田ジ研自主研修 尾鷲市三木崎園地巡検
2020.02.11
2020 0211 昨年の11月に引き続き、東紀州巡検。自主研修ですが、行いが如何によいのか大晴天で暑いくらいでした。総勢8名、途中から1名の参加。行程は以下、事故もなく無事終了ですが、結構歩きがハードでした。今回は東紀州ジオパーク構想準備会会長 K氏とM氏、F氏のサポートをいただき、まことにスムーズに事を運ぶことができました。K氏にまとめていただいたテーマは、「三木崎灯台と長バエ海岸観察会」でした。ありがとうございました。
以下、行程です。

*******行程*******
08:00 滝尻集合
09:30 花の窟にて休憩
10:10 JR三里駅集合  
10:30 出発
10:50 木名峠狼煙場着
11:20 三木崎園地めぐり出発
12:20 三木崎灯台着 昼食 東紀州ガイドさんの説明
13:00 東バエ海岸へ出発
13:40 東バエ海岸より帰途
15:10 三木崎園地入り口着 散会
16:00 花の窟にて休憩
17:30 滝尻帰着

この一帯は吉野熊野国立公園特別地域に指定されているらしく、この沿岸一帯が断崖絶壁、木名峠狼煙場からは条件がよければ、富士のお山が見えるらしい。三木崎園地に入ると途中途中に丸い石がごろごろ、コアストーンですね。地元の方には珍しくもないでしょうが、紀伊半島でも西の人たちには珍しいかもしれません。流紋岩(花崗斑岩)の玉ねぎ状風化との説明があり、納得。三木崎灯台は昭和3年11月点灯開始東紀州の海を見守り続けています。灯台を管理する尾鷲保安部には昭和19年に熊野灘沖を震源とする東南海地震に発生した状況「震度6」「沈下」「回転灯器破損」など細かく記録されているようです。屋根に戦時中の機銃掃射の後が、あるようでしたが、定かにはわかりませんでした。
長バエ(碆?)海岸までは道無き道を下り、柱状節理の浜を小時間でしたが、観察しました。六角形の柱が海岸を埋め尽くし、先の浜には丸い石(ごろた石と呼ばれているコアストーン?)がごろごろ集まって浜で洗われているような不思議な場所でした。帰りは昆虫の観察会をしながらの帰途でした。オオキンカメムシ、初めての遭遇でしたが、臭くないてんとう虫のようなかわいいカメムシなんですね。越冬中を起こしてしまいました。

以下、K氏より頂戴した「木名峠の狼煙場」の解説です。
木名峠の狼煙場
紀州藩は海防に深い関心を寄せ、初代紀州藩頼宣は寛永年間(1624~44)に、浦組制度を確立し寛永十二年(1635)に船見番(遠見番所)を重要な岬の突端に設置した。熊野灘の沖合いを航行する異国船を発見したとき、使用の人夫を地元の庄屋宅へ走らせるのはもちろんであるが、近隣の浦村へ急を知らすため狼煙をあげた。
正徳六年「奥熊野 相賀組(おうかぐみ)浦組帳」では、他の組の人数を集める時には、のろしを(一筋)上げよ。左右の組はのろしを見つけ次第、事のある浦へかけ集まれ。
もっと多くの組を呼び集める時には、のろしを二筋、よく見えるように上げよ。左右の組は一筋ずつのろしを上げて隣の組に知らせ、その上村継で、どの浦を助けるべきかを伝えよ。
異国船の注進があったら、山番(狼煙立てあるいは見張り役か)を付け、のろしが上がるのを見逃さないようにせよ。
他の組の人数を呼び集める時には、のろしだけでなく村継でも伝えるようにせよ。

九木崎の狼煙場で煙があがれば、木名峠、梶賀の地切山と次々に狼煙があげられたと思われるが木名峠から九木崎は、早田の山にさえぎられて見えない。
各狼煙場には「狼煙立て」が任命され、木名峠は三木浦の長之右衛門、九木崎では九鬼島之助忠房、楯ケ崎では、番人は浜田惣八・大屋藤助の二人で他に補助的な番人として浜田惣兵衛(惣八の子)・北口五郎次・佐々木熊次郎がいた。遊木丹羽平は遊木浦の善七。明治2年(1869年)に遠見番所が廃止されるまで遠見番の世襲が続き番人をつとめたようだ。

「狼煙」と描くのは、狼の糞を松の青葉に混入して燃やすと、煙がまっすぐ上にあがるという中国の伝説によるもので、各狼煙場では、狼糞三升五合~五升、青松葉60貫を蓄えて置かなければならなかった。しかしながら、これらの狼煙場は火を焚いた形跡が見当たらないので、実際使用されたかどうかは不明。また狼煙を上げる緊急事態が起きなかったのか? 天気等に左右させるので、実際の行動は村継が活用されたのか?狼煙場には、2本立てと3本立ての2種があり、通常は転石を饅頭型に積みあげたものが3つ並ぶが、木名峠の場合は輪切型である。
明治2年(1869)遠見番所と狼煙場は廃され、同時に取り壊したものが多いが、木名峠の場合は雑木林に守られ、創設当時の姿を今に残している。
「紀伊続風土記」天保十年(1839) 狼煙場 村の東三木崎木名峠に阿り と、記載されている。
1.今回のルート ハイキングコースですが、斜面上り下りがあるので結構健脚向きかも

2.予定時間に到着はしたけれど・・・慌てて近場のファミマ🍙に走る

3.三木浦湾 綺麗です。

4.「ここから富士山が見えるんやで」ガイドさんたちのお蔭で地元の方から声をかけて頂く

5.2月11日とは思えないほどの上天気 白波も立っていない!

6.狼煙をあげていたといわれるこのような跡が数か所も残っています

7.34年前に文化財として指定されています

8.そうそう!忘れないうちに記念写真を・・(時々忘れます;)


9.木名峠狼煙場跡
尾鳶市指定文化柱(史?》
昭和61年9月29日指定
藩政期に入り異国船の出没が激しくなると、幕府は海岸を防備する必要から、各藩に浦組制度を開設させ、遠見番所や狼煙場を設置させた。奥熊野の遠見番所や狼煙場の創設設は寛水年間といわれ、寛水12年(1625)には文書にも所見される。九木崎遠見番が、熊野灘の沖合を航行する異国船を発見したとき、使用の人夫を地元の庄屋宅へ走らせるのはもちろんであるが、近隣の浦村へ急を知らすための狼煙をあげた。九木崎の狼煙場て煙があがれば、この木名峠、梶賀の地切(ちぎり)山と次々に狼煙があげられた、そのため各狼煙場には「狼煙立て」が任命され、木名峠は三木浦の長之右衛門てあった。ノロシを狼煙と書くのは、狼の糞を松の青葉に混入して燃やすと、煙かまっすく上にあがるという中国の伝説によるもので、各狼煙場では狼糞三升五合~五升、青松葉60貫をたくわえて置かわはならなかった。狼煙場には二本立てと三本立ての二種があり、通常は転石を饅頭(まんじゅう)型に精みあけたものが三つ並ぶが、木名峠の場合は輪切り型という変わったケースである。明治2年(1869)遠見番所と狼煙場は廃され、同時に取り壊したものか多いが、この木名峠の狼煙場は雑木林に守られ、創設当時の姿を今に残レている。
尾薦市教育委員会

9A.沢山の狼煙場地図

10.さあ!三木崎灯台に向かってレッツゴー(笑 古いゎ)

11.早速、デッカイ恐竜の卵や、花火の玉のような丸い形の岩・岩・岩が

12.東紀州ジオパーク構想準備会会長K氏は驚くほどの健脚! (待ってくださーい;)

13.可愛いヤブツバキにも声掛けご挨拶を 

14.まるで玉ねぎの皮を剥ぐように外側から崩れていく不思議な様ですね

15.逞しい根っこに抱え込まれ身動きできない!?

16.何てったてこの配置と大きさが羨ましい! 手を合わせてお見事♪

17.この木(こ)も、お気に入りのコアストーンにしっかり跨って(がんばれー)

18.擦り傷後のかさぶたがガッツリ剥がれるような感じ

19.あっちにもこっちにも硬い岩がきれいに丸くなっています

20.おやおや!ここにもお気に入りの岩を見つけた逞しい木がw

21.吉野熊野国立公園特別域内に遊歩道もあります。 

22.ランチタイム コンクリートはホッカホカの暖房入りのよう



23.昭和3年11月からの現役灯台

24.逓信省管轄地 ところで郵便局の〒(テ)は、明治20年に考案されたようです

25.キョウチクトウ科サカキカズラの冠毛の手触りは結構しっかり系(有毒)

26.海の中の大岩は転石のような

27.断崖絶壁に向かい斜面を下る 戻りを考えると「・・・う~~ん;;」

28.炭焼き跡には生活の名残りが

29.これこれ!この岩場 紀伊半島の西側では超珍しい光景なんです!

30.むかしの遊びケンケンパーが出来そう♪(それは、ここでは危ない危ないよー)

31.これが熊野灘!? 波しぶきがほとんど見当たりません

32.波打ち際にはデッカイ丸石がゴロゴロ タイムオーバーで近寄れず残念!

33.美しい海の色! 私たちはこの地球を今預かっているのです!

34.オオキンカメムシの冬眠の様子

35.起こしてしまったかも; 彼らも同じ模様は無いらしい

36.お疲れさまー 花の窟にて



2020.02.11 00:51 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 奈良二上山・亀の瀬近辺
2019.12.12
2019 12/12 今回は、参加者が生憎と集まらず’ひとりカラオケ’ならぬ ひとり自主研修 になってしまいました。先ず、香芝市西方の穴虫峠の’ドンズルボー’(屯鶴峯)に始まり、二上山博物館(江戸時代までは、ふたかみさん、それ以後はにじょうざんと呼ぶらしい)亀の瀬地すべり歴史資料室の見学の3点でした。屯鶴峯はかなり広い、まだ採石しているようでした。白色凝灰岩の観察、これが石棺に使われた? 遠目で白い鶴が屯(たむろ)しているというので、屯鶴峯となった模様です。二上山というとサヌカイト(無班晶質古銅輝石安山岩)ですが、二上山博物館では3つの石ということで常設されています。サヌカイト(旧石器時代、縄文時代、弥生時代)、凝灰岩(古墳時代、飛鳥時代etc)、金剛砂(近代)の3石を時代ごとに利用してきた(きている)ということです。三者とももともと火山活動(1000万年以上前)によって生産されたものであり、特に金剛砂とは、二上山の火山活動に伴う溶岩の噴出で、石切場火山岩の中にザクロ石が捕獲岩として含まれた。この石切場火山岩が長い年月を経て風化流出し、低地に堆積した石榴(ざくろ)石を金剛砂と呼ばれています。亀の瀬地すべり歴史資料室では国交省の担当者が概要を説明、その後、排水トンネルと最近発見された80年前の関西本線の亀瀬トンネルの見学を行いました。たまたま、高安山ハイキング帰りのグループに混ぜていただきスムーズに見学ができました(Lucky!) 地すべりは当然、すべり面があるわけですが、これも昔の火山活動による重たいドロコロ溶岩が粘性帯のすべり面に乗りすべってしまうのが原因のようです。昭和40年ごろからほぼ50年間の対策事業(計4兆円とか)であり、外国からの見学者も多いようです。大和川は奈良盆地から大阪湾に注ぐ唯一の川であり、この亀の瀬あたりは地すべり災害の典型地で土砂ダムができれば、奈良盆地・大阪平野への水災害は巨大です。(写真16の概要を参照ください)

1.屯鶴峯 どんづる峯 ドンズルボウ

2.奇勝です。入り口は立派ですね。

3.屯鶴峯は二上火山群の雄峰。

4.

5.一見、田辺市のひき岩群のようです

6.まさに、凝灰岩そのものです。右下の写真。部分的に簡単に崩れます。

7.二上山博物館に来ました。サヌカイトの木琴(?)いい音がします。

8.3つの石:香芝は古代から近代まで、二上山が産んだ3つの石で知られています。
・数万年前旧石器時代から2千年前の弥生時代に至るまで、青銅や鉄と同じくらい重要な
資源であったサヌカイト。5,6世紀に、王者の棺として切り出された二上山凝灰岩。
明治以降に全国の90%余りを占めた研磨剤としての金剛砂。

9.サヌカイトの巨礫

10.サヌカイトの掘削?

11.石棺-二上山凝灰岩で作成されている

12.大和川・亀の瀬渓谷にやってきました。

13.資料室ですが、質素です

14.主役が大和川 古代の大和川は淀川に流れていました

15.黄色い線が流域界

16.大和川の川幅が狭くなっている亀の瀬は、万葉の時代から大阪と奈良を結ぶ交通の要衝でした。亀の瀬は明治の近代以降も、大規模な地すべりが発生して社会基盤や人々の暮らしに大きな影響を与えてきました。昭和6~7年(1931 ~ 2)には峠地区を中心に30mすべって鉄道トンネルが崩壊、大和川も 9m 隆起して上流に浸水被害を与えました。国は隆起した
川底(河床)を掘削し、水の流れを確保しました。その後も、地すべりの滑動は継続し、昭和26年(1951)頃には地内の西側がすべり出し、さらに同 42年(1967)には東側で26m※すべり、大和川の川幅を 1m 狭めるなど大きな被害がおきました。地すべりが発生すると大和川の流れが妨げられ、上流側に浸水被害を与えます。さらに地すべりの土砂が崩壊すれば下流側に土石流が一気に流れ出て、大阪市街地に大きな被害を与えると考えられています。
亀の瀬地すべりは想定される甚大な被害、 1km 四方に及ぶ規模の大きさ、高度な技術を要することなどから、 国土交通省(旧建設省)大和川河川事務所が昭和37年(1962) から直轄で対策事業を行ってきました。対策事業は、地すべり解明のための調査、専門の土木技術者·学識経験者による対策の検討、 対策工事の実施、 対策工事の効果の検証を繰り返し半世紀の歳月をかけて実施しており、 近年は地すべりの動きがほとんど見られなくなってきました。いま、亀の瀬地すべりは高度な土木技術を駆使して止めていますが、 大阪と奈良の安全を確保するためには、今後も監視を続けていかねばなりません。本資料室で地すべりの被害と対策の歴史に触れ、 実際に現地を見ていただくことにより、 みなさまのご理解が深まることを願っております。 国土交通省 近畿地方整備局 大和川河川事務所

17.昭和7年9月 対岸・明神山からの眺め

18.昔徒歩で超えるときに、峠に休憩所があったようだ

19.昭和7年の地すべり見学の様子

20.

21.しゅうすいせいこう と読む

22.集水の模式図 -横から見た図です

23.集水井がどういう配置にされているかの説明-横2段階に設置されている

24.すべり面の粘土 筋が入っている

25.

26.

27.亀のモチーフの排水トンネル

28.

29.

30.直径6.5メートルの集水孔

31.

32.すべり面?

33.集水井工(しゅうすいせいこう)直径6m位です

34.集水井工(しゅうすいせいこう)-->集水井工は地すべり地内の地下水を減らして、地すべりを動きにくくする工法です。地すべりの土のかたまりに縦に深い井戸(集水井)を掘り、ここで集めた水は、 地表の水路または地下の排水トンネルで地すべり地の外へ流し出します。

35.中を俯瞰

36.遺構に向かうトンネルへ

37.昔の関西本線のトンネルが発見されました

38.黒ずんでいるのは石炭の煤(蒸気機関車)

39.使用のレンガの実物

40.アーチ型の下部のレンガは短い 上部(天井)は長いレンガを使用

41.

42.

43.亀の瀬岩(石?)

2019.12.12 18:53 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田辺市生涯学習フェスティバル 展示参加
2019.11.23
2019 11/23・24 田辺市生涯学習フェスティバル 展示参加

早いものです。今年で4度目を迎えました(環境省田辺自然保護官事務所開設に伴い)。
展示物は、ユニークな模様の岩パネル、生痕化石、砂・石・火山灰などを顕微鏡で観察、美しい石、おもしろクイズなどなどです。クイズの参加賞は満点でなくても小粒で美味しい田辺産の🍊を。 お隣の京都大学白浜水族館のタッチプールには、色とりどりのヒトデ、ウニ、大きなナマコなどが子どもたちを迎えていました。そういえば昨年までは”天神崎の自然を大切にする会”がタッチプールの用意もされていましたが今年は交代になったようです。  前日(22日)にはテーブルセッティングやボードの配置がおおよそ出来ていたので、当日は余裕を持って展示物を搬入。 2日間を通して感じた事は、今年は特に子どもたちから生物以外の事でそこそこ質問がありました。パネル前で「ねえねえ!ここはどこ?」、生痕化石を触りながら「このすじは何?」「いつ外れたん?」、「この石どこにあったん?」「ざらざらしやるなァ!」「これツルツルや」「顕微鏡もう一回見せて」等。 こどもたちの気づきに時には滑るジョークを交えながら、言葉のキャッチボールも楽しませて頂いた機会でした。


1.会場は今回も田辺市民総合センター2階 よしくまブース

2.初日から見学者の入込は順調(^^♪

3.今回の生物はヒトデ、ナマコ、ウニさんたち

4.初公開の舞台裏

5.フツーの石や砂を顕微鏡で観察すると・・・「いろいろ見える!」って

6.メンバーの熱い説明が届いたようなw

7.今回のタッチプールは京都大学白浜水族館が準備されました

8.子どもたちは部屋を出たり入ったりして生き物とタッチ

9.ウニに触りたいが・・・結果やっと触れました♬

10.天神崎の自然を大切にする会の沿革が

11.よしくまアドベンチャー 子どもパークレンジャー事業の紹介

12.みなべ町=千里が浜、田辺市=鳥ノ巣半島、白浜町=志原海岸、すさみ町=江須崎

13.お馴染み「おもしろジオクイズ」 参加賞は間違っても地元産の美味しいミカン

14.天神崎の自然を大切にする会 2019年度清掃日 宜しくお願い致します

15.生物に夢中のところをちょっと失礼つかまつりました

16.右端の若いママとは生後1ケ月からのお付き合い 何年前になるのかな~w; 



2019.11.23 10:19 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第29回 東紀州熊野市周辺・楯ヶ崎その他 巡検
2019.11.17
第29回 東紀州熊野市周辺・楯ヶ崎その他 巡検

2019 1117 久方ぶりの田辺ジオパーク研究会の巡検、秋晴れの晴天でした。参加人数は8名と少ない陣容でしたが、大変満足、満足の巡検だった模様です。
巡検あらましは以下のとおり。

*******行程*******
08:30 滝尻集合
09:35 紀和町板屋・道の駅九郎兵衛にて休憩
10:20 花の窟神社・散策
11:00 鬼ヶ城センターにて昼食
11:45 松崎港集合
11:55 遊覧船(渡船)乗船・出発(楯ヶ崎遊覧)
13:10 帰港
13:30 帰途に着く 県道52号線・札立峠経由
14:20 雨滝
14:35 大丹倉(おおにぐら)展望台
14:45 蝶の羽根岩
15:10 おおとろ温泉・ジャバラ祭り
15:45 瀞ホテル・三県境
17:00 滝尻帰着

今回の目玉は、楯ヶ崎遊覧、ルートはGarminData写真にありますが、松崎港から楯ヶ崎・海金剛からUターンする1時間10分の行程、紀伊半島の西海岸と違い、東紀州は熊野酸性岩火山岩がもろに海岸線に落ち込んでリアス式海岸を形成し、ほとんどが柱状節理状態で迫力があります。三木崎まで行ければよかったのですが、次回の機会に訪問することとしました。溶岩やマグマは冷えて固まるとき、少しだけ体積が小さくなって縮みます。冷えていく溶岩やマグマ全体が縮むときに4角形、5角形や6角形の柱状の割れ目ができます。これを柱状節理(ちゅうじょうせつり)といいます。
南紀熊野ジオパーク内にもいくつかの柱状節理形態を観察可能ですが、東紀州海岸線のような柱状節理そのものというダイナミックなものはありません。又、蝶の羽根岩の形態はとても珍しい流紋岩の柱状節理の風化現象と明記されていますが、形状は円形で年輪のように又、蝶のようにも見えます。ネットでは、 columnar basalt あたりで検索すると世界中のさまざまな柱状節理を見ることができますが、特に柱の太さ・直径はさまざまですが、熊野酸性岩類には巨大なものが多いように見受けられます。
<参考> 藤綱の要害(那智勝浦町色川)付近の六角形の石柱 直径2メートルくらい!

<その他参考>
・紀伊大島・白野漁港の南側の海食崖には流紋岩が流紋岩質火砕岩を覆うように分布します。流紋岩には溶岩流が流動して形成された流理構造や、冷却に伴ってできた柱状節理が見られます。また、
・紀伊大島・海金剛の海食崖や岩礁を形成する流紋岩には、溶岩流の冷却によりつくられた柱状節理が発達しています。柱状節理の発達程度によって、ドーム型など、さまざまな形の岩峰が形成されています。
・嶽の森山の豆腐岩は、流紋岩(花崗斑岩)に発達した柱状節理が、まるでサイの目に切った豆腐のようです。巨大な岩峰状の雌岳の頂上部にも柱状節理が良く発達し、人の横顔に見えることから「巌の巨人」とも呼ばれます。
・宇久井半島 外の取の海岸では熊野酸1生火成岩類の流紋岩(花崗斑岩)の柱状節理が見られます。
・那智の滝(那智大滝)は流紋岩(花商斑岩)の岩壁から比高133mの大滝です。滝の上部は板状節理、下部は柱状節理が発達しています。
・大狗子(おおくじ)半島西部の崖では、マグマの冷却によって形成された流紋岩(花崗斑岩)の柱状節理を観察することができます。
・椋呂付近の熊野川北岸の岩壁にはマグマ冷却時の収縮により、柱状節理が見事に発達しています。この岩体は大峯花崗岩質岩の最南端の岩体であり、南熊ジオパークで大峯花崗岩質岩が見られるのはこの地点だけです。
・神倉神社の「ゴトビキ岩」は柱状節理と板状節理の現象により形成された結果、丸くコアストーン状態になったものです。
 

1.上は産総研の地質図をGooGleEarthにPlot 紫色の部分が熊野酸性岩類・下は今回のルート図

2.昨年(平成30年4月7日)オープン 北山杉使用の北山砲がドドーンとお迎え

3.「花の窟」入り口 家紋・五七の桐ということは秀吉の息がかり?

4.濃厚バニラ味と柑橘味のソフトクリーム 美味しかった!

5.神様と人々をつなぐお綱がゆらりゆらり

6.天然記念物と名勝と謳われる獅子岩はユネスコの世界遺産にも登録されています

7.獅子岩の近く、松崎港から1時間10分のジオクルージングを楽しんだ

8.2004年7月7日ユネスコ世界遺産に登録された鬼が城、約1.2㎞の散策路が続く

9.あっちもこっちにも釣り人が

10.さあー! これから外海へ!

11.お!「あれだあれだ 見えて来た」

12.計ったように美しくタテにひび割れ

13.柱状節理が崩れた様子

14.徐福の宮(徐福の墓)がある場所

15.GEより拝借

16.今日は凪の日

17.往路は余裕の笑顔の面々

18.遊木戸崎が近付いてきました

19.青の洞窟1

20.青の洞窟2

21.青の洞窟3

22.遊木戸崎のすぐ南にある柱状節理の小島の間を抜ける?!

23.岩が見えるぜー!!大丈夫か!

24.ほっとしました!

25.熊野酸性岩類

27.縦割りに切って揃えたようだ

28.ここには釣り人はいない

29.ここは釣り場スポットのようですね 釣り人が数人

30.向こうに楯ヶ崎が見えてきました 左の灯台は二木島灯台です

31.楯ヶ崎が目の前に!!!!

32.楯ヶ崎をぐるっと回ります

33.海金剛が見えてきます

34.!!!!!!

35.横綱級の海金剛

36.どれだけ近づけるか グイグイ迫ってくる!

37.そろそろ戻りましょうか

38.目の前の柱状節理に地球の自然美を堪能しているところ

39.見上げるとやはり圧巻だ~!

40.すんげー!!!!

41.すんげー!!!!

42.サー、帰ろう

43.Yさんは,昼寝中?

44.気分は・・・ボツボツ船酔い;

45.穏やかな波の部類とおっしゃいますが・・・;

46.美しい自然美 このような掛け軸があれば速攻購入したい

47.凄い!頭のてっぺんまで柱状節理やで!

48.このあたりは石柱がどでかい!

49.岩が崩れ落ち表面がなだらかに

50.・・・なっています

51.52号線 札立峠から熊野灘を見る

52.雨滝 この滝は直瀑中の直瀑 淵の深さがはんぱ無い

53.時間的に厳しくなってきたので看板だけでガマンガマン

54.三重県指定文化財
天然記念物及び名勝 大丹倉(おおにぐら)
紀伊半島支南部に位置する野市、地質学上、西南日本外帯の四万十帯の中にある。熊野地方の高地は熊野酸性岩と称される火成岩でできているが、第三紀中新世の宮井層の上に三回にわたり噴出し形成したとされる。大丹倉はその第一次の活動で地中のマグマが地上へ噴出し流動した溶岩流が長年侵食を受けてできたものである。神木流紋岩と呼ばれるこの火成岩体は、当地方では赤倉から風伝峠にかけて分布し露頭では噴出後に流動したことを示す流理構造が認められるほか、垂直で均一な柱状節理も所々でよく発達している。崖の表面は流紋岩中に含まれる鉄分のために赤みを帯びており崖全体として一種独特の景観を呈している。台地状になっている崖の上からは、河川が刻み込んだ谷や周辺の山々を一望することができ地質学上のみならず景観として貴重なものである。
指定 平成15年3月17日

55.独特な存在感です

56.お疲れ様でーす♪


57.蝶の羽根岩はとても可愛らしい

58.名前もこれまたチャーミングで♪

59.蝶の羽根岩と柱状節理
右手の橋から、流紋岩の柱状節理の珍しい風化現象を見ることができる。その模様を二
つ合わせると、羽根を広げた蝶に見える事から「蝶の羽根岩」と呼ばれている。一般に、岩石中に鉄分が含まれている場合は、風化によって表面から徐々に酸化し赤く変色する。流紋岩はもともと灰白色であるが、岩石の割れ目から風化が進み、川によって侵食され、このような模様が現れたと考えられる。節理とは、マグマの冷却などによってできる岩石の規則的な割れ目のことである。柱状節理は、柱状の岩を縦にいくつも並べたような形が特徴で、市内の海岸線でも見る事ができる。二木島湾入口にある花崗斑岩の大岩壁はその典型で、楯を立てたような形から 「楯ヶ崎」の名で親しまれ、三重県の天然記念物に指定されている。

60.川の中央が境界線 ここは三県境のひとつ 右下は瀞ホテル

61.地質図を紀伊半島にPlotしてみると、紀伊半島は地質のモザイク状態ですね 中央右の
赤色部分は大峯酸性岩帯・火成岩です


2019.11.17 10:15 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第28回 串本&古座川周辺 GPセンターその他 巡検
2019.09.22
2019 09/22 台風17号の影響でしょうが、天候がいまいちでしたが、約16名の参加にて第28回串本~古座川方面巡検の運びとなりました。

<予定時間>
8:30  西牟婁振興局 第一集合場所
    ↓
9:00  すさみ道の駅 第二集合場所
    ↓
9:50  南紀熊野ジオパークセンター 
    ↓
10:30  佐向様別宅 化石見学(車移動約5分)
    ↓  
12:10  水門まつりin昼食
    ↓
13:10  高池の虫食い岩&クマノザクラ 標本木見学
    ↓
14:00  滝の拝見学
    ↓  
15:00  一枚岩・天柱岩(てんちゅうがん)別名・薬研岩(やげんいわ)
    ↓  一部の人は光泉寺子授け銀杏の見学
15:30  解散 すさみ道の駅

今年、7月に開館した南紀熊野ジオパークセンターは流石にみなさん短時間の見学でスルーでしたね。南紀熊野ジオパークセンター見学後、本日のメイン行事の1つ、潮岬の佐向氏別宅を訪問、先カンブリア紀のものから始まる世界の化石コレクションと、口熊野・奥熊野の化石コレクションを見学させていただきました。個人としては物凄いコレクションと思います。思わず、’すごいなぁ’という言葉がもれていました。 レストラン「水門まつり」で昼食(マグロカツ定食等)を食べた後、あいにくの風雨の中、「高池の虫喰岩」(新第三紀の流紋岩質火砕風化岩)、新種のクマノザクラ標本木、「滝の拝」(新第三紀の熊野層群熱水変質岩とポットホール)、1500万年前の熊野カルデラのシンボルの「一枚岩」(新第三紀の流紋岩質火砕岩)と「天柱岩(てんちゅうがん)」(新第三紀の流紋岩質火砕岩(花崗斑岩))などを見学しました。天柱岩の前で、解散、一部の人たちは和深に抜ける途中の光泉寺子授け銀杏を見学したようです。不安定な空模様も気にしないぐらい参加者全員大満足の一日となりました。

1.南紀熊野ジオパークセンター 記念写真はやはりここですね

2.今年7月にオープン 眼下には太平洋の大海原が 地球は丸い!

3.凄い!!博物館以上の展示物に驚きです

4.収集歴は約50年間だそうですが・・・(言葉が出ないくらい感動)

5.異口同音に「凄い!凄い!」が聞こえてきました

6.

7.ウミユリ化石前で足が動かない

8.おー!天井の梁がこれまた凄い! 

9.展示ケースも手作りとは・・言葉がでない・・

10.何だかんだと小一時間のお邪魔になってしまいました S様有難うございました♡

11.大小さまざなな化石 一体何種類あるのでしょう

12.地元の化石も所狭しと並んでいます

13.南紀熊野ジオパークエリアの人気メニュー「まぐろドン(丼)」

14.国指定天然記念物「高池の虫喰い岩」の横顔^^!

15.自然が創った芸術作品 私には二人の人面岩に見えますが・・☆彡

16.原理の一例としてはわかりますが、蜂の巣状になるのはよくわかりません。

17.その昔から話題になっていた桜です 命名「クマノザクラ」

18.標本木の保護活動が始まりました

19.古座川支流の小川の奥のジオサイト「滝の拝」

20.ボウズハゼの遡上で有名な場所 「ダーウィンが来た」で放映された場所 

21.一枚岩の出来方説明(読みづらい;;)

22.その名の通りデッカイ岩体

23.高さは100m 幅500mの巨岩

24.ご当地出身のI氏は「夏に ここへよう遊びにきたよ 懐かしい」って

25.いつもは撮り忘れる記念写真 今回は雨降りのお蔭でか(w)ここでもパシャリ!

26.これが天柱岩 う~ん・・やはり存在感がありますね! 霧の中から浮かんで!

27.子授けイチョウで有名な光泉寺 早くも実がポツポツ落ちている!?

28.古座川町の文化財に指定されています














2019.09.22 08:50 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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