第6回 百間山渓谷巡り(犬落ちの滝まで)
2015.10.17
2015年10月17日
晴天の中、大塔行政局に集合。各自乗り合いにて百間山渓谷巡検に出発
した。百間山は牟婁層群のほぼ中央に座し、百間山渓谷には豊富な滝・淵・
奇岩・甌穴その他うっそうとした原生林が存在する。
渓谷入り口より順番に桃太郎滝・かやの滝・ふたおい釜・藤の中道・難渋の壺
・雨乞いの滝・三十三尋の壺・犬落ちの滝・とちのきの巨木等を堪能し、帰り
は渓谷入り口へのバイパス道にて岐路についた。釜王の釜は健脚向きというこ
となので不達であった。入り口あたりは2011年の大水害の名残はあまり無くほ
ぼ修復され、広場とトイレが新しくなっていた。












2015.10.17 00:03 | 固定リンク | 研究会活動履歴
勉強会 ふるさと自然公園センター 中屋先生
2015.10.14
ひき岩群国民休養地 ふるさと自然公園センターにて
中屋先生による勉強会を開催し、活発な議論のもと終了
いたしました。
http://www.city.tanabe.lg.jp/kankyo/hikiiwa/center.html



2015.10.14 22:03 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第5回 近露野中断層~お滝さん~ちちさま~湯の峰~曲がり川
2015.09.19
第5回 近露野中断層~お滝さん~ちちさま~湯の峰~曲がり川

2015・09/19 晴天
<巡検内容・コメント,etc>
晴天の中、三々五々滝尻駐車場に集合、各自乗り合いにて川湯温泉に向かう。
川湯温泉は川原から温泉が出ているのが有名だが、川原上にて中屋先生の講義を受ける。
その後、請川(うけがわ)にてトイレ休憩、お滝さんに向かう。途中からは、かなりの
アップダウンの歩程であったが、全員無事にお滝さんに到着。ここは滝と不整合があり、
不整合は上部に熊野層群、下部に音無川層群(付加体)が鎮座している状態である。
昼食・集合写真の後、乳さまに向かう。乳さまサイトではノジュール状態の岩を真近
に巡検、楽しんだ模様である。最後には、平治川の平治滝の予定であったが、時間切
れのため、巨大な石英斑岩に囲まれた淵がある場所を訪問し、褶曲を楽しんだ後、
無事に帰途についた。













































2015.09.19 00:06 | 固定リンク | 研究会活動履歴
勉強会 ふるさと自然公園センター 中屋先生
2015.09.16
ひき岩群国民休養地 ふるさと自然公園センターにて
中屋先生による勉強会を開催し、活発な議論のもと終了
いたしました。


2015.09.16 21:42 | 固定リンク | 研究会活動履歴
第4回 流痕露頭~アカホヤ火山灰層~修験の滝~安川渓谷~カタマンボ~乙女のしずく等
2015.08.29
残暑と晴天の中、9:30大塔行政局に集合。各自分散して乗り合わせ、巡検に出発。県道219号線庚申橋近くでアカホヤ火山灰の堆積を実際に触れて観察。次に山の法面でのリップルマークの路頭を観察(赤滑・あかなめら)し、安川渓谷を大塔山方面に向かう。修験の滝ではフォールライン(滝線)と、大峰~十津川~修験の滝の南北ラインは著しい隆起場所である説明を受けた。大杉トンネルを抜けて、本宮町静川地区の上流に入る。三叉路の広場にて昼食。この三叉路は静川方面ルート、大杉トンネルルート、もう一つのルートは大塔山・弘法杉に向かう道である。静川地区に向かう林道は直登の崖に造られた道であるが、元々森林鉄道があったようである。この付近はカタマンボと呼ばれ、暫く進むと対岸の巨大な急峻崖に圧倒された(当会呼称、白壁の谷=はくへきのたに)。この白っぽい岩は、熱水変質を受けた石英斑岩であり、牟婁層群八丁涸漉(はっちょうこしか)変質帯の一部になる。この辺りも隆起の著しい場所であり、林道の縁石がところどころ崩壊していた。帰りは、半作嶺近くの「乙女のしずく」の流痕露頭を観察した。残暑の中、巡検の醍醐味を堪能した1日であった。この巡検では2台の軽自動車がパンクに会い、修理作業も手馴れたものであり歳相応の頼もしさを感じた1日でもあった。(?)
行程には餘倉岩(あまりくらいわ=呼称よくら)鮎返滝(あゆかえりだき)も入っていたが、残念ながら今回は時間不足のため、別機会の巡検で訪問することとした。

2017 0910 赤滑(あかなめら)の漣痕(れんこん)露頭を再訪して、すぐ近く別場所の露頭の写真を最後に追加いたしました。直ぐ下の谷に見られる地層と連続していたと見るとかなり巨大な漣痕露頭です。












































流痕
安川流域には砂岩泥岩互層、泥岩層、砂岩層及び礫岩層が広く分布しています。
これらは古第三紀の中期始新世(約4000万年前)のころに海底に堆積した地層で、牟婁層群と呼ばれています。砂岩泥岩互層は、砂岩と泥岩がリズミカルに積み重なった地層で、砂岩とその上に重なる泥岩で一つの地層(単層)をなしています。このような地層は混濁流によって堆積したものでタービダイトと呼ばれています。
混濁流は、礫・砂・泥などの粒子を乱流によって浮遊させながら海底を流れ下り、流速が衰えてくると、しだいに礫や砂など粗粒なものから堆積がはじまり、地層が形成されます。タービダイトの内部には図のように級化や葉理などの堆積構造、砂岩の底面には流痕や荷重痕などの底痕(ソールマーク)が見られます。混濁流は海底を流れ下るとき、既に堆積していた下位の地層の一部を削り取り、その削り跡が礫や砂で埋められてつくられたのが流痕です。この露頭では砂岩層の底面にフルートマークとバウンスマークと呼ばれる流痕が見られます。流痕から混濁流の古流向を求めることができます。露頭の流痕は右から左への流れを示しています。地層の傾斜を堆積時の状態にも度して、古流向を復元すると、混濁流が南西から北東へ流れながら地層が堆積したことが分かります。









2017 0910追加分 赤滑の漣痕露頭









2015.08.29 00:08 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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