田ジ研自主研修 日高郷土学参加 亀山城・小松原館
2023.04.13
3023 0413 ひだか郷土学 に参加いたしました。
記
「ひだか郷土学(第29回)」で亀山城跡と小松原館を探訪しました。
行 路:JR御坊駅⇒小松原館(湯川子安神社)⇒法林寺⇒九品寺
⇒石敢當⇒橋本太次兵衛家⇒亀山城跡⇒JR御坊駅
ガイド:渡瀬敏文さん
参加者:18名でした(内田辺ジオパーク研究会より6名、
和歌山より1名)
小松原館ではガイドによる湯川氏12代の話。
法林寺では住職の郷土愛溢れるお話。
九品寺ではガイドによる西条藩(紀州藩の兄弟藩)徳川頼雄
(とくがわよりかつ、吉宗の従弟)の話、等を傾聴させていただきました。
和歌山県指定文化財 【記念物(史跡)】
亀山城跡(かめやまじょうあと)【 指定年月日 平成28年3月15日】
亀山城跡は、 日高地方を拠点として有田・牟婁地方に勢力を伸ばした室町幕府奉公衆である湯川氏の拠城である。 平時の館である湯川氏館(ゆかわ しやかた)に対して、 背後の標高 約120mの亀山頂上付近に、有事の際の詰めの城として亀山城は築かれた。
頂上部に大規模な土塁や高い切岸(きりぎし)を巡らせる2段の主郭部と腰曲輪(こしぐるわ)及び帯(おび)曲輪を階段状に配置する構造をもち、惣廻(そうまわり)は2km程度である。 曲輪の総面積や範囲が広く、 詰めの山城としてふさわしい規模をほこり、県内最大規模の中世山城である。一方で、 湯川氏館については、東西約225m、南北約200mで堀を巡らせるなど各地の守護所に匹敵する規模と構造をもち、平時の館と詰めの山城が一体化するあり方は 「根小屋式城郭」と呼ばれ、 戦国期における武家の拠点の典型例として挙げられる。このように亀山城跡は、中世末期に日高地方を拠点として勢力を伸ばした湯川氏の軍事力を示す城跡として学術的価値は極めて高いとして、和歌山県指定文化財 [記念物(史跡)] に指定された。
市指定文化財
亀山城跡(址)
南北朝から戦国時代にかけて有田・日高・牟婁郡主要部を支配した湯川一族の本城として歴史的重要な位置を占めたが、天正13年12代直春の時、羽柴秀吉の紀州進攻によって廃城となった。平成元年五月二十四日 御坊市教育委員会
記
「ひだか郷土学(第29回)」で亀山城跡と小松原館を探訪しました。
行 路:JR御坊駅⇒小松原館(湯川子安神社)⇒法林寺⇒九品寺
⇒石敢當⇒橋本太次兵衛家⇒亀山城跡⇒JR御坊駅
ガイド:渡瀬敏文さん
参加者:18名でした(内田辺ジオパーク研究会より6名、
和歌山より1名)
小松原館ではガイドによる湯川氏12代の話。
法林寺では住職の郷土愛溢れるお話。
九品寺ではガイドによる西条藩(紀州藩の兄弟藩)徳川頼雄
(とくがわよりかつ、吉宗の従弟)の話、等を傾聴させていただきました。
和歌山県指定文化財 【記念物(史跡)】
亀山城跡(かめやまじょうあと)【 指定年月日 平成28年3月15日】
亀山城跡は、 日高地方を拠点として有田・牟婁地方に勢力を伸ばした室町幕府奉公衆である湯川氏の拠城である。 平時の館である湯川氏館(ゆかわ しやかた)に対して、 背後の標高 約120mの亀山頂上付近に、有事の際の詰めの城として亀山城は築かれた。
頂上部に大規模な土塁や高い切岸(きりぎし)を巡らせる2段の主郭部と腰曲輪(こしぐるわ)及び帯(おび)曲輪を階段状に配置する構造をもち、惣廻(そうまわり)は2km程度である。 曲輪の総面積や範囲が広く、 詰めの山城としてふさわしい規模をほこり、県内最大規模の中世山城である。一方で、 湯川氏館については、東西約225m、南北約200mで堀を巡らせるなど各地の守護所に匹敵する規模と構造をもち、平時の館と詰めの山城が一体化するあり方は 「根小屋式城郭」と呼ばれ、 戦国期における武家の拠点の典型例として挙げられる。このように亀山城跡は、中世末期に日高地方を拠点として勢力を伸ばした湯川氏の軍事力を示す城跡として学術的価値は極めて高いとして、和歌山県指定文化財 [記念物(史跡)] に指定された。
市指定文化財
亀山城跡(址)
南北朝から戦国時代にかけて有田・日高・牟婁郡主要部を支配した湯川一族の本城として歴史的重要な位置を占めたが、天正13年12代直春の時、羽柴秀吉の紀州進攻によって廃城となった。平成元年五月二十四日 御坊市教育委員会
田ジ研自主研修 みなべ町高野の枕状溶岩観察会
2023.04.02
2023 0402
延び延びになっていました自主研修「みなべ町高野(たかの)の枕状溶岩観察会」が5人の会員で実現する運びになりました。このサイトは丁度1年前に行者山の金鉱跡を探索中に、たまたま発見された枕状溶岩の壁です。大分風化している気配ですが、枕状溶岩の形態は十分に認識可能です。
放射状の冷却節理がよくわかり、採掘洞穴内は玄武岩がずっと続いていることから相当厚い岩盤のようです。丁度、龍神付加コンプレクスと音無川付加シーケンスの間の御坊・十津川スラスト上に位置します。このスラスト上では、他に龍神・西の枕状溶岩、玉置山・玉石社の枕状溶岩等があります。
9:30 龍神村道の駅「龍遊」に集合
10:00 田の垣内 上り口に到着
11:30 現地、430峰に到着・ランチ
12:00 サイトまで降下
13:00 降雨になったので退却開始
14:00 上がり口に到着 途中、小家谷の滝(仮称)を観察して帰路についた
*少々、難儀する場所もありましたが、事故なく達成することができました。
サポートをありがとうございました。
以前の訪問:
http://tajiken.org/cafe/html/mon/202205-1.html
http://tajiken.org/cafe/html/mon/202204-1.html
滝は仮称「小家谷の滝」2023 04/10 小家谷バス停近辺で聞いたところ「カマキリ滝」というらしい。
白いキノコはハカワラタケの模様。
記
ハカワラタケ 歯瓦茸
英 名 violet toothed polypore
学 名 Trichaptum biforme (Fr.) Ryvarden Trichaptum biformis (Fr.) Ryv.分 類 坦子菌門 ハラタケ亜門 ハラタケ綱 タマチョレイタケ目(Polyporales)
科 属 タマチョレイタケ科(タコウキン科) Polyporaceae シハイタケ属 子実体は広葉樹の枯木に側着生し、きわめて普通にみられる。
シロハカワラタケTrichaptum elongatum はハカワラタケに酷似し、傘や管孔面が白っぽいもの。胞子は長さ5~6µm、幅2~2.5µmの円柱形。シスチジアは長さ10~15µm、幅4~5µmの細棒形。近年ではハカワラタケに含められている。
延び延びになっていました自主研修「みなべ町高野(たかの)の枕状溶岩観察会」が5人の会員で実現する運びになりました。このサイトは丁度1年前に行者山の金鉱跡を探索中に、たまたま発見された枕状溶岩の壁です。大分風化している気配ですが、枕状溶岩の形態は十分に認識可能です。
放射状の冷却節理がよくわかり、採掘洞穴内は玄武岩がずっと続いていることから相当厚い岩盤のようです。丁度、龍神付加コンプレクスと音無川付加シーケンスの間の御坊・十津川スラスト上に位置します。このスラスト上では、他に龍神・西の枕状溶岩、玉置山・玉石社の枕状溶岩等があります。
9:30 龍神村道の駅「龍遊」に集合
10:00 田の垣内 上り口に到着
11:30 現地、430峰に到着・ランチ
12:00 サイトまで降下
13:00 降雨になったので退却開始
14:00 上がり口に到着 途中、小家谷の滝(仮称)を観察して帰路についた
*少々、難儀する場所もありましたが、事故なく達成することができました。
サポートをありがとうございました。
以前の訪問:
http://tajiken.org/cafe/html/mon/202205-1.html
http://tajiken.org/cafe/html/mon/202204-1.html
滝は仮称「小家谷の滝」2023 04/10 小家谷バス停近辺で聞いたところ「カマキリ滝」というらしい。
白いキノコはハカワラタケの模様。
記
ハカワラタケ 歯瓦茸
英 名 violet toothed polypore
学 名 Trichaptum biforme (Fr.) Ryvarden Trichaptum biformis (Fr.) Ryv.分 類 坦子菌門 ハラタケ亜門 ハラタケ綱 タマチョレイタケ目(Polyporales)
科 属 タマチョレイタケ科(タコウキン科) Polyporaceae シハイタケ属 子実体は広葉樹の枯木に側着生し、きわめて普通にみられる。
シロハカワラタケTrichaptum elongatum はハカワラタケに酷似し、傘や管孔面が白っぽいもの。胞子は長さ5~6µm、幅2~2.5µmの円柱形。シスチジアは長さ10~15µm、幅4~5µmの細棒形。近年ではハカワラタケに含められている。
第42回 中辺路町滝尻・北郡周辺散策
2023.03.21
2023 0321 久しぶり(5ヶ月ぶりか)の第42回の公式巡検となりました。
今回は、田辺市内の近場の近場♪中辺路町滝尻・北郡(ほくそぎ)周辺を散策
北郡→峯集落(昼食)→滝尻
ほくそぎ と言えば「亀甲石」ですが、今回も見つかったのでしょうか。
あっちこっちで
優雅な姿を誇示している
桜を愛でながら
久しぶりの仲間と
熊野古道の 一部雰囲気と
春を楽しむことができました。
早速にK女史より以下、達筆・流麗な感想をいただきました。感謝。
2023/3/21付け朝日新聞より「自分の居心地の良い場所で 負担なく暮らす=シーラカンスが泳ぐように歩く人類‥‥‥‥」異常気象が地球規模の問題として 人類が協力して 2020年には その時より(1992年)2度下げましょう‼️そうしなければ地球温暖化は不可逆的に進みますよ とはブラジルの地球サミットリオ宣言だったろうか?それから30年「持続可能な開発」という自己矛盾をはらんで アッという間に過ぎてしまった2020年その間2つの大震災を経験してなお混迷中‥‥そろそろ真面目になりませんか?と心ある人が思う中 何故か熊野がTV番組に登場してくるとは‥‥‥‥時代の変化時に歩かれた熊野が 歩く道としてクローズアップされるとはその山中を8ヶ月振りに歩かせて頂きました☺️亀甲石(於いて北郡)とやらを探してかつての海の上を シーラカンスも歩いたろうか? 数々の海の生物の生痕化石有り❗
まるで谷筋はかつての海の色に染まって 薮椿の紅が炭焼き小屋跡の石垣上に 現実の花をつけて🍀 里道側には室生まむし草が‥‥雄花ゆえに 秋日の毒々しい程のオレンジ色の実は望めないのか?咲いてはいるらしいオシベを垣間見た苔の緑に自然の色彩溢れる森 熊野峰の集落上で昼食そこでは 熊野富士を眺めながら田辺湾 畠島の生痕化石に飛ぶ‥‥話しも空も時も雨は待ってくれていた 滝尻王子 かつて後鳥羽上皇が藤原定家と歌会をしたという王子裏のよみがえりの大岩をくぐって下りた途端の空からの水おそれることはない 大丈夫心配しないで どうにかなるその事を身体に染みわたらせてくれた半日 本日もごっつぁんでした✨🎶🙇
もうマムシ草が活発です。
「胎内くぐり」
熊野への道が潮見峠超えに改まって、室町時代から、この剣(つるぎ)ノ山を登る熊野参詣者はなくなった。 しかし、土地の者は、春秋の彼岸に滝尻王子社に参り、そこで竹杖を持って山路を登り、ここの穴をくぐって、山の上にあった亀石という石塔に参ってきたといわれる。この岩穴を抜けるのを胎内くぐりといい、 女性がここをくぐれば、安産するという俗信がある。
「乳岩(ちちいわ)」
むかし奥州の豪族藤原秀衡(ひでひら)が夫人同伴で熊野参りに来た時、ここで夫人が急に産気づき、この岩屋で出産したという伝説がある。 夫妻は赤子をここに残して熊野に向かったが、その子は、 岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったので、奥州へ連れ帰ったと伝えられている。 その子が成長して、秀衡の三男の和泉三郎忠衡(ただひら)になったという話まである。
今回は、田辺市内の近場の近場♪中辺路町滝尻・北郡(ほくそぎ)周辺を散策
北郡→峯集落(昼食)→滝尻
ほくそぎ と言えば「亀甲石」ですが、今回も見つかったのでしょうか。
あっちこっちで
優雅な姿を誇示している
桜を愛でながら
久しぶりの仲間と
熊野古道の 一部雰囲気と
春を楽しむことができました。
早速にK女史より以下、達筆・流麗な感想をいただきました。感謝。
2023/3/21付け朝日新聞より「自分の居心地の良い場所で 負担なく暮らす=シーラカンスが泳ぐように歩く人類‥‥‥‥」異常気象が地球規模の問題として 人類が協力して 2020年には その時より(1992年)2度下げましょう‼️そうしなければ地球温暖化は不可逆的に進みますよ とはブラジルの地球サミットリオ宣言だったろうか?それから30年「持続可能な開発」という自己矛盾をはらんで アッという間に過ぎてしまった2020年その間2つの大震災を経験してなお混迷中‥‥そろそろ真面目になりませんか?と心ある人が思う中 何故か熊野がTV番組に登場してくるとは‥‥‥‥時代の変化時に歩かれた熊野が 歩く道としてクローズアップされるとはその山中を8ヶ月振りに歩かせて頂きました☺️亀甲石(於いて北郡)とやらを探してかつての海の上を シーラカンスも歩いたろうか? 数々の海の生物の生痕化石有り❗
まるで谷筋はかつての海の色に染まって 薮椿の紅が炭焼き小屋跡の石垣上に 現実の花をつけて🍀 里道側には室生まむし草が‥‥雄花ゆえに 秋日の毒々しい程のオレンジ色の実は望めないのか?咲いてはいるらしいオシベを垣間見た苔の緑に自然の色彩溢れる森 熊野峰の集落上で昼食そこでは 熊野富士を眺めながら田辺湾 畠島の生痕化石に飛ぶ‥‥話しも空も時も雨は待ってくれていた 滝尻王子 かつて後鳥羽上皇が藤原定家と歌会をしたという王子裏のよみがえりの大岩をくぐって下りた途端の空からの水おそれることはない 大丈夫心配しないで どうにかなるその事を身体に染みわたらせてくれた半日 本日もごっつぁんでした✨🎶🙇
もうマムシ草が活発です。
「胎内くぐり」
熊野への道が潮見峠超えに改まって、室町時代から、この剣(つるぎ)ノ山を登る熊野参詣者はなくなった。 しかし、土地の者は、春秋の彼岸に滝尻王子社に参り、そこで竹杖を持って山路を登り、ここの穴をくぐって、山の上にあった亀石という石塔に参ってきたといわれる。この岩穴を抜けるのを胎内くぐりといい、 女性がここをくぐれば、安産するという俗信がある。
「乳岩(ちちいわ)」
むかし奥州の豪族藤原秀衡(ひでひら)が夫人同伴で熊野参りに来た時、ここで夫人が急に産気づき、この岩屋で出産したという伝説がある。 夫妻は赤子をここに残して熊野に向かったが、その子は、 岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったので、奥州へ連れ帰ったと伝えられている。 その子が成長して、秀衡の三男の和泉三郎忠衡(ただひら)になったという話まである。