田辺ジオパーク研究会総会
2018.04.28
2018年4月28日 平成30年度田辺ジオパーク研究会総会が新緑の中、田辺市民総合センター交流ホールで38名の参加にて開催されました。
今回は早くも第4回目の開催になりました。アジェンダは以下の通り、今回も役員改正はありませんので、約1時間にて無事に終了いたしました。連休初日の中、大変お疲れ様でした。


               記

平成30年度田辺ジオパーク研究会総会報告
日時 平成30年4月28日(土)1:30PM~2:40PM
場所 田辺市民総合センター 4階交流ホール

会員66名 出席者38名(22名+委任状16名)

1. 会長挨拶(藤五和久氏)
2. 議長(芝光治氏)
3. 議案審議
① 平成29年度活動報告(別紙)・活動紹介(パワーポイント)
② 平成29年度会計決算報告、監査報告(別紙)
③ 平成30年度活動計画
・例会 毎月第3金曜日19:00~ 東コミュニティセンター2階研修室 
・ジオサイト見学会 年5回
 <第1回>5月13日(日)「地質の日イベント」鳥の巣半島散策&探訪
 <第2回>7月     和歌山城、和歌の浦(中屋先生)
 <第3回>9月     周参見フェニックス、佐本鉱山跡
 <第4回>10月下旬か11月上旬 龍神村小森谷渓谷・赤壺
 <第5回>12月    紀の川市粉河・龍門山
2回目からの日程については、例会で決めていく。
・4周年記念講演会 平成31年2月か3月
・関係イベントへの参加、パネル展示 

④ 平成30年度予算(別紙)
以上、全て承認いただきました。

4. 「地質の日」イベント 鳥の巣半島散策&探訪
日程:5月13日(日) 小雨決行(雨の場合は、内之浦会館、荒天中止)
集合・受付:9:30
準備物:弁当、資料(鳥の巣・神島)、救急箱、名札、領収書
下見:4月26日(木)濱田、上森、弓場、和田
           ****************************
平成29年度 活動報告
●定例会 毎月第3金曜日 東コミュニティセンター2階
●ジオサイト見学会
5月16日 「地質の日」イベント 天神崎 (31人)
  6月18日 白崎海岸(20人)
  9月3日 すさみ町小附・大附 (23人)
  11月5日 奇絶峡・伏菟野・西谷(17人)
  12月23日 印南・御坊海岸(20人)
●冊子作成会議
  8/29、9/7、9/22、10/18、11/15、2/7 6回
  平成27年~28年に調査した田辺市内のジオサイトを手分けして紹介文を作成し、編集した。成果物として「おもしろ大地田辺」を作成。
  各小中学校、公民館等への無料配布。
●パネル・生痕化石展示 
  グルメシティ 7月~12月 「わたしたちの町のたからもの」
  翔龍祭  11月18日(土)・19日(日)
  生涯学習フェスティバル(おもしろジオクイズ)11月25日(土)・26日(日)
  ジオパークフェスタin那智勝浦(おもしろジオクイズ) 2月17日(土)
●田辺ジオパーク研究会3周年記念講演会
  平成30年3月18日(日) 1:30PM~3:30 万呂コミュニティセンター
  パワーポイントにて平成29年度活動報告 (参加者約60人)
  𠮷松敏隆先生講演会「ネイチャーランド田辺~大地の歴史を探る~」
●情報発信
ホームページの更新により活動報告や一般の方々へのジオサイト見学会等の呼びかけを行った(入会は随時)
          ****************************

平成29年度  会計決算報告概要
収入573790-支出440797=132993円
残金132993円は平成30年度へ繰越金とする(詳細は省略)




2018.04.28 16:53 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田辺ジオパーク研究会三周年記念講演会
2018.03.18
3月18日(日)は田辺ジオパーク研究会3周年記念講演会、お世話になっています吉松先生の講演をいただきました。

T会長の挨拶に始まり、H氏によりこの1年間の活動内容を時系列に写真中心に紹介されました。

今回のテーマは「ネイチャーランド田辺 -大地の歴史をさぐる- 田辺の地形と地質」。先ず、イントロとして谷川俊太郎氏の詩「朝のリレー」をご紹介され、「カムチャッカの若者がキリンの夢を見ている時メキシコの娘は、朝もやの中でバスを待っている・・・経度から経度へと・・・」 経度という単語が出てきますが、日の出は地球の自転により東から西へと移行していきます(赤道近辺)。ところが、太陽に対する地軸の傾き、日本が存在する地球上の場所、日本は島弧諸島であることから,冬至あたりでは千葉の日の出時刻が根室の日の出時刻より早くなるケースがたまたま発見してということを話されました。NHKの0時前のニュースで、毎日翌日の「日の入り時刻と日の出時刻」を放送しますが、先生は毎日これを聞いて就寝されるらしい。そのときに、あれれと思ったそうです。

メッセージ:地球科学・地質学は日常生活と密接に関わっている。時刻、日々の天気、土質・地盤、地震・津波防災・・・その題材(テーマ)はいろんなところで見つけることができる。身近な自然現象の中で、ふとした疑問を持つことが重要である。

「山と川」のテーマでチベットからヒマラヤ山脈を越えて流れる川があるという、これはヒマラヤ山脈の形成と川が下剋する長期の活動を考えないと説明がつきません。このような事例を前段として、広い地球上の話題から身近なサブテーマとして「川の浸食・運搬・堆積作用と地形」に入っていき、次のような主項目にてわかりやすく解説いただきました。

・穿入蛇行 この例としては龍神村柳瀬の檜皮の滝を含めた蛇行の形成の話を紙を使って大地が褶曲された中を川が流れる様子を紹介。
・小森地形 一般には環流丘陵と呼ばれていますが、
  1.蛇行切断型として田辺市本宮町皆地にある四村神社のある丘陵・田辺市龍神村甲斐の川小森を例に説明。
  2:河川争奪型として田辺市龍神村柳瀬菖蒲ノ谷が好例。
  3:複式型として田辺市龍神村殿原小森が好例。
  4:県内に見られる「小森」のつく地名を紹介(例外的に木守)。
  5:環流旧河谷(かこく)の形成要因の3つのタイプと環流旧河谷と現河床の比高は30メートル以下の箇所が半数を超えることを紹介。また、近畿地方では環流旧河谷(環流丘陵)の数が紀伊半島で圧倒的に多い。
・河岸段丘(河成段丘)の形成過程
・河川の浸食・運搬・堆積作用の要素(地殻変動・気候変動・河川水・風化作用等)が加わり、結果として穿入蛇行や河岸段丘が形成される。
・「河川は川底に設置されたノコギリ(壁面・斜面崩壊、濁流)であり、ベルトコンベアである」
・「紀伊半島にかかっている力と屈曲構造」 三つのプレートの力がかかっている。
・土砂災害と浸食作用
・地殻変動と山地の隆起 隆起は人間の目にはわからないが、100年間に10cm(100mm)の隆起で100万年でほぼ1000mの隆起スピードである。山には位置エネルギーが存在し、隆起活動によってイチエネルギーが増加し、根本はプレートの運動に由来。

・歴史年表 第四紀(258万年前から現代)を考える(今回の時間フレーム) 20m高の河岸段丘があった場合は、2万年くらいの時間フレームを考えればよい。火山活動を知る場合は火山灰の堆積が証拠になるが、県内では赤ホヤ火山灰層分布、姶良火山灰層分布の地層が発見される。可能性として最近確認された鬼界カルデラの溶岩ドームの活動
*防災関係の事例
・1779年の安永桜島大噴火が万代記に記録されていた
・津波の記録 1700年のアメリカ西海岸のカスケード大地震による津波は田辺市に波及。・1960年のチリ地震による津波でも田辺市に被害。

【天災は忘れた頃にやってくる】(天災はその恐ろしさを忘れた頃にまた起こるものであるから、用心を怠らないこと・油断は禁物であるという戒め。寺田寅彦)

昨今、新燃岳も火山活動が活発になっていますが、私たちが生きている間に異常気象を起こすような火山災害がないとも限りませんね。

1.受付 お疲れ様

2.冊子の販売も好調

3.司会 お疲れ様

4.T会長 ご挨拶

5.熱気が溢れている

6.H氏による1年間活動履歴紹介

7.赤字は年間計画実施 黒字は自主研修

8.はじまりです

9.吉松先生

10.深~い 地球の自転・緯度経度と環境保全が

11.日の出時刻の例

12.日の出関係図

13.ヒマラヤを越えて流れる川

14.檜皮の滝(急流)

15.紙で褶曲を・・・・

16.やはり蛇行切断型が多い

17.河岸段丘の作られ方

18.下刻の様子

19.プレート・テクトニクスが根本

20.やっと現在の日本列島の形が

21.地球の歴史

22.火山灰層が見られるサイト

23.高さ約600mに及ぶ溶岩ドームが発見されたって!

24.万代記の記録

25.田辺大帳の記録

26.I氏 閉会の辞

27.デンパチにて①

28.デンパチにて②


3月31日 紀伊民報の田ジ研講演会の記事です。


2018.03.18 21:31 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加
2018.02.17
第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加

【日時】平成30年2月17日(土)10時~15時30分
【場所】那智勝浦町体育文化会館
【主催】南紀熊野ジオパーク推進協議会・環境省近畿地方環境事務所
【目的】南紀熊野ジオパークの主要部分を占める吉野熊野国立公園と連携をしながら、地域関係者の理解・協力・参加を促進するとともに、認知度・理解度の向上を図ることにより、ジオパーク活動を推進し、持続可能な地域づくりを目指します。

一階フロアーでは、地元食材を使ったグルメや地場産品の販売、いくつかのジオパークの参加等、ジオパークを一段と身近に感じたイベントでした。
 午後はシンポジウムが開催され、基調講演「日本のジオパーク」(講師:尾池和夫氏(日本ジオパーク委員会 委員長・京都造形芸術大学 学長))で尾池和夫氏が、日本のジオパークの素晴らしさ・方向性等を熱く語られました。
 内容は宇宙科学、地球科学の視点からの内容(日本の特異性、中緯度で四季の変化、四つのプレートに囲まれる日本、大量の水が循環する日本等)、文学的・味覚・水の種類等の視点からの話題(清酒の種類、ジオ俳句等)、世界ジオパーク(ユネスコプログラム)の効力等、効果的にまとめられていると感じました。

 田ジ研の出展では、S氏提供のクイズ用の賞品・参加賞のみかんはとても美味しいと大評判でした。K氏、ロープワーク講座を熱心に教授されました。有難うございました。見学されていた方から「やりたかったけど・・・」と。Y氏、M氏、サンプル鉱物・化石等の展示ご協力有難うございました。田ジ研のクイズは少々難問だったようですが、田辺地域を充分アピールできたと思います。因みに一般参加された地元の方と一緒にクイズの解説をいたしましたが、「田辺って面白いなァ~」との感想の言葉に、地域をアピールできた事がよかったと感じた次第です。(ジオについては、まだまだこれからのお楽しみ分野です)
田ジ研の皆様、ジオパーク関係の皆様、大変お疲れ様でした。

1.田ジ研展示風景 I

2.田ジ研展示風景 II

3.最近、森林総研によって発見されたクマノザクラのコーナー

4.太地ノアイドル・ヨーホエール君

5.クイズ一覧

6.熊楠コーナー

7.ジオパークバンドの共演

8.ロープワーク講習 I

9.ロープワーク講習 II

10.仁坂知事

11.尾池和夫氏

12.アジェンダの一部







2018.02.17 22:06 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺
2018.02.12
田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺

晴天の中、9:30に大塔行政局に集合、有志計8名にて木守地区の風穴をメーンに巡検に出発しました。今回は鮎川在住のN氏により、木守の風穴その他のサイトを案内していただくことになりました。乗り合わせにて

大塔行政局->合川ダム(一般国道371号)->原の郷・タービダイト->木守(風穴観察)->法師山登山口->板立峠->国蔵峠(湿原池観察)->面川・三豊(さんぽう)神社->深谷(ふかたに)隧道観察->帰途 

の行程でした。
今回の主目的は風穴の観察・巡検でしたが、風穴にもいろいろな種類がある模様で「日本の風穴」という本が古今書院から発行されています。ここの風穴は13度Cの空気が吸い込まれたり吹き出したりするが穴が再発見されたばかりで、もう一方の口がどこかにあるのではというので見つからず探索中ということです。どうも石灰質の岩石が風化によってトンネルがあるのかまだこのあたりは同定されていないのが現状です。風穴観察後は、赤土森山の上部のテーブル上になっている一部(国蔵峠近辺)を観察し、湿地帯あるいは元々泳ぐことができたらしい池跡を観察しました。一見、二重山稜になっているようなところで、降雨量によっては木守地区に向けて深層崩壊が起こる可能性がある地帯と伺いました。その他、諸々の訪問・観察サイトは写真・説明を追ってご覧ください。

1.今回の巡検・探索ルートです。

2.橋の上から砂岩泥岩が整然と積み重なっている前の川タービダイト。

3.帰りにゆっくり参拝しようっと。素盞嗚神社(すさのお)らしい。

4.神社庭に孤高のメタセコイアが。

5.狛犬くん、玉遊び中。お腹ではありませんぞ。

6.神社の右側に池があります。水神か。

7.神社前広場にて登り準備しました。

8.「心のふる里」大塔村立木守小学校 の石碑。

9.お寺への参道を登って行きます。

10.教会のようです。

11.歴代のご住職のお墓(?)。

12.人工林内を更に登ります。

13.巨石がごろごろ見えてきます。ツララが!!

14.右にトラバースしてゆきます。

15.人工林と巨石の壁が続きます。

16.上から巨礫が落ちている。

17.石灰質か サンポールをかけると泡立ちます。

18.小さな礫がたくさん含まれています。

19.壁 壁 壁。。。。。ようやくたどり着いた(結構 キツイ斜面)。

20.あ~!ここだ!

21.テープがひらひらしているところが、空気が吸い込まれている穴です。

22.N氏が別の穴の探索中です。

23.巨岩が大きく割れ 左側が落ち込み下がっている。

24.巨大な絶壁です。

25.穴の観察中です。風の声が聞こえる。

26.風穴の入り口です。今(2月)は空気が吸い込まれています。

27.赤色立体図ですが、上部は平らです。

28.法師山登山口近くで漣痕(れんこん)発見。

29.ミルフィールのように整然と積もった層。

30.2011年紀伊半島大水害で深層崩壊が 熊野(いや)地区。

31.国蔵峠のお地蔵さんです。

32.湿原のようですが、何十年か前はここで泳げたらしい。

33.霜柱オンパレードです。

34.霜柱のパワーで持ち上げられている。

35.かなり大きな霜柱です。

36.結構な広さ。

37.三豊神社の巨大杉です。

38.深谷(ふかたに)隧道 654Mあります。

39.どうも電灯がないトンネルのようです。

40.お不動さんか。

41.真砂久一氏の頌徳碑です。裏に履歴があります。

42.この隧道は今柵があり、車両通過は不可です。




2018.02.12 20:01 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 三重県熊野市紀和鉱山資料館・その他探訪
2018.01.27
寒波到来の晴天の中、田ジ研の有志4名にて熊野市紀和町「紀和鉱山資料館」とその近辺の巡検をいたしました。資料館では1月限定のイベントが開催されていて、資料館のH学芸員に多くの説明をいただくとともに、たくさんの質問に回答いただきました。
紀州鉱山の歴史がある程度理解できました。一般には紀州鉱山と呼ばれていますが、鉱山自体は名前が其々場所ごとに名前があった模様で、江戸時代には13地区にそれぞれの坑道に○○銅山という名前がついていたようです。紀州鉱山自体の坑道の長さは約330キロメートルもあり、昔からの坑道を含むともっと大きな長さになるのでしょう。選鉱場跡を見学した後、企画展「石の中の銀座」イベントを観察、常設展示では紀和町の鉱山の歴史を興味深く知ることができました。昔の鉱山の坑道では水との闘いが大きかったようで、採掘、運搬、選鉱、坑道普請、換気、排水等グループで専門的にプロセスを担当していました。楊枝川に存在する水車谷遺跡には節の間が長い紀和竹という竹があり、坑道の空気換気に利用されました。ひとしきり展示を楽しみ、入鹿中学校近辺の空き地、兼「慈雲寺」の綺麗な石垣の下にて野外昼食&Iru Cafe(コーヒー)を楽しみました。入鹿中学校近辺に存在するという板屋断層、探しましたが、見つけられませんでした。その後は、資料館の川向こうにあるズリ捨て場に行き、ズリをハンマーで叩きに叩きました。少しはストレス解消になったでしょう。最後は、熊野酸性火成岩体の一族山・山頂近くの布引の滝を訪問して、楊枝川を下り、168号に出て帰途につきました。



1.風は冷たかったが晴天♪

2.
こちらの岩は「金銀鉱石」、「ぎんぐろ」と呼ばれる黒い部分に、微量の金や銀を含む2トンの原石です。昭和30年代(1955)の紀州鉱山では金の含有量は1トンあたり平均17グラム。
これは世界平均の2~3倍の含有量で、毎月300トンペースで金銀鉱石を産出していました。

3.さすがです。H学芸員さん

4.石原産業株式会社時代の選鉱場跡の絵画

5.山の斜面を利用して下方に選別する仕組み

6.廃墟と化した現在の姿に足が暫く止まる

7. 1~11号隧道まで続く発着トンネル入口

8.数万人の通勤通学に利用されていたトロッコ

9.

10.

11.紀州鉱山の大蛍石

12.

13.

14.
鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に数々の名刀を残した「入鹿鍛冶」がいつ頃から紀和町の入鹿地区に移住してきたか明らかではありませんが、鎌倉時代の末期であろうと考えられています。その後、安土桃山時代に秀吉の「紀州征伐」により入鹿一族が滅ぶとともに入鹿鍛冶は和歌山県粉河に移住しました。
*真剣の展示があったはずだが、見落としたかも知れません。

15.

16.1 金が通る=>鉱脈

16.2 下のほうに一族山が描かれていますので、もっと北のエリアに鉱山があった模様
=>23.参照

16.3↓
703 紀州「楊枝鉱山」自然銀を献上
743 「熊野銅山」より東大寺大仏鋳造に利用
1337 紀州楊枝川「大谷銅山」の採鉱開始

17.↓
1673 紀州 湯の口村「室谷鉱山」が開削される
1802 紀州楊枝川・水車谷付近で鉱山隆盛 労働者の流入
1854 紀州「楊枝銅山」「那智銅山」が若山藩より新宮藩に委譲

18.↓
1871 新宮藩が「楊枝銅山」銅鉱の廃止届け
1873 紀州「薬師炭鉱」の採掘が始まる
1934 石原産業が諸鉱区を買収・「紀州鉱山」を開設
1944 「紀州鉱山」が軍需会社に指定・英国兵捕虜300名が就労
1978 「紀州鉱山」閉山

19.

20.

21.
1934 石原産業-紀州鉱山を開設
 ↓
1941 板屋~阿田和駅間に前兆4.7キロの架空索道を開設
 ↓
1944 軍需会社に指定 英国兵300名の就労
 ↓
1965 全盛期-3000トンの産銅量
1978 紀州鉱山の閉山

22.
紀和町の地質
紀和町には、大規模な火山活動が起こったことを示す、火成岩体(熊野酸性火成岩類)、これより古い時代に浅海底であったことを示す地層群(熊野層群)、さらに古い陸棚(りくほう)
斜面より深い海底であったことを示す地層群(日高川層群)が分布しています。そして紀和町を大きく特徴づけるものは、銅を主とする金属鉱床があって、古くから鉱山が開かれていたことです。

23.

24.

25.

26.

27.

28.

29.

30.

31.

32.

33.

34.↓
紀和竹という不思議な竹があります。水車谷は楊枝川の途中にあります。

35.

36.綺麗な石垣です。

37.

38.iru cafe=入鹿fe

39.ツエノ峰を見ています。建物は入鹿中学校

40. Yさん、叩いて割って....

41.

42.

43.鉱石の捨て場は太陽光発電場所に変身。

44.布引の滝へ行く途中に巨石(流紋岩か)がごろん。

45.柱状節理

46.

47.花崗斑岩地帯です。

48.

49.


2018.01.27 00:20 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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