第3回 天神崎~岩陰遺跡~神子浜砥石採石場~三壷崎
2015.06.20
第3回 天神崎~岩陰遺跡~神子浜砥石採石場~三壷崎(さんこざき)
磯間岩陰遺跡(いそまいわかげいせき)は、和歌山県田辺市磯間に所在する古墳時代の岩陰内集団墓である。1970年(昭和45年)12月18日、国の史跡に指定された。
本遺跡は、海岸に突き出た独立丘陵[1]の崖下にある海食岩陰遺跡である。海食洞の規模は、前面幅約23メートル、奥行き5メートルである。1969年(昭和44年)11月に、岩陰内で遺物が発見された。これがきっかけとなり、1970年(昭和45年)3月から発掘調査が行われた。 発掘調査で、古墳時代中期の終わりから後期にかけての石室墓であることが判明した。そのなかの第1号石室の被葬者は漁撈集団の首長とその一族と考えられている。1969年(昭和44年)には、人骨や須恵器など発見され、翌年には、人骨は13体であり、合葬または追葬されており、火葬墓などを含む岩陰墓であることが分かった。埋葬施設は5世紀の終わり頃から6世紀後半までの竪穴式石室を模した石室であり、8基つくられていた。 第1号石室は岩陰のほぼ中央部に造られ、長辺の長さ約2.16メートル、幅約70センチメートル、高さ約50センチメートルで、石材は、紀ノ川流域で採掘された緑泥結晶片岩と砂岩質の石と板石とが使われ、天井石は4枚である。内部には男性人骨[2]と幼児人骨が埋葬されていた。副葬品の中に優れた鹿角製装具鉄剣が二振り分、同釣針、同銛、同鳴鏑(なりかぶら)などがあった。(Wikipediaより)
磯間岩陰遺跡(いそまいわかげいせき)は、和歌山県田辺市磯間に所在する古墳時代の岩陰内集団墓である。1970年(昭和45年)12月18日、国の史跡に指定された。
本遺跡は、海岸に突き出た独立丘陵[1]の崖下にある海食岩陰遺跡である。海食洞の規模は、前面幅約23メートル、奥行き5メートルである。1969年(昭和44年)11月に、岩陰内で遺物が発見された。これがきっかけとなり、1970年(昭和45年)3月から発掘調査が行われた。 発掘調査で、古墳時代中期の終わりから後期にかけての石室墓であることが判明した。そのなかの第1号石室の被葬者は漁撈集団の首長とその一族と考えられている。1969年(昭和44年)には、人骨や須恵器など発見され、翌年には、人骨は13体であり、合葬または追葬されており、火葬墓などを含む岩陰墓であることが分かった。埋葬施設は5世紀の終わり頃から6世紀後半までの竪穴式石室を模した石室であり、8基つくられていた。 第1号石室は岩陰のほぼ中央部に造られ、長辺の長さ約2.16メートル、幅約70センチメートル、高さ約50センチメートルで、石材は、紀ノ川流域で採掘された緑泥結晶片岩と砂岩質の石と板石とが使われ、天井石は4枚である。内部には男性人骨[2]と幼児人骨が埋葬されていた。副葬品の中に優れた鹿角製装具鉄剣が二振り分、同釣針、同銛、同鳴鏑(なりかぶら)などがあった。(Wikipediaより)
第2回 音無川層群・牟婁層群不整合~ひき岩群周辺~大坊~秋葉山押分け岩巡検
2015.05.16
第2回 音無川層群・牟婁層群不整合~ひき岩群周辺~大坊~秋葉山押分け岩巡検
小雨 参加者23名
<行程>
<10:00> 集合 ふるさと自然公園センター
音無川層群、牟婁層群、田辺層群について中屋先生レクチャー
<11:00> 徒歩 ブドウ園登り口入り、牟婁層群と田辺層群朝来層 泥基質角礫岩層
の露頭見学
<11:45> 徒歩 東登り口経由第一展望塔からから丘陵を眺める
田辺層群・白浜層砂岩・礫岩層
<12:30> 昼食 車乗合せ
<13:30> 大坊祇園神社から大天井を眺望
西天井を抜け208号線へ
<14:50> 秋葉山の押分け岩 田辺層群の砂岩・礫岩層境界
<15:40> 解散
午前中の小雨も午後からはすっかり止み、更に足取りも軽く見学会を終了。
<巡検内容・説明>
田辺市稲成町「ひき岩群」は、大きな岩が約2㎞にわたって連なる丘陵地域である。
中には1958年「蟾蜍岩(せんじょいわ)」と呼ばれる岩が和歌山県天然記念物指定
になっている。この一帯は様々な植生に富み、2015年9月に吉野熊野国立公園指定
地域にも拡張され、遠方や近隣の人々の自然散策の場所としてとても親しまれている。
又、2015年8月1日、日本地質学会「日本奇岩百景」にも当会から登録された。
パノラマ展望塔に上ると360°の展望を楽しめ、稜線の北側に急な崖をつくり、
南側がゆるやかな斜面になった非対称の丘陵地形が顕著に確認できる。
理由は、白浜層が南側に30°傾斜し、周辺の泥岩層が浸食され谷を造り、それより
も硬い砂岩層は浸食から取り残されて峰を造っているからである。正(まさ)しく、
ヒキガエルの群れが天を仰ぎ、今にも飛び上がりそうな勢いのある素晴らしい
景勝地になっている。この附近の地層・地質は、紀伊半島南西側を形成する主要な
付加体、音無川層群・牟婁層群及び前弧海盆堆積体“田辺層群”が折り重なり、
約1800万年前の“巨礫の山ミステリー”や、それよりも古い地層との不整合にも
遭遇できる面白いジオサイトである。
小雨 参加者23名
<行程>
<10:00> 集合 ふるさと自然公園センター
音無川層群、牟婁層群、田辺層群について中屋先生レクチャー
<11:00> 徒歩 ブドウ園登り口入り、牟婁層群と田辺層群朝来層 泥基質角礫岩層
の露頭見学
<11:45> 徒歩 東登り口経由第一展望塔からから丘陵を眺める
田辺層群・白浜層砂岩・礫岩層
<12:30> 昼食 車乗合せ
<13:30> 大坊祇園神社から大天井を眺望
西天井を抜け208号線へ
<14:50> 秋葉山の押分け岩 田辺層群の砂岩・礫岩層境界
<15:40> 解散
午前中の小雨も午後からはすっかり止み、更に足取りも軽く見学会を終了。
<巡検内容・説明>
田辺市稲成町「ひき岩群」は、大きな岩が約2㎞にわたって連なる丘陵地域である。
中には1958年「蟾蜍岩(せんじょいわ)」と呼ばれる岩が和歌山県天然記念物指定
になっている。この一帯は様々な植生に富み、2015年9月に吉野熊野国立公園指定
地域にも拡張され、遠方や近隣の人々の自然散策の場所としてとても親しまれている。
又、2015年8月1日、日本地質学会「日本奇岩百景」にも当会から登録された。
パノラマ展望塔に上ると360°の展望を楽しめ、稜線の北側に急な崖をつくり、
南側がゆるやかな斜面になった非対称の丘陵地形が顕著に確認できる。
理由は、白浜層が南側に30°傾斜し、周辺の泥岩層が浸食され谷を造り、それより
も硬い砂岩層は浸食から取り残されて峰を造っているからである。正(まさ)しく、
ヒキガエルの群れが天を仰ぎ、今にも飛び上がりそうな勢いのある素晴らしい
景勝地になっている。この附近の地層・地質は、紀伊半島南西側を形成する主要な
付加体、音無川層群・牟婁層群及び前弧海盆堆積体“田辺層群”が折り重なり、
約1800万年前の“巨礫の山ミステリー”や、それよりも古い地層との不整合にも
遭遇できる面白いジオサイトである。
第1回 新庄地区 鳥ノ巣泥岩岩脈と奥山の甌穴
2015.04.18
・ジオ研究会参加者20名
・新庄わがまち再発見の会6名参加
<13:00>
・新庄町内の浦干潟公園駐車場集合
<13:10>
・中屋先生 干潟公園内の生痕化石の出来方説明約20分
2種類の巣穴発見
<13:35>
・乗り合わせで泥岩岩脈へ出発
<13:40>
・泥岩岩脈磯到着 亀裂が東西と南北の2方向が見える
・前弧海盆堆積体説明の浅い海に堆積した地層
1600万年前~1800万年前に出来た地層
・泥ダイアピルの説明
・海進時期と海面が下がる状況の説明
縄文時期には現在よりも3~4m海面が上がっていた
露頭に洞穴が残っている(ノッチ)
グロッケリアのような生痕化石発見
<14:40>
・三栖JA選果場駐車場到着 4名待機
<15:10>
・甌穴(おうけつ)到着
・名喜里(なきり)川上流(所要時間15分) 源流は高畑山
<15:20>
・中屋先生説明
甌穴は砂岩で出来ている
岩盤に割れ目が無く均質な地層の田辺層群に出来ている
日本名石百選に選ばれている
奥山の甌穴は西に10°傾斜している
甌穴は丁度、牟婁層群との不整合の位置に出来ている
昭和23年ごろまで通れていた
田辺層群は褶曲しない
<16:10>
・JA選果場駐車場にて前弧海盆・牟婁層群(四万十付加体)説明
・ウルム期には海面が7~8m低く気温も3~4°低かった。
(大陸棚と呼ばれるところは大昔の海岸)
縄文海進時代には海面が今より高い
富田川より南が隆起し海岸段丘が高くなっている
千畳敷15~20m 江須崎30~35m 潮岬50m
南海トラフと関係が大きい日の岬より北側は地質的には沈降している
<16:30> 解散
次回のフィールドワーク
5月16日(土)雨天の場合は17日日曜9時半 岩口池集合
ひき岩~押分け岩 お弁当持参 16時解散
・新庄わがまち再発見の会6名参加
<13:00>
・新庄町内の浦干潟公園駐車場集合
<13:10>
・中屋先生 干潟公園内の生痕化石の出来方説明約20分
2種類の巣穴発見
<13:35>
・乗り合わせで泥岩岩脈へ出発
<13:40>
・泥岩岩脈磯到着 亀裂が東西と南北の2方向が見える
・前弧海盆堆積体説明の浅い海に堆積した地層
1600万年前~1800万年前に出来た地層
・泥ダイアピルの説明
・海進時期と海面が下がる状況の説明
縄文時期には現在よりも3~4m海面が上がっていた
露頭に洞穴が残っている(ノッチ)
グロッケリアのような生痕化石発見
<14:40>
・三栖JA選果場駐車場到着 4名待機
<15:10>
・甌穴(おうけつ)到着
・名喜里(なきり)川上流(所要時間15分) 源流は高畑山
<15:20>
・中屋先生説明
甌穴は砂岩で出来ている
岩盤に割れ目が無く均質な地層の田辺層群に出来ている
日本名石百選に選ばれている
奥山の甌穴は西に10°傾斜している
甌穴は丁度、牟婁層群との不整合の位置に出来ている
昭和23年ごろまで通れていた
田辺層群は褶曲しない
<16:10>
・JA選果場駐車場にて前弧海盆・牟婁層群(四万十付加体)説明
・ウルム期には海面が7~8m低く気温も3~4°低かった。
(大陸棚と呼ばれるところは大昔の海岸)
縄文海進時代には海面が今より高い
富田川より南が隆起し海岸段丘が高くなっている
千畳敷15~20m 江須崎30~35m 潮岬50m
南海トラフと関係が大きい日の岬より北側は地質的には沈降している
<16:30> 解散
次回のフィールドワーク
5月16日(土)雨天の場合は17日日曜9時半 岩口池集合
ひき岩~押分け岩 お弁当持参 16時解散