第20回 印南漁港~畑野崎一周~美浜町・煙樹ヶ浜~三尾海岸~西山管制塔
2017.12.23
第20回 印南漁港~畑野崎一周~美浜町・煙樹ヶ浜~三尾海岸~西山航空管
制塔
12.23 快晴 20名の参加
<行程予定>
印南漁港→畑野崎一周(音無川付加体地質構造・音無川の鍵層=タービダイトの堆積構造・付加体の褶曲構造など)→昼食→美浜町・煙樹ヶ浜→三尾海岸(日高川付加体・構造ユニット=スラスト・枕状溶岩など)→西山航空管制塔(珪長質凝灰岩、煙樹ヶ浜海岸の地形を遠望(ビーチカスプ等)
何かと気ぜわしい師走ですが、この日の天気は数日前からの風も無く暖かく絶好の巡検日和でした。紀伊半島の土台を成す四万十帯のうち、音無川付加体と日高川付加体について久々に南紀熊野ジオパーク学術専門委員中屋志津男氏にご指導頂きました。
<09:30>
印南漁港集合
<09:40>
四万十帯の音無川付加体・日高川付加体について中屋氏から簡潔な概要説明を受けました。
<10:00>
堤防から海側に降りると洗濯岩のような磯と、斜面に描かれた緩やかな屈曲構造の地層が目に飛び込んで来ます。ここは海底扇状地で堆積された泥岩勝ちの砂岩・泥岩互層(タービダイト)堆積の様子がとても分かり易く現れています。配布頂いた資料と照らし合わせながら外海方面に歩いて行くと、付加体の特徴である褶曲が、背斜と向斜、更に上下逆転されている軸ポイントがあり、砂岩の級化、ラミナ、生痕化石を参考に地層の上下当てクイズで盛り上がりました。次にこの海岸の特徴について、堤防から約200m離れた足元の音無川層群最下部の瓜谷層には、一般的な砂岩ではなさそうな赤と緑の岩が波打ち際に平行に並んでいる事でした。それは、海洋性岩石といわれる赤色泥岩と緑色泥岩で、地学的には鍵層と呼ばれるようです。そして、この近くの泥岩の中には拳大くらいの石灰質ノジュールも所々に混在しています。これは一般的に「古谷石(ふるやいし)」と呼ばれて、愛石家の間では有名です。この石のでき方について説明をいただきました。
又、外海に面した所には、固結前に形成されたといわれる鋭角なシェブロン(shevron)褶曲,
箱型の共役褶曲と断層が芸術的に現れています。一体どのような屈曲の仕方なのでしょうか?見れば見るほど悩めば悩むほど頭の中は整理が出来なくトランス状態のまま、次の目的地へ向かうことにしました(既にタイムオーバ)。結局、印南町畑野崎海岸では、音無川羽六層下部と瓜谷層の見分け、地層の変形の仕方や、タービダイトについて参加者が理解を深めることが出来た一日でした。
(※注釈 印南町畑野崎漁港から御坊市の塩屋までが海岸段丘です。)
<12:30>
各自、乗り合いにて昼食を自由行動(ドライブイン、屋外、スーパー等)で楽しみました。
<14:00>
再度、集合。
煙樹ヶ浜海岸を波打ち際まで散策し、煙樹ヶ浜のできた歴史を説明していただきました。紀伊半島では河口から海を見て、右側に砂州ができるようです。カスプ(波が打ち寄せる模様)Cuspの説明を受けたが、今回は西山からの俯瞰は時間的にできませんでした。
<15:00>
三尾海岸(アメリカ村)逢母海岸
ここの枕状溶岩には一部、石灰岩が取り込まれています。これは、海底火山の溶岩噴出時に、近辺にあった珊瑚由来の石灰岩を取り込んだ模様です。又、枕状の塊の間には泥岩が挟まり南紀熊野ジオパークサイトの枕状溶岩と比べると球状がよりはっきりしている模様でした。又、枕状溶岩の上下の見方の説明があり、実物を見て納得ができました。
断層破砕帯が海岸に東西方向に走っています。帯状の中の岩塊は断層岩と呼ばれていますが、これは付加体の横から見た模式図では一般に付加体スラストと呼ばれているものです。今回、巡検したスラストは幅30~50メートルくらいありましたが、地質図には掲載されていない、小さいスラストということでした。礫岩とかが様々に入り混じった地質で一般的にメランジュ(メレンゲと同意語)とも呼ばれています。
<16:30>
西山までは訪問できませんでしたが、各自、満足した様子で三尾・逢母海岸で解散・帰途につきました。
***古谷石(ふるやいし)とは:
日本に産する代表的観賞石の一つ。京都の加茂川石と併称されるが、歴史はむしろ古く、江戸中期、正徳(しょうとく)・享保(きょうほう)(1711~36)のころからといわれ、とくに文人墨客に深く愛好された。主産地は和歌山県西牟婁(にしむろ)郡秋津川地区から日高郡西本庄にかけての山中。いわゆる土中石で、掘り出して灰土を落とし、丹念に仕上げる。山水景石、姿石などに名品が多い。主として台座で観賞される。江戸期には紀州田辺藩の「お留め石」[村田圭司]ニッポニカより
1:今回の巡検訪問場所です
2:印南漁港に集合しました
3:晴天!とても暖かい
4:イソギク です
5:歩き出すと地層を見つけて興味深々です
6:切目崎の方を見ています
7:ハマナデシコ です
8:細いストライプ仕立ての 四万十付加体(音無川層群羽六層下部)
9:タ-ビダイトの説明(級化、ラミナー、葉理等)をしています
10:海成段丘の斜面
11:頭上はかなり崩れやすくなっています
12:座り込むと暫く動かない
13:ソールマークに生痕化石を発見!
14:ここにもあります
15:古谷石の赤ちゃんでしょうか
16:浸食されて洗濯板のような整然層
17:砂岩層が少し厚くなっています
18:
19:
20:
21:古谷石のでき方を説明しています
海溝の泥層上に水流の具合により穴ぼこができ、そこに石灰質の成分がたまって ノジュール状態になっていきます。深度3000Mあたりの炭酸塩補償深度(CCD)が関係するそうです。
(以下、Wikipediaより)Carbonate Compensation Depth, CCD
海水中においては、炭酸カルシウムは以下の式のように溶存・固化状態が変化する。
C a C O 3 + C O 2 + H 2 O ⇌ C a 2 + ( a q ) + 2 H C O 3 − ( a q )
浅深度の海中に生息する石灰質プランクトンは炭酸カルシウムの殻を形成する。プランクトンの遺骸は、深海へと沈降していく。海底の深度がCCD以浅の場合、炭酸カルシウムはあまり溶解せず、炭酸塩海底堆積物が形成される[1]。CCD以深の海中においては、上記式の右側への反応が進み、炭酸カルシウムが海中へ溶解し、炭酸塩海底堆積物が形成されなくなる。この溶解反応は低温・高圧ほど進みやすい。
CCDは、温度、圧力、イオン濃度にも影響されるが、太平洋では4,000-5,000 mであり、大西洋(5,000-5,500 m)よりも浅い。また高緯度ほどCCDは浅くなる。
22:
23:
24:
25:泥岩層が厚くなっています
26:
27:古谷石の小片です
28:
29:
30:
31:瓜谷層を見ています
32:
33:赤色・緑色部分が瓜谷層の鍵層になります
34:
35:
36:
37:
38:不思議な褶曲です
39:
40:
41:西日本の地質の押され具合を西部構造線を中心に説明中です
42:
43:
44:
45:
46:
47:
48:この付近の褶曲は面白いです
49:
50:
51:
52:
53:
54:
55:
56:山形褶曲(shevron fold)の説明をしています
57:不思議ですね
58:
59:集合写真1
60:集合写真2
61:共役褶曲(Conjugate fold)です
62:
63:ステゴザウルスの背中のようです
64:
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81:
82:
83:畑野崎の海岸段丘上から見た眺め、まさに洗濯板のようです
84:美浜町・煙樹ヶ浜に来ました
85:
86:
87:煙樹ヶ浜が縄文時代からできた歴史を説明しています
88:
89:カスプの例・カラパイアより
90:石ころを見ながら、煙樹ヶ浜を退散です
91:三尾海岸に来ました
92:枕状溶岩です
93:
94:方解石がはさまっています
95:
96:珊瑚由来の石灰岩があります
97:
98:
99:方解石にサンポールをかけてみました->泡立ちます
100:
101:横倒しになっている枕状溶岩です
102:
103:
104:断層破砕帯をみています
105:
106:
107:
108:断層岩・礫がはさまっています
109:
110:東に向かって断層破砕帯(=付加体スラスト)の断層岩が続いています
111:
112:
113:
制塔
12.23 快晴 20名の参加
<行程予定>
印南漁港→畑野崎一周(音無川付加体地質構造・音無川の鍵層=タービダイトの堆積構造・付加体の褶曲構造など)→昼食→美浜町・煙樹ヶ浜→三尾海岸(日高川付加体・構造ユニット=スラスト・枕状溶岩など)→西山航空管制塔(珪長質凝灰岩、煙樹ヶ浜海岸の地形を遠望(ビーチカスプ等)
何かと気ぜわしい師走ですが、この日の天気は数日前からの風も無く暖かく絶好の巡検日和でした。紀伊半島の土台を成す四万十帯のうち、音無川付加体と日高川付加体について久々に南紀熊野ジオパーク学術専門委員中屋志津男氏にご指導頂きました。
<09:30>
印南漁港集合
<09:40>
四万十帯の音無川付加体・日高川付加体について中屋氏から簡潔な概要説明を受けました。
<10:00>
堤防から海側に降りると洗濯岩のような磯と、斜面に描かれた緩やかな屈曲構造の地層が目に飛び込んで来ます。ここは海底扇状地で堆積された泥岩勝ちの砂岩・泥岩互層(タービダイト)堆積の様子がとても分かり易く現れています。配布頂いた資料と照らし合わせながら外海方面に歩いて行くと、付加体の特徴である褶曲が、背斜と向斜、更に上下逆転されている軸ポイントがあり、砂岩の級化、ラミナ、生痕化石を参考に地層の上下当てクイズで盛り上がりました。次にこの海岸の特徴について、堤防から約200m離れた足元の音無川層群最下部の瓜谷層には、一般的な砂岩ではなさそうな赤と緑の岩が波打ち際に平行に並んでいる事でした。それは、海洋性岩石といわれる赤色泥岩と緑色泥岩で、地学的には鍵層と呼ばれるようです。そして、この近くの泥岩の中には拳大くらいの石灰質ノジュールも所々に混在しています。これは一般的に「古谷石(ふるやいし)」と呼ばれて、愛石家の間では有名です。この石のでき方について説明をいただきました。
又、外海に面した所には、固結前に形成されたといわれる鋭角なシェブロン(shevron)褶曲,
箱型の共役褶曲と断層が芸術的に現れています。一体どのような屈曲の仕方なのでしょうか?見れば見るほど悩めば悩むほど頭の中は整理が出来なくトランス状態のまま、次の目的地へ向かうことにしました(既にタイムオーバ)。結局、印南町畑野崎海岸では、音無川羽六層下部と瓜谷層の見分け、地層の変形の仕方や、タービダイトについて参加者が理解を深めることが出来た一日でした。
(※注釈 印南町畑野崎漁港から御坊市の塩屋までが海岸段丘です。)
<12:30>
各自、乗り合いにて昼食を自由行動(ドライブイン、屋外、スーパー等)で楽しみました。
<14:00>
再度、集合。
煙樹ヶ浜海岸を波打ち際まで散策し、煙樹ヶ浜のできた歴史を説明していただきました。紀伊半島では河口から海を見て、右側に砂州ができるようです。カスプ(波が打ち寄せる模様)Cuspの説明を受けたが、今回は西山からの俯瞰は時間的にできませんでした。
<15:00>
三尾海岸(アメリカ村)逢母海岸
ここの枕状溶岩には一部、石灰岩が取り込まれています。これは、海底火山の溶岩噴出時に、近辺にあった珊瑚由来の石灰岩を取り込んだ模様です。又、枕状の塊の間には泥岩が挟まり南紀熊野ジオパークサイトの枕状溶岩と比べると球状がよりはっきりしている模様でした。又、枕状溶岩の上下の見方の説明があり、実物を見て納得ができました。
断層破砕帯が海岸に東西方向に走っています。帯状の中の岩塊は断層岩と呼ばれていますが、これは付加体の横から見た模式図では一般に付加体スラストと呼ばれているものです。今回、巡検したスラストは幅30~50メートルくらいありましたが、地質図には掲載されていない、小さいスラストということでした。礫岩とかが様々に入り混じった地質で一般的にメランジュ(メレンゲと同意語)とも呼ばれています。
<16:30>
西山までは訪問できませんでしたが、各自、満足した様子で三尾・逢母海岸で解散・帰途につきました。
***古谷石(ふるやいし)とは:
日本に産する代表的観賞石の一つ。京都の加茂川石と併称されるが、歴史はむしろ古く、江戸中期、正徳(しょうとく)・享保(きょうほう)(1711~36)のころからといわれ、とくに文人墨客に深く愛好された。主産地は和歌山県西牟婁(にしむろ)郡秋津川地区から日高郡西本庄にかけての山中。いわゆる土中石で、掘り出して灰土を落とし、丹念に仕上げる。山水景石、姿石などに名品が多い。主として台座で観賞される。江戸期には紀州田辺藩の「お留め石」[村田圭司]ニッポニカより
1:今回の巡検訪問場所です
2:印南漁港に集合しました
3:晴天!とても暖かい
4:イソギク です
5:歩き出すと地層を見つけて興味深々です
6:切目崎の方を見ています
7:ハマナデシコ です
8:細いストライプ仕立ての 四万十付加体(音無川層群羽六層下部)
9:タ-ビダイトの説明(級化、ラミナー、葉理等)をしています
10:海成段丘の斜面
11:頭上はかなり崩れやすくなっています
12:座り込むと暫く動かない
13:ソールマークに生痕化石を発見!
14:ここにもあります
15:古谷石の赤ちゃんでしょうか
16:浸食されて洗濯板のような整然層
17:砂岩層が少し厚くなっています
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21:古谷石のでき方を説明しています
海溝の泥層上に水流の具合により穴ぼこができ、そこに石灰質の成分がたまって ノジュール状態になっていきます。深度3000Mあたりの炭酸塩補償深度(CCD)が関係するそうです。
(以下、Wikipediaより)Carbonate Compensation Depth, CCD
海水中においては、炭酸カルシウムは以下の式のように溶存・固化状態が変化する。
C a C O 3 + C O 2 + H 2 O ⇌ C a 2 + ( a q ) + 2 H C O 3 − ( a q )
浅深度の海中に生息する石灰質プランクトンは炭酸カルシウムの殻を形成する。プランクトンの遺骸は、深海へと沈降していく。海底の深度がCCD以浅の場合、炭酸カルシウムはあまり溶解せず、炭酸塩海底堆積物が形成される[1]。CCD以深の海中においては、上記式の右側への反応が進み、炭酸カルシウムが海中へ溶解し、炭酸塩海底堆積物が形成されなくなる。この溶解反応は低温・高圧ほど進みやすい。
CCDは、温度、圧力、イオン濃度にも影響されるが、太平洋では4,000-5,000 mであり、大西洋(5,000-5,500 m)よりも浅い。また高緯度ほどCCDは浅くなる。
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27:古谷石の小片です
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41:西日本の地質の押され具合を西部構造線を中心に説明中です
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48:この付近の褶曲は面白いです
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56:山形褶曲(shevron fold)の説明をしています
57:不思議ですね
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59:集合写真1
60:集合写真2
61:共役褶曲(Conjugate fold)です
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63:ステゴザウルスの背中のようです
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83:畑野崎の海岸段丘上から見た眺め、まさに洗濯板のようです
84:美浜町・煙樹ヶ浜に来ました
85:
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87:煙樹ヶ浜が縄文時代からできた歴史を説明しています
88:
89:カスプの例・カラパイアより
90:石ころを見ながら、煙樹ヶ浜を退散です
91:三尾海岸に来ました
92:枕状溶岩です
93:
94:方解石がはさまっています
95:
96:珊瑚由来の石灰岩があります
97:
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99:方解石にサンポールをかけてみました->泡立ちます
100:
101:横倒しになっている枕状溶岩です
102:
103:
104:断層破砕帯をみています
105:
106:
107:
108:断層岩・礫がはさまっています
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110:東に向かって断層破砕帯(=付加体スラスト)の断層岩が続いています
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田辺市生涯学習フェスティバル 展示参加
2017.11.25
2017.11.25・26 田辺市生涯学習フェスティバル出展
環境省田辺自然保護管事務所のブースにおいて、「環境省」「天神崎の自然を大切にする会」「田辺ジオパーク研究会」「田辺中学校」と共催で、写真パネル、海の生き物タッチプール、アフリカツメガエル研究、生痕化石や鉱物などの出展を行いました。
田辺ジオパーク研究会(以下当会)は、今年初めて当地域にちなんだ小学生向けのクイズ(面白田辺ジオクイズ)をメンバーから募集して楽しんでいただきました。 ところが、「難しいなァ」の声が多々あり、全問正解は数人程度の結果となりました。「満点賞」「おしかったで賞」があり、チャレンジ組には大変喜んでいただけたようです。
入込人数は昨年よりも若干少なく約1,250名のカウントですが、館内全体会場の中では、昨年に続き超人気ブースの一つとなっているようです。(影の声 実際にはかなりのカウント不足があると思う;)
会場内では、動く生きものにはまったく触れる事ができない子どもや、長時間生きもの観察を楽しんでいた子ども達に、その都度スタッフが根気よく付き合い、大変ほほえましく和気あいあいのアットホームな雰囲気が部屋中に溢れ、見守る保護者の眼差しにも心が和みました。 又、当会の展示物(パネル・生痕化石・鉱物)にも「凄い!これ光ってる」「おもしろい形やなァ」「こんなん田辺にあるん?」「どんにして出来るん?」などと、あれやこれやの発見と気づきの楽しぃ会話が肩を並べて出来た事は、会員にとっても貴重な体験でした。これからも身近な大地と海川山の様々な「いのち」、果ては地球や宇宙まで、大人も子どもも一緒に楽しく学べるイベントとなる事を願っています。(C.H.)
↓ 仕掛け作りに熱中しています
↓ とり丼 だったかな
環境省田辺自然保護管事務所のブースにおいて、「環境省」「天神崎の自然を大切にする会」「田辺ジオパーク研究会」「田辺中学校」と共催で、写真パネル、海の生き物タッチプール、アフリカツメガエル研究、生痕化石や鉱物などの出展を行いました。
田辺ジオパーク研究会(以下当会)は、今年初めて当地域にちなんだ小学生向けのクイズ(面白田辺ジオクイズ)をメンバーから募集して楽しんでいただきました。 ところが、「難しいなァ」の声が多々あり、全問正解は数人程度の結果となりました。「満点賞」「おしかったで賞」があり、チャレンジ組には大変喜んでいただけたようです。
入込人数は昨年よりも若干少なく約1,250名のカウントですが、館内全体会場の中では、昨年に続き超人気ブースの一つとなっているようです。(影の声 実際にはかなりのカウント不足があると思う;)
会場内では、動く生きものにはまったく触れる事ができない子どもや、長時間生きもの観察を楽しんでいた子ども達に、その都度スタッフが根気よく付き合い、大変ほほえましく和気あいあいのアットホームな雰囲気が部屋中に溢れ、見守る保護者の眼差しにも心が和みました。 又、当会の展示物(パネル・生痕化石・鉱物)にも「凄い!これ光ってる」「おもしろい形やなァ」「こんなん田辺にあるん?」「どんにして出来るん?」などと、あれやこれやの発見と気づきの楽しぃ会話が肩を並べて出来た事は、会員にとっても貴重な体験でした。これからも身近な大地と海川山の様々な「いのち」、果ては地球や宇宙まで、大人も子どもも一緒に楽しく学べるイベントとなる事を願っています。(C.H.)
↓ 仕掛け作りに熱中しています
↓ とり丼 だったかな
田辺市龍神村 翔龍祭参加
2017.11.18
2017 11/18-19 田辺市龍神村・林業祭 翔龍祭出展参加
田辺ジオパーク研究会は初めて田辺市龍神村の林業祭りである翔龍祭に出展いたしました。これまで収集いたしました、広い田辺市内のジオサイトの写真と数点の生痕化石等を展示、平行してU氏の米、S氏のみかん、RURUKOROさんの菓子の販売をいたしました。初日はあいにくの雨でしたが、2日目は晴れ間の覗く日でしたが、肌寒い両日でした。展示の写真を見てはうんうんと頷いている方や、ジオパークに関する質問をする方や、NHKのGeoJapanの影響でしょうか専門的な質問もありました。今回は初めての参加になりましたが、他の出展には店舗関係が多く、また芸術家村からの参加、チェンソーアートを含め、アートの関係が多いのもこの祭りの特色でしょう。当然、木工工作、かご作成等、ショータイムにはいろいろな年代の方の歌、演奏、踊り等があり、楽しませていただきました。2日目にはK氏によるロープワーク実習があり小一時間大いに楽しみました。来年も参加できるように要改善です。
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田辺ジオパーク研究会は初めて田辺市龍神村の林業祭りである翔龍祭に出展いたしました。これまで収集いたしました、広い田辺市内のジオサイトの写真と数点の生痕化石等を展示、平行してU氏の米、S氏のみかん、RURUKOROさんの菓子の販売をいたしました。初日はあいにくの雨でしたが、2日目は晴れ間の覗く日でしたが、肌寒い両日でした。展示の写真を見てはうんうんと頷いている方や、ジオパークに関する質問をする方や、NHKのGeoJapanの影響でしょうか専門的な質問もありました。今回は初めての参加になりましたが、他の出展には店舗関係が多く、また芸術家村からの参加、チェンソーアートを含め、アートの関係が多いのもこの祭りの特色でしょう。当然、木工工作、かご作成等、ショータイムにはいろいろな年代の方の歌、演奏、踊り等があり、楽しませていただきました。2日目にはK氏によるロープワーク実習があり小一時間大いに楽しみました。来年も参加できるように要改善です。
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第19回 落合~伏菟野(ふどの)~上野~射森峠~中辺路町西谷方面へ
2017.11.05
2017.11.5 第19回 落合~伏菟野(ふどの)~上野~射森峠~中辺路町西谷方面へ
2011年9月4日未明、3日前からの豪雨と台風12号の影響で、田辺市伏菟野(ふどの)前谷地区の山(西側)が、山裾から凄まじい音と共に深層崩壊発生。家屋とともに尊い5名の命が失われました(合掌)。
その後、約3年半で復興を成し遂げられ2015年4月、前谷地区の入口には災害復興記念碑と銘刻碑が建立されています。
(参考 2011年紀伊半島大水害 国土交通省近畿地方整備局災害対応の記録
https://www.kkr.mlit.go.jp/bousai/kiroku/qgl8vl0000008lkt-att/kiihantou-kirokushi.pdf
平成23年紀伊半島大水害の被害と復興の記録 和歌山県 県土整備部
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080100/documents/higai_gaiyou_120914.pdf)
概 要
田辺市内から奇絶峡トンネルを抜け、県道30号線を北西“田辺梅林”方面に車を走らせる。 10月23日・29日、2週連続21・22号台風の到来で大雨が降っていた為、河原に降りられるかどうか懸念を抱いていましたが、10時10分到着時には谷川地区の川の流れはかなり落ち着いていました。 ご多忙の学術専門員中屋氏から事前に地図資料を頂いていたので、芝副会長(ジオパークガイド)が下見&当日案内を行いました。 この附近一帯は、音無川層群羽六層最上部層の礫岩層に区分されています。 長靴に履き替え、川床に降りると1~50cm程度の円礫を含む礫岩が真っ先に目に飛び込んできました(一旦、腰を下ろすとなかなか前に進めない面々だw)。 円礫の種類は、チャート・砂岩・花崗岩・石英・石灰岩・石灰質泥岩・珪質泥岩等、カラフルでとても賑やかな具沢山の岩床でした。(以前、富田川に鎮座している「峰のさざれ岩くん」と酷似しています)。更に上流に歩を進めるとソールマーク付きの大岩がドドーンと居座っていました(流れの方向は未確認)。ようやく目が慣れてきた頃は既にタイムオーバー(汗)。10m余り先の小滝までは到底行けない結果となってしまいました。 急いで車を走らせ11時15分、山間の伏菟野(ふどの)地区に到着。 早々に谷口町内会長から当時の被害状況や復興復旧の経緯などを伺いました。眼下の景色は、既に甚大被害の痕跡は無く、むしろ桃源郷のような穏やかな場所のようにも見受けられました。
深層崩壊斜面跡の高台となっている場所には“伏菟野きくらげ生産組合”【夢のきくらげ】工場が営まれ「あらげきくらげ」と「白いきくらげ」2種類販売されています(迷わず夕餉の食材に。生(なま)きくらげ+インゲンのゴマ油炒めで美味しい一品!)。正午のチャイムが鳴り終える頃には工場内見学までさせて頂きました。 活き活きと作業に精を出されている女性たちの笑顔が脳裏から離れません。お礼の挨拶もそこそこに次の目的地まで再び乗り急ぐ(?道中何故だか道に迷う)。
昨年10月、世界遺産熊野古道追加登録された長尾坂の終点「ねじ木の杉」近くの馬我野(ばがの)小学校グラウンドで昼食。まだ紅葉には早かったがイチョウの足元には大きなギンナンの絨毯が広がっていました(超個性的?な匂い;モチモチの美味しい触感からは想像できません)。 昼食後ひと気のない廃校を散策していると、でっかいスズメバチの巣に遭遇! はたまたズボンには多年草のアメリカセンダングサ・イノコヅチ・ヌスビトハギなどが、びっしりとくっついていました(・・え!私だけ?汗)。
13時20分 午後の部出発。射森峠頂上までは約20分程度、緩やかな上りが過ぎる頃、豊臣秀吉時代の古戦場跡がありました(歴史に詳しいメンバー談)。結局、先生からの課題「地層は低角(26°~25°)で逆転している箇所」は、残念ながら今回は確認出来ませんでした(汗)。 午前中に訪れた場所よりも新しい年代の付加体(牟婁層群)ですが、整備された路面を下っていると斜面には同じように厚い礫岩層の中に1~50㎝の円礫が含まれた地層と厚層砂岩の地層の分岐が顕著に現れている箇所がありました。あ!なるほど断層ラインが記載されています。
上野にお住まいの89歳知人曰く「この前まで、みな(皆さん)射森峠を超えて一願寺さんまでお参りに行ってたんやで。じき(直ぐ・速い)に行けるよ。1時間もかからんで。一緒に行こか?」フツーに降参でした。 以上
2017.11.10 文責 C・H
↓ 落合の川床の探索
↓ 伏菟野(ふどの)訪問
↓ 射森峠探索
↓ 落合露頭「礫岩層」(音無川層群 羽六層最上部 径1~50cm程度の円礫を含む)、又「チャート・砂岩・花崗岩・石英・石灰岩等の礫を含む(中屋氏メモ)
↓ 射森峠露頭 この附近の地層は低角26°~25°で逆転している。 西谷川の右〇印は、厚い礫岩層 径1~50cm程度の円礫を含む。砂岩・チャート・流紋岩・凝灰岩・石灰岩等の礫を含む。このあたりは牟婁層群中部(砂岩、砂岩泥岩互層及び礫岩)。
2011年9月4日未明、3日前からの豪雨と台風12号の影響で、田辺市伏菟野(ふどの)前谷地区の山(西側)が、山裾から凄まじい音と共に深層崩壊発生。家屋とともに尊い5名の命が失われました(合掌)。
その後、約3年半で復興を成し遂げられ2015年4月、前谷地区の入口には災害復興記念碑と銘刻碑が建立されています。
(参考 2011年紀伊半島大水害 国土交通省近畿地方整備局災害対応の記録
https://www.kkr.mlit.go.jp/bousai/kiroku/qgl8vl0000008lkt-att/kiihantou-kirokushi.pdf
平成23年紀伊半島大水害の被害と復興の記録 和歌山県 県土整備部
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080100/documents/higai_gaiyou_120914.pdf)
概 要
田辺市内から奇絶峡トンネルを抜け、県道30号線を北西“田辺梅林”方面に車を走らせる。 10月23日・29日、2週連続21・22号台風の到来で大雨が降っていた為、河原に降りられるかどうか懸念を抱いていましたが、10時10分到着時には谷川地区の川の流れはかなり落ち着いていました。 ご多忙の学術専門員中屋氏から事前に地図資料を頂いていたので、芝副会長(ジオパークガイド)が下見&当日案内を行いました。 この附近一帯は、音無川層群羽六層最上部層の礫岩層に区分されています。 長靴に履き替え、川床に降りると1~50cm程度の円礫を含む礫岩が真っ先に目に飛び込んできました(一旦、腰を下ろすとなかなか前に進めない面々だw)。 円礫の種類は、チャート・砂岩・花崗岩・石英・石灰岩・石灰質泥岩・珪質泥岩等、カラフルでとても賑やかな具沢山の岩床でした。(以前、富田川に鎮座している「峰のさざれ岩くん」と酷似しています)。更に上流に歩を進めるとソールマーク付きの大岩がドドーンと居座っていました(流れの方向は未確認)。ようやく目が慣れてきた頃は既にタイムオーバー(汗)。10m余り先の小滝までは到底行けない結果となってしまいました。 急いで車を走らせ11時15分、山間の伏菟野(ふどの)地区に到着。 早々に谷口町内会長から当時の被害状況や復興復旧の経緯などを伺いました。眼下の景色は、既に甚大被害の痕跡は無く、むしろ桃源郷のような穏やかな場所のようにも見受けられました。
深層崩壊斜面跡の高台となっている場所には“伏菟野きくらげ生産組合”【夢のきくらげ】工場が営まれ「あらげきくらげ」と「白いきくらげ」2種類販売されています(迷わず夕餉の食材に。生(なま)きくらげ+インゲンのゴマ油炒めで美味しい一品!)。正午のチャイムが鳴り終える頃には工場内見学までさせて頂きました。 活き活きと作業に精を出されている女性たちの笑顔が脳裏から離れません。お礼の挨拶もそこそこに次の目的地まで再び乗り急ぐ(?道中何故だか道に迷う)。
昨年10月、世界遺産熊野古道追加登録された長尾坂の終点「ねじ木の杉」近くの馬我野(ばがの)小学校グラウンドで昼食。まだ紅葉には早かったがイチョウの足元には大きなギンナンの絨毯が広がっていました(超個性的?な匂い;モチモチの美味しい触感からは想像できません)。 昼食後ひと気のない廃校を散策していると、でっかいスズメバチの巣に遭遇! はたまたズボンには多年草のアメリカセンダングサ・イノコヅチ・ヌスビトハギなどが、びっしりとくっついていました(・・え!私だけ?汗)。
13時20分 午後の部出発。射森峠頂上までは約20分程度、緩やかな上りが過ぎる頃、豊臣秀吉時代の古戦場跡がありました(歴史に詳しいメンバー談)。結局、先生からの課題「地層は低角(26°~25°)で逆転している箇所」は、残念ながら今回は確認出来ませんでした(汗)。 午前中に訪れた場所よりも新しい年代の付加体(牟婁層群)ですが、整備された路面を下っていると斜面には同じように厚い礫岩層の中に1~50㎝の円礫が含まれた地層と厚層砂岩の地層の分岐が顕著に現れている箇所がありました。あ!なるほど断層ラインが記載されています。
上野にお住まいの89歳知人曰く「この前まで、みな(皆さん)射森峠を超えて一願寺さんまでお参りに行ってたんやで。じき(直ぐ・速い)に行けるよ。1時間もかからんで。一緒に行こか?」フツーに降参でした。 以上
2017.11.10 文責 C・H
↓ 落合の川床の探索
↓ 伏菟野(ふどの)訪問
↓ 射森峠探索
↓ 落合露頭「礫岩層」(音無川層群 羽六層最上部 径1~50cm程度の円礫を含む)、又「チャート・砂岩・花崗岩・石英・石灰岩等の礫を含む(中屋氏メモ)
↓ 射森峠露頭 この附近の地層は低角26°~25°で逆転している。 西谷川の右〇印は、厚い礫岩層 径1~50cm程度の円礫を含む。砂岩・チャート・流紋岩・凝灰岩・石灰岩等の礫を含む。このあたりは牟婁層群中部(砂岩、砂岩泥岩互層及び礫岩)。
第18城川(白浜・すさみ町)~天鳥(あまどり)海岸(すさみ町)巡検
2017.09.03
2017 0903 晴天の中、2ヶ月ぶりの田辺ジオパーク研究会の巡検に出発。約23名の参加で、行程は以下の通り。
上富田町役場前(9:00)→生馬
↓
川原谷(川原谷川・姶良大噴火火山灰観察)
↓
宇津木(休憩&周辺探訪)
↓
城集落(城川)W氏による案内:春日神社とW氏私邸にて茶話会
↓
小附(通称 ‘まだら岩’或いはトラトラ岩を観察)
↓
大附→小河内→防己→コカシ峠
↓
→江住→見老津→イノブータン・黒潮牧場道の駅近辺(光る石観察)
↓
黒崎(褶曲観察)→解散(16:40)
巡検地域は日置川の支流川原谷川と城川で、白浜町とすさみ町にまたがる地域である。その後、すさみ町の天鳥(あまどり)海岸にて光る石(小さな水晶群)と褶曲観察であった。特に有名なのはフエニックス褶曲だが、今回はジオパークガイドS氏のお奨めサイトを探訪することになった。
川原谷では姶良大噴火火山灰の観察をした、大体灰そのものは川面から約25メートル上面の層に散見されるようである。姶良大噴火は約2万7千年前、1年に1ミリ隆起するとして27000ミリ(=25~27メートル)らしい。
宇津木周辺は田辺層群と牟婁層群が混在する場所であるが、それと認められるものは無き模様である。宇津木橋より古座街道宇津木坂の場所を確認した。
城(集落)にてW氏の私邸を訪問。お茶とお菓子をご馳走になった。昔の古座街道の往来様子等の話を伺うことができた。
小附近辺にて熱水変質によりできたストライプ模様の砂岩泥岩互層の川床を観察。いつもは水量が多いが、今回は少なく模様を十分に楽しむことができ、めいめいが、自然の造形を満喫しながら昼食を楽しむことができた。その後、紅藻類による紅色模様のある岩体を十分観察し、江住に向かった。
光る石観察では、小粒な水晶がちりばめられた多数の岩体や、小さな水晶クラスターを観察することができた。これは熱水変質の作用があったということであり、弧状岩脈の影響であろう。バックグラウンドのトピックとして沖合にある火山性溶岩体の説明がなされた。
いよいよ最後の巡検内容として、褶曲サイトの探訪を黒崎という小半島で行い、10メートルくらいの高さのコル状の丘を越えて司の形をした、褶曲を観察、堪能することができ、満足して帰途についた。
今回は、南紀熊野ジオパークエリアの南西部分を主に牟婁層群の巡検であったが、山、川、海と自然変化に富み、里では地域の方の協力もあり、人の強さも大いに感じた巡検であった。
上富田町役場前(9:00)→生馬
↓
川原谷(川原谷川・姶良大噴火火山灰観察)
↓
宇津木(休憩&周辺探訪)
↓
城集落(城川)W氏による案内:春日神社とW氏私邸にて茶話会
↓
小附(通称 ‘まだら岩’或いはトラトラ岩を観察)
↓
大附→小河内→防己→コカシ峠
↓
→江住→見老津→イノブータン・黒潮牧場道の駅近辺(光る石観察)
↓
黒崎(褶曲観察)→解散(16:40)
巡検地域は日置川の支流川原谷川と城川で、白浜町とすさみ町にまたがる地域である。その後、すさみ町の天鳥(あまどり)海岸にて光る石(小さな水晶群)と褶曲観察であった。特に有名なのはフエニックス褶曲だが、今回はジオパークガイドS氏のお奨めサイトを探訪することになった。
川原谷では姶良大噴火火山灰の観察をした、大体灰そのものは川面から約25メートル上面の層に散見されるようである。姶良大噴火は約2万7千年前、1年に1ミリ隆起するとして27000ミリ(=25~27メートル)らしい。
宇津木周辺は田辺層群と牟婁層群が混在する場所であるが、それと認められるものは無き模様である。宇津木橋より古座街道宇津木坂の場所を確認した。
城(集落)にてW氏の私邸を訪問。お茶とお菓子をご馳走になった。昔の古座街道の往来様子等の話を伺うことができた。
小附近辺にて熱水変質によりできたストライプ模様の砂岩泥岩互層の川床を観察。いつもは水量が多いが、今回は少なく模様を十分に楽しむことができ、めいめいが、自然の造形を満喫しながら昼食を楽しむことができた。その後、紅藻類による紅色模様のある岩体を十分観察し、江住に向かった。
光る石観察では、小粒な水晶がちりばめられた多数の岩体や、小さな水晶クラスターを観察することができた。これは熱水変質の作用があったということであり、弧状岩脈の影響であろう。バックグラウンドのトピックとして沖合にある火山性溶岩体の説明がなされた。
いよいよ最後の巡検内容として、褶曲サイトの探訪を黒崎という小半島で行い、10メートルくらいの高さのコル状の丘を越えて司の形をした、褶曲を観察、堪能することができ、満足して帰途についた。
今回は、南紀熊野ジオパークエリアの南西部分を主に牟婁層群の巡検であったが、山、川、海と自然変化に富み、里では地域の方の協力もあり、人の強さも大いに感じた巡検であった。