第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加
2018.02.17
第5回南紀熊野ジオパークフェスタ@那智勝浦町 に出展参加

【日時】平成30年2月17日(土)10時~15時30分
【場所】那智勝浦町体育文化会館
【主催】南紀熊野ジオパーク推進協議会・環境省近畿地方環境事務所
【目的】南紀熊野ジオパークの主要部分を占める吉野熊野国立公園と連携をしながら、地域関係者の理解・協力・参加を促進するとともに、認知度・理解度の向上を図ることにより、ジオパーク活動を推進し、持続可能な地域づくりを目指します。

一階フロアーでは、地元食材を使ったグルメや地場産品の販売、いくつかのジオパークの参加等、ジオパークを一段と身近に感じたイベントでした。
 午後はシンポジウムが開催され、基調講演「日本のジオパーク」(講師:尾池和夫氏(日本ジオパーク委員会 委員長・京都造形芸術大学 学長))で尾池和夫氏が、日本のジオパークの素晴らしさ・方向性等を熱く語られました。
 内容は宇宙科学、地球科学の視点からの内容(日本の特異性、中緯度で四季の変化、四つのプレートに囲まれる日本、大量の水が循環する日本等)、文学的・味覚・水の種類等の視点からの話題(清酒の種類、ジオ俳句等)、世界ジオパーク(ユネスコプログラム)の効力等、効果的にまとめられていると感じました。

 田ジ研の出展では、S氏提供のクイズ用の賞品・参加賞のみかんはとても美味しいと大評判でした。K氏、ロープワーク講座を熱心に教授されました。有難うございました。見学されていた方から「やりたかったけど・・・」と。Y氏、M氏、サンプル鉱物・化石等の展示ご協力有難うございました。田ジ研のクイズは少々難問だったようですが、田辺地域を充分アピールできたと思います。因みに一般参加された地元の方と一緒にクイズの解説をいたしましたが、「田辺って面白いなァ~」との感想の言葉に、地域をアピールできた事がよかったと感じた次第です。(ジオについては、まだまだこれからのお楽しみ分野です)
田ジ研の皆様、ジオパーク関係の皆様、大変お疲れ様でした。

1.田ジ研展示風景 I

2.田ジ研展示風景 II

3.最近、森林総研によって発見されたクマノザクラのコーナー

4.太地ノアイドル・ヨーホエール君

5.クイズ一覧

6.熊楠コーナー

7.ジオパークバンドの共演

8.ロープワーク講習 I

9.ロープワーク講習 II

10.仁坂知事

11.尾池和夫氏

12.アジェンダの一部







2018.02.17 22:06 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺
2018.02.12
田ジ研自主研修 大塔村木守・木守風穴 赤土森山近辺

晴天の中、9:30に大塔行政局に集合、有志計8名にて木守地区の風穴をメーンに巡検に出発しました。今回は鮎川在住のN氏により、木守の風穴その他のサイトを案内していただくことになりました。乗り合わせにて

大塔行政局->合川ダム(一般国道371号)->原の郷・タービダイト->木守(風穴観察)->法師山登山口->板立峠->国蔵峠(湿原池観察)->面川・三豊(さんぽう)神社->深谷(ふかたに)隧道観察->帰途 

の行程でした。
今回の主目的は風穴の観察・巡検でしたが、風穴にもいろいろな種類がある模様で「日本の風穴」という本が古今書院から発行されています。ここの風穴は13度Cの空気が吸い込まれたり吹き出したりするが穴が再発見されたばかりで、もう一方の口がどこかにあるのではというので見つからず探索中ということです。どうも石灰質の岩石が風化によってトンネルがあるのかまだこのあたりは同定されていないのが現状です。風穴観察後は、赤土森山の上部のテーブル上になっている一部(国蔵峠近辺)を観察し、湿地帯あるいは元々泳ぐことができたらしい池跡を観察しました。一見、二重山稜になっているようなところで、降雨量によっては木守地区に向けて深層崩壊が起こる可能性がある地帯と伺いました。その他、諸々の訪問・観察サイトは写真・説明を追ってご覧ください。

1.今回の巡検・探索ルートです。

2.橋の上から砂岩泥岩が整然と積み重なっている前の川タービダイト。

3.帰りにゆっくり参拝しようっと。素盞嗚神社(すさのお)らしい。

4.神社庭に孤高のメタセコイアが。

5.狛犬くん、玉遊び中。お腹ではありませんぞ。

6.神社の右側に池があります。水神か。

7.神社前広場にて登り準備しました。

8.「心のふる里」大塔村立木守小学校 の石碑。

9.お寺への参道を登って行きます。

10.教会のようです。

11.歴代のご住職のお墓(?)。

12.人工林内を更に登ります。

13.巨石がごろごろ見えてきます。ツララが!!

14.右にトラバースしてゆきます。

15.人工林と巨石の壁が続きます。

16.上から巨礫が落ちている。

17.石灰質か サンポールをかけると泡立ちます。

18.小さな礫がたくさん含まれています。

19.壁 壁 壁。。。。。ようやくたどり着いた(結構 キツイ斜面)。

20.あ~!ここだ!

21.テープがひらひらしているところが、空気が吸い込まれている穴です。

22.N氏が別の穴の探索中です。

23.巨岩が大きく割れ 左側が落ち込み下がっている。

24.巨大な絶壁です。

25.穴の観察中です。風の声が聞こえる。

26.風穴の入り口です。今(2月)は空気が吸い込まれています。

27.赤色立体図ですが、上部は平らです。

28.法師山登山口近くで漣痕(れんこん)発見。

29.ミルフィールのように整然と積もった層。

30.2011年紀伊半島大水害で深層崩壊が 熊野(いや)地区。

31.国蔵峠のお地蔵さんです。

32.湿原のようですが、何十年か前はここで泳げたらしい。

33.霜柱オンパレードです。

34.霜柱のパワーで持ち上げられている。

35.かなり大きな霜柱です。

36.結構な広さ。

37.三豊神社の巨大杉です。

38.深谷(ふかたに)隧道 654Mあります。

39.どうも電灯がないトンネルのようです。

40.お不動さんか。

41.真砂久一氏の頌徳碑です。裏に履歴があります。

42.この隧道は今柵があり、車両通過は不可です。




2018.02.12 20:01 | 固定リンク | 研究会活動履歴
田ジ研自主研修 三重県熊野市紀和鉱山資料館・その他探訪
2018.01.27
寒波到来の晴天の中、田ジ研の有志4名にて熊野市紀和町「紀和鉱山資料館」とその近辺の巡検をいたしました。資料館では1月限定のイベントが開催されていて、資料館のH学芸員に多くの説明をいただくとともに、たくさんの質問に回答いただきました。
紀州鉱山の歴史がある程度理解できました。一般には紀州鉱山と呼ばれていますが、鉱山自体は名前が其々場所ごとに名前があった模様で、江戸時代には13地区にそれぞれの坑道に○○銅山という名前がついていたようです。紀州鉱山自体の坑道の長さは約330キロメートルもあり、昔からの坑道を含むともっと大きな長さになるのでしょう。選鉱場跡を見学した後、企画展「石の中の銀座」イベントを観察、常設展示では紀和町の鉱山の歴史を興味深く知ることができました。昔の鉱山の坑道では水との闘いが大きかったようで、採掘、運搬、選鉱、坑道普請、換気、排水等グループで専門的にプロセスを担当していました。楊枝川に存在する水車谷遺跡には節の間が長い紀和竹という竹があり、坑道の空気換気に利用されました。ひとしきり展示を楽しみ、入鹿中学校近辺の空き地、兼「慈雲寺」の綺麗な石垣の下にて野外昼食&Iru Cafe(コーヒー)を楽しみました。入鹿中学校近辺に存在するという板屋断層、探しましたが、見つけられませんでした。その後は、資料館の川向こうにあるズリ捨て場に行き、ズリをハンマーで叩きに叩きました。少しはストレス解消になったでしょう。最後は、熊野酸性火成岩体の一族山・山頂近くの布引の滝を訪問して、楊枝川を下り、168号に出て帰途につきました。



1.風は冷たかったが晴天♪

2.
こちらの岩は「金銀鉱石」、「ぎんぐろ」と呼ばれる黒い部分に、微量の金や銀を含む2トンの原石です。昭和30年代(1955)の紀州鉱山では金の含有量は1トンあたり平均17グラム。
これは世界平均の2~3倍の含有量で、毎月300トンペースで金銀鉱石を産出していました。

3.さすがです。H学芸員さん

4.石原産業株式会社時代の選鉱場跡の絵画

5.山の斜面を利用して下方に選別する仕組み

6.廃墟と化した現在の姿に足が暫く止まる

7. 1~11号隧道まで続く発着トンネル入口

8.数万人の通勤通学に利用されていたトロッコ

9.

10.

11.紀州鉱山の大蛍石

12.

13.

14.
鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に数々の名刀を残した「入鹿鍛冶」がいつ頃から紀和町の入鹿地区に移住してきたか明らかではありませんが、鎌倉時代の末期であろうと考えられています。その後、安土桃山時代に秀吉の「紀州征伐」により入鹿一族が滅ぶとともに入鹿鍛冶は和歌山県粉河に移住しました。
*真剣の展示があったはずだが、見落としたかも知れません。

15.

16.1 金が通る=>鉱脈

16.2 下のほうに一族山が描かれていますので、もっと北のエリアに鉱山があった模様
=>23.参照

16.3↓
703 紀州「楊枝鉱山」自然銀を献上
743 「熊野銅山」より東大寺大仏鋳造に利用
1337 紀州楊枝川「大谷銅山」の採鉱開始

17.↓
1673 紀州 湯の口村「室谷鉱山」が開削される
1802 紀州楊枝川・水車谷付近で鉱山隆盛 労働者の流入
1854 紀州「楊枝銅山」「那智銅山」が若山藩より新宮藩に委譲

18.↓
1871 新宮藩が「楊枝銅山」銅鉱の廃止届け
1873 紀州「薬師炭鉱」の採掘が始まる
1934 石原産業が諸鉱区を買収・「紀州鉱山」を開設
1944 「紀州鉱山」が軍需会社に指定・英国兵捕虜300名が就労
1978 「紀州鉱山」閉山

19.

20.

21.
1934 石原産業-紀州鉱山を開設
 ↓
1941 板屋~阿田和駅間に前兆4.7キロの架空索道を開設
 ↓
1944 軍需会社に指定 英国兵300名の就労
 ↓
1965 全盛期-3000トンの産銅量
1978 紀州鉱山の閉山

22.
紀和町の地質
紀和町には、大規模な火山活動が起こったことを示す、火成岩体(熊野酸性火成岩類)、これより古い時代に浅海底であったことを示す地層群(熊野層群)、さらに古い陸棚(りくほう)
斜面より深い海底であったことを示す地層群(日高川層群)が分布しています。そして紀和町を大きく特徴づけるものは、銅を主とする金属鉱床があって、古くから鉱山が開かれていたことです。

23.

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31.

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34.↓
紀和竹という不思議な竹があります。水車谷は楊枝川の途中にあります。

35.

36.綺麗な石垣です。

37.

38.iru cafe=入鹿fe

39.ツエノ峰を見ています。建物は入鹿中学校

40. Yさん、叩いて割って....

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43.鉱石の捨て場は太陽光発電場所に変身。

44.布引の滝へ行く途中に巨石(流紋岩か)がごろん。

45.柱状節理

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47.花崗斑岩地帯です。

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49.


2018.01.27 00:20 | 固定リンク | 研究会活動履歴

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