑬⑭
・この付近は、逆断層(果無断層)の影響で2000mの差が出来ている模様
・断層破砕帯は、断層境界付近の地層がずりあがる時に、
大きな岩が破壊されるので、周りよりも小さな石がボコボコ現れている
<13:45>到着 ・緑色岩(玄武岩) 画像⑯⑰⑱
・この辺りは活断層で隆起している
<14:25>到着 ・崩壊露頭褶曲(紀伊半島大水害) 画像⑲⑳
・冷水山~東の川迄の間に突如!一瞬にして目が覚めた
<15:00>出発 ・新高尾トンネルに向かう
・「野中の清水」源流は、タイムオーバーの為、次回 残念!
<16:30>到着 ・大塔行政局解散
今回は、紀伊山地の殆どを占める付加体の一つ、「音無川層群」の巡検を計画しました。太泰谷(おおたいたに)の小滝周辺には、重なり合う波のような褶曲。果無山脈沿いでは高さ約30mの巨大なキャンパスに描かれた大褶曲に、参加者から思わず感嘆の声が発せられ、果無断層破砕帯や緑色岩等も確認できました。ルートは、R311を大銀杏で有名な福定の手前を林道に降り、富田川の源流に向かって北上し、太泰山国有林を抜け果無山脈「冷水山(1262m)」南側を東に移動。更に日置川源流(東の川)を南下し、新高尾トンネルを抜けてR311に帰還する右回りルートでした。特に今回の巡検では、中屋先生がいつも繰り返し仰られている「紀伊半島は長きにわたり圧縮されている」という事が実感できた貴重な巡検だったと思います。 この果無山脈を貫く一群の褶曲露頭は、すさみ町「フェニックス褶曲」のように「果無の・・・・」と、ネーミングに熱い議論が交わされているところです。
*最後に今回の巡検ルートを添付しました。福定より富田川を上流に上り
果無山脈を東向きに走行し、冷水山より日置川に沿って南下というルートでした。
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***371号線小松原の「てんぐら橋」の近くにも同じような褶曲路頭が
見られます。
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晴れ 参加人数13名
<<<行程>>>
<9:25>出発 ・大塔行政局(乗り合わせ)
・R311~中辺路町福定(大銀杏の手前を降り富田川に
沿って坂泰(さかたい)方向に進む
<10:15>到着 ・兵生(ひょうぜい)(民有林道 滝の口支線入り口)
・「音無川層群・スラスト等=別紙資料」 画像①参照
<10:35>出発 ・「水源の森」看板横を登り太泰(おおたい)谷へ 画像②
・浅い川の中をジャブジャブ渡る(長靴が良い)画像③⑥
・所々の山肌がストライプ模様になっている 画像④
<11:00>到着 ・小滝とその手前から褶曲が背斜・向斜と連続 画像⑤
・海溝域で形成された(巨大な海底扇状地堆積物)
・大縄跳びを回しているような曲線が数か所に集まっている!
・(蛭の画像⑦参照)
<12:10>出発 ・兵生(ひょうぜい)滝の口
<12:15>停止 ・ズレ褶曲(地図では スランプ褶曲箇所)
見学 画像⑨⑩ 路頭下部、小さく狭く窮屈に
曲がっている部分
<12:25>到着 ・和歌山森林管理署到着&昼食 画僧⑧と8’参照
・約2万7000年前の姶良火山灰がありました。 画像⑪⑫
<13:15>出発 ・坂泰山(さかたい)~冷水山方面
・富田川川沿い~安堵山の谷を走行
<13:40>到着 ・果無断層破砕帯 画像⑬⑭
・この付近は、逆断層(果無断層)の影響で2000mの差が出来ている模様
・断層破砕帯は、断層境界付近の地層がずりあがる時に、
大きな岩が破壊されるので、周りよりも小さな石がボコボコ現れている
<13:45>到着 ・緑色岩(玄武岩) 画像⑯⑰⑱
・この辺りは活断層で隆起している
<14:25>到着 ・崩壊露頭褶曲(紀伊半島大水害) 画像⑲⑳
・冷水山~東の川迄の間に突如!一瞬にして目が覚めた
<15:00>出発 ・新高尾トンネルに向かう
・「野中の清水」源流は、タイムオーバーの為、次回 残念!
<16:30>到着 ・大塔行政局解散
今回は、紀伊山地の殆どを占める付加体の一つ、「音無川層群」の巡検を計画しました。太泰谷(おおたいたに)の小滝周辺には、重なり合う波のような褶曲。果無山脈沿いでは高さ約30mの巨大なキャンパスに描かれた大褶曲に、参加者から思わず感嘆の声が発せられ、果無断層破砕帯や緑色岩等も確認できました。ルートは、R311を大銀杏で有名な福定の手前を林道に降り、富田川の源流に向かって北上し、太泰山国有林を抜け果無山脈「冷水山(1262m)」南側を東に移動。更に日置川源流(東の川)を南下し、新高尾トンネルを抜けてR311に帰還する右回りルートでした。特に今回の巡検では、中屋先生がいつも繰り返し仰られている「紀伊半島は長きにわたり圧縮されている」という事が実感できた貴重な巡検だったと思います。 この果無山脈を貫く一群の褶曲露頭は、すさみ町「フェニックス褶曲」のように「果無の・・・・」と、ネーミングに熱い議論が交わされているところです。
*最後に今回の巡検ルートを添付しました。福定より富田川を上流に上り
果無山脈を東向きに走行し、冷水山より日置川に沿って南下というルートでした。
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***371号線小松原の「てんぐら橋」の近くにも同じような褶曲路頭が
見られます。
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第11回 天神崎・元島巡検@2016.06.04
2016.06.04
日時・時間・天気・参加人数
6月4日(土曜日) 曇り後小雨 11名参加
<<<巡検行程>>>
<10:00>・天神崎丸山元灯台近く駐車場
・海岸遊歩道ウォーク 波食溝&ポットホール発見
<10:40>・元島磯にて吉松先生レクチャー
・岩石海岸の微地形について
・波食棚に形成されている海食洞(ノッチ)
・岩石・鉱物・化石について
・天神崎周辺の地質=田辺層群朝来層(別紙添付あり
田辺層群の模式柱状図と朝来累層の模式層序断面)
・万呂層と飛曽川層確認
・元島をグルッと一周(植生、ヤブニッケイ等・磯の生き物)
<12:20>・昼食 記念写真
<13:30>・天神崎 清掃活動
<14:00>・駐車場にて解散
<巡検内容・説明>
曇り空の中、ナショナルトラスト運動で有名な天神崎(てんじんざき)と元島の巡検を行った。吉松先生の丁寧なレクチャーに十分な理解ができたものと想像す。天神崎は平たんな岩礁(海食台)が広がり、干潮時には広大な広場(21ha)のようになり、田辺市民の恰好のレクリエーションの場となっている。海岸自然林の動植物と海の動植物が広大な海食台を挟んで同居しており、森・磯・海が一体となる生態系を作り出している。地質的には天神崎と元島は田辺層群の飛曽川層と万呂層が連続しており、元島には両者の地層の境界面が露頭として見ることができる。昨年、吉野熊野国立公園の一部になったこともあり、益々素晴らしい自然の持続性を大切にしてほしい場所である。最後に清掃活動を行い、気持ちよく解散となった。
参考:'ちらし' です
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6月4日(土曜日) 曇り後小雨 11名参加
<<<巡検行程>>>
<10:00>・天神崎丸山元灯台近く駐車場
・海岸遊歩道ウォーク 波食溝&ポットホール発見
<10:40>・元島磯にて吉松先生レクチャー
・岩石海岸の微地形について
・波食棚に形成されている海食洞(ノッチ)
・岩石・鉱物・化石について
・天神崎周辺の地質=田辺層群朝来層(別紙添付あり
田辺層群の模式柱状図と朝来累層の模式層序断面)
・万呂層と飛曽川層確認
・元島をグルッと一周(植生、ヤブニッケイ等・磯の生き物)
<12:20>・昼食 記念写真
<13:30>・天神崎 清掃活動
<14:00>・駐車場にて解散
<巡検内容・説明>
曇り空の中、ナショナルトラスト運動で有名な天神崎(てんじんざき)と元島の巡検を行った。吉松先生の丁寧なレクチャーに十分な理解ができたものと想像す。天神崎は平たんな岩礁(海食台)が広がり、干潮時には広大な広場(21ha)のようになり、田辺市民の恰好のレクリエーションの場となっている。海岸自然林の動植物と海の動植物が広大な海食台を挟んで同居しており、森・磯・海が一体となる生態系を作り出している。地質的には天神崎と元島は田辺層群の飛曽川層と万呂層が連続しており、元島には両者の地層の境界面が露頭として見ることができる。昨年、吉野熊野国立公園の一部になったこともあり、益々素晴らしい自然の持続性を大切にしてほしい場所である。最後に清掃活動を行い、気持ちよく解散となった。
参考:'ちらし' です
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田辺ジオパーク研究会総会
2016.05.15
5月15日(日)晴天の中、総会が開催され和気藹々の中、無事終了いたしました。以下、記録ですが、個人名は割愛いたします。
記
平成28年5月15日(日)13:30〜15:00 田辺市民総合センター2階交流ホール
現会員数69名 3団体 内出席者23名 委任状25名
1.会長挨拶
2.議長選出 1名 議事録署名人 2名
3.議案審議
○平成27年度活動報告(別紙)
○平成27年度会計決算報告、監査報告(別紙)
○平成28年度役員改選
会 長 1名
副会長 3名
事務局
局長 1名
次長 1名
会計 1名
広報 2名
渉外 2名
監査 2名
顧問 1名
4.平成28年度活動計画
○例会 毎月第3金曜日
○ジオサイト見学会 年6回
第1回目
6月4日 吉野熊野国立公園指定80周年・拡張記念2016
(5月10日「地質の日」記念イベント兼 別紙)
集合場所・時間 天神崎駐車場10:00
見学サイト 元島〜天神崎
費 用 500円 (資料代・保険料)
講 師 和歌山県立自然博物館学術研究員吉松敏隆氏
申込締切 6月2日
準備物 各自昼食・飲料水・タオル等
第2回目以降の見学会候補地
・龍神村小森谷渓谷(会員向けジオサイト見学会)
・城ヶ森山龍神街道(11月頃 一般募集ツアー)
・大塔西大谷(乳大師)
・四村川、水力発電所付近
・田辺地域の断層見学
○記念講演会2月
○冊子作成
○その他 見学ツアー実施曜日について(例、日曜日) ツアー用バス手配等
5.平成28年度予算(別紙)
6.その他
ホームページに関する料金等
以上
記
平成28年5月15日(日)13:30〜15:00 田辺市民総合センター2階交流ホール
現会員数69名 3団体 内出席者23名 委任状25名
1.会長挨拶
2.議長選出 1名 議事録署名人 2名
3.議案審議
○平成27年度活動報告(別紙)
○平成27年度会計決算報告、監査報告(別紙)
○平成28年度役員改選
会 長 1名
副会長 3名
事務局
局長 1名
次長 1名
会計 1名
広報 2名
渉外 2名
監査 2名
顧問 1名
4.平成28年度活動計画
○例会 毎月第3金曜日
○ジオサイト見学会 年6回
第1回目
6月4日 吉野熊野国立公園指定80周年・拡張記念2016
(5月10日「地質の日」記念イベント兼 別紙)
集合場所・時間 天神崎駐車場10:00
見学サイト 元島〜天神崎
費 用 500円 (資料代・保険料)
講 師 和歌山県立自然博物館学術研究員吉松敏隆氏
申込締切 6月2日
準備物 各自昼食・飲料水・タオル等
第2回目以降の見学会候補地
・龍神村小森谷渓谷(会員向けジオサイト見学会)
・城ヶ森山龍神街道(11月頃 一般募集ツアー)
・大塔西大谷(乳大師)
・四村川、水力発電所付近
・田辺地域の断層見学
○記念講演会2月
○冊子作成
○その他 見学ツアー実施曜日について(例、日曜日) ツアー用バス手配等
5.平成28年度予算(別紙)
6.その他
ホームページに関する料金等
以上